第4話 数値に現れない弾力と、飢えた好奇心

 指先に残る、あの奇妙な弾力の感触が、ただの脂汚れではないことを俺は本能で理解していた。


 空になった鍋を布で拭い、革袋に仕舞う。

 使い慣れた道具を一つ一つ所定の位置に戻すたび、カチャリと鳴る金属音が、逸りそうになる鼓動を現実に引き戻してくれる。

 落ち着け。テイマーにとって最大の敵は、自身の過信と期待だ。


 俺は片付けを終えると、足元で腹を晒して寝転がるグルを抱き上げた。

 ずしり、と。

 昨日拾った時よりも、明らかに重みが増している。

 食べてすぐ太るわけがない。これは質量の変化だ。


「……ちょっと見せろよ」


 俺はグルの脇の下を持ち上げ、ランタンの灯りに近づけた。

 濃紺の鱗の表面に、油膜のような虹色の光沢が走っている。

 指で押してみる。

 やはり、硬い鱗の下に、ゴムのような反発力があった。

 スライムの物理耐性。打撃や衝撃を吸収するあの特性が、リザードの皮膚に宿っているとしたら。


 俺は腰のポーチから、ギルドカードと連動する簡易鑑定用の「ステータス紙片」を取り出した。

 使い捨ての高価なアイテムだが、今の状況を確認しないわけにはいかない。

 紙片をグルの額に貼り付ける。

 魔力が通い、紙の上に文字が浮かび上がった。


 【種族:幼竜(変異種)】

 【状態:満腹・活性化】

 【特性:粘体皮膚(微)】


「……マジか」


 紙片を持つ手が震えた。

 見間違いじゃない。「粘体皮膚」とある。

 通常、魔物が新たな特性を獲得するには、長い年月をかけた進化か、特殊な儀式が必要なはずだ。

 たった一杯のスープ。

 それも、廃棄物同然のスライムを煮込んだだけのゼリー寄せで、こいつは特性を獲得したのか。


 グルが鬱陶しそうに頭を振り、額の紙片を振り落とした。

 ひらひらと落ちる紙が、俺には金貨よりも価値ある地図に見えた。

 こいつの「偏食」は、ただのワガママじゃない。

 自分の進化に必要な素材を本能で選別していたんだ。


 俺はグルを地面に下ろした。

 こいつは「きゅう」と鳴いて尻尾を振ると、さっさと通路の奥へ歩き出した。

 迷いのない足取り。

 まるで、次のメニューが決まっているかのように。


 俺は慌てて荷物を背負い直し、その後を追った。

 革袋のベルトを握りしめる。

 この重みが、今は心地よい。

 ただの荷物持ちだった俺が、今、未知の可能性を背負っている。


 ***


 地下1階層の奥へ進むにつれ、通路は複雑に入り組んでいった。

 湿気が増し、天井から垂れ下がる蔦植物が多くなる。

 視界が悪い。

 俺は短剣を抜き、絡みつく蔦を払いながら進んだ。


 グルは俺の数メートル先を、警戒心ゼロで進んでいく。

 その無防備な背中が、俺の保護欲を刺激する。

 いや、過保護はいけないと分かってはいるが、どうしても体が前に出る。


 その時、頭上の暗がりから羽ばたき音が聞こえた。

 ジャイアントバットだ。

 初心者狩りの定番。音もなく近づき、麻痺毒のある牙で噛み付く。


「グル、上だ!」


 俺の声に反応し、グルが見上げる。

 黒い影が急降下してきた。

 俺が短剣を投擲しようと構えた瞬間、バットの牙がグルの肩口に突き刺さる――はずだった。


 ボヨヨン。


 間の抜けた音が響いた。

 バットの牙はグルの鱗に弾かれ、勢いを殺されて体勢を崩した。

 刺さっていない。

 あの「粘体皮膚」が、衝撃を吸収して弾き返したのだ。


「ギャッ!」


 グルは好機を逃さなかった。

 体勢を崩してふらつくバットの翼に噛み付き、そのまま地面に叩きつける。

 首を振って仕留める動作は、野生そのものだ。

 一撃。

 バットは痙攣し、動かなくなった。


 俺は構えていた短剣を下ろした。

 出る幕がない。

 たかがコウモリ一匹だが、無傷で、しかもカウンターで仕留めるとは。

 スライムの防御特性と、リザードの俊敏性。

 最弱同士の掛け合わせが、実戦で機能している。


 グルが倒したバットを咥え、俺の足元に持ってきた。

 ポトりと落とし、期待に満ちた目で見上げてくる。

 尻尾がちぎれんばかりに振られている。


「……悪いな、コウモリは食える場所が少ないんだ」


 俺が言うと、グルはあからさまにがっかりしたように耳(のような突起)を伏せた。

 食欲旺盛なのはいいが、何でもかんでも調理できるわけじゃない。

 バットの肉は筋張っていて臭みが強いし、可食部は僅かだ。労力に見合わない。


 俺はしゃがみ込み、バットの牙だけをペンチで引き抜いた。

 素材として売れば、銅貨数枚にはなる。

 小袋に牙を入れながら、俺はグルに語りかけた。


「もっと美味いもんを探そう。肉厚で、脂が乗ってて、お前の力になりそうなやつを」


 グルはその言葉を理解したのか、再び耳を立てて「きゅ!」と鳴いた。

 単純なやつだ。

 だが、その単純さが今の俺には救いだった。


 俺たちは探索を再開した。

 目指すはもう少し奥、水場のエリアだ。

 湿った空気の中に、微かに生臭い匂いが混じり始めている。


 俺は計算する。

 スライムで防御を得た。

 ならば次は、攻撃力か、それとも特殊攻撃か。

 ただ闇雲に狩るのではなく、メニュー(戦略)を組み立てる必要がある。

 これは俺の得意分野だ。

 パーティの物資管理で培った、「必要なものを、必要な時に、最適な状態で供給する」能力。

 それが、こんな形で活きるとは思わなかったが。


「ゲロゲロ……」


 遠くから、重低音の鳴き声が響いてきた。

 空気が振動するほどの声量。

 間違いない。ジャイアントフロッグだ。

 牛ほどの大きさがある巨大蛙。

 丸呑みにされれば即死だが、その腿肉は鶏肉のように淡白で、火を通せば絶品と言われる。


 俺は立ち止まり、靴紐を締め直した。

 指先の包帯が少し痛むが、無視する。

 覚悟を決める儀式だ。


 グルが俺の足元で、低い唸り声を上げている。

 獲物の気配に、狩猟本能が刺激されているのだろう。

 俺は相棒の頭をポンと叩いた。


「行くぞ。今夜のメインディッシュだ」


 この先に待つのが脅威だと知りながら、俺の足取りは軽かった。

 恐怖よりも、「試したい」という欲求が勝っている。

 俺たちは暗い通路の先、湿潤な捕食者の領域へと足を踏み入れた。

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