キーが見つかりません・・・
キャルシー
キーが見つかりません
通夜の疲労と喪失感が重くのしかかる。車内はしんと静まり返っている。路肩の街灯が途切れがちに続き、暗闇が車内を支配する。
赤信号。蒼井は左折するため方向指示器を点灯させて停止線で車を止めた。
カチッ、カチッ、カチッ――方向指示器の単調な音が、ふいに胸の奥に微かな
--あれは高原ドライブで立ち寄ったカフェのことだ。
澄んだ空気のなか、小さな湖を望むテラス席で2人コーヒーを飲んでいると、詩織が「ちょっと肌寒いわね。カーディガンを取ってくるわ。鍵貸して」と言った。
蒼井は胸ポケットから車のスマートキーを取り出し手渡した。
日が西に傾きかけた頃のやわらかい陽の光に目を細めて眼下の景色を眺めていると、カーディガンを羽織った詩織が戻ってきた。少しだけはにかんだ表情が、今でも鮮明に思い出せる。
その後、山沿いのワインディングロードを心地よく走っていると、詩織が「ごめんなさい、トイレに行きたくなっちゃった」と言った。
ちょうど道の駅があったので立ち寄る。蒼井は車を公衆トイレのそばに一時停車させた。
詩織を降ろし、「どこか空いているところに止めてくるよ」と声を掛ける。
詩織が助手席のドアを閉めると蒼井は駐車場へ向けて車を走らせた。その時、インパネに警告が灯った。
《キーが見つかりません。キーの所在を確認してください》
ああ、さっきカフェで渡した鍵を詩織が持ったままだったのだと気づいた。
カフェから出るときは詩織が乗っていたから始動できたのだ。スマートキーは、車内にさえあれば、だれが持っていてもエンジンはかかる。
蒼井は車を駐車場まで移動させたが、そこで待つしかなかった。鍵がなければ施錠もできないので、降りることができない。その旨をLINEで詩織に伝える。
数分後、トイレから戻ってきた詩織が助手席に乗り込むと「本当にごめん、返すの忘れてた」と鍵を渡した。その鍵には細かなビーズを編んだ手工芸のストラップが付いていた。
「このストラップは?」
蒼井が聞くと、詩織は、
「トイレでハンドバッグを開けたときに鍵を借りっぱなしだったことに気づいて、悪いなと思って」と言ってからトイレ前の広場のほうを指さし、「ほら、あそこで工芸品のフリマがやってるのが見えるでしょ。そこを通りかかったときに、このストラップを見つけて買っちゃった。鍵につけてあげる」
車は、夕焼けの駐車場を抜けて走り出した。ハンドルを握りながら、ふふっと思い出し笑いをして蒼井が、
「今さぁ、“キーがありません”なんていうエラーが表示されてさぁ。“ああ、もう俺は詩織がいなければ車も動かせなくなっちゃった”って思ったよ」
と言った。
「ちがうでしょ。“鍵を持ってる私”がいないと、でしょ」というと詩織はふと思いついてように、「じゃあね、この鍵、ずっと私が持っていようかな。あなたが変な子とドライブに行けないように」
「ええっ!それじゃ俺は会社にも詩織同伴でいかないといけなくなるな」と蒼井。
「ふふっ。毎朝まず私を美術館まで送ってよ」
詩織の職場は県立美術館だ。
「いいねぇ。送迎付き学芸員って詩織に相応しい」
「“鍵っこ学芸員”でいいよ」
「なんだそれは。ははは」
「で、ストラップ付けたげた鍵はちゃんとしまった?」
「はいはい。ここ。胸ポケットに入れたから。」
その詩織が昨晩、不慮の事故で亡くなった。突然の別れとなった。
赤信号で止まっている夜の車内に意識が戻った。車内は通夜からの帰り特有の重たい静けさだけがあった。信号機の赤い光が誰もいない助手席を赤く染めている。数日前も詩織はこの席に座っていたのだ。
信号が青になったので車を出し左折させる。ここから林道に入る。
ほんの少し走ったところで、インパネに
《キーが見つかりません。キーの所在を確認してください》
の表示が点灯した。
蒼井は胸ポケットを触ってみる。入っているはずのスマートキーが見当たらない。
車を路肩に寄せて止め、上着やズボンのあちこちのポケット、バッグの中、座席周り、足元などを探した。この林道は、暗い。車内灯やスマホの照明機能で明かりを取りながら車内を探す。どこを見てもキーは見当たらない。
(もしかして通夜の会場に置き忘れたのか?)
通夜会場の建物と駐車場はそこそこ近かったとはいえ、スマートキーが反応する距離ではなかったはずだ。通夜の会場に置き忘れたというのは考えにくい。しかし、もしかするとたまたま反応したのかも知れない。念のため、葬儀場も探したほうがいいだろう。
葬儀場へ戻ろうとUターンし始めた矢先、警告灯は消えた。
(消えたということは、キーは見つからないが、車内のどこかに落ちているのだろう)
エンジンは問題なく回り続けている。尤もエンジンが回り続けていることは、車内にスマートキーがある証にはならない。なぜなら車は一度始動すると、車内にスマートキーがなくてもスイッチを切るまでは勝手にエンジンが切れることはないからだ。
Uターンを中止して再び自宅へ向けて走り出す。すると、また警告灯が点灯した。
《キーが見つかりません。キーの所在を確認してください》
あれっ?とまたブレーキを踏む。警告灯が、消えた。
「どういうことだ、理由がわからん」蒼井はひとりごちる。鍵があるのかないのかはっきりしないのが気持ち悪いが、このまま自宅へと向かうことにした。
自宅に着いてもスマートキーは見つからない。車内を再度探したが見当たらず、仕方なく自宅にあったスペアキーを持ち出して動作を確認する。
車の近くでリモートロックさせるとちゃんと鍵が閉まるし解除することもできる。スペアキーが正常に作動していることが確認できたので安心して、車内に戻ってエンジンを切ってみる。
再始動させてみると問題なく反応した。
しかし、始動できたのは単にこのスペアキーが車内にあるからとも考えられる。それならばと、一度スペアキーを家の中に戻して車から充分距離を置いてみた。車の運転席に入って始動させると、エンジンは普通にかかる。つまり「もう一つの鍵は確かに車内にある」ことになる。
再び足元、座席の隙間、荷室、カップホルダー、サンバイザーをさぐる。探しても見つからない。
「鍵は車内に在る」はずなのに「ない」。それは物理的な矛盾というより、「存在の形が自分の知っているのとはわずかに違う」というか、何とも表現しにくい感覚だった。
「翌朝、明るくなってから再度探せば見つかるかも」――そう思い、その晩は車を施錠して家に戻った。
だが、布団に入った瞬間、嫌な考えが鎌首をもたげた。
鍵が車内にあるということは、誰かがドアをこじ開けらさえすれば、車を解錠・始動できるということだ。盗まれるかもしれない。
蒼井は不安を抱えたまま一夜を過ごした。
次の日。起床した蒼井は、朝いちばんに自宅の車庫に車があるかを確認した。
車は、あった。
身支度を済ませ自宅を出る。
自宅にあったスペアキーで車を開錠し、車に乗り込む。エンジンは始動できたが、始動できた理由が、手元にスペアキーがあるからか、車内のどこかに本物のスマートキーがあるからなのかはわからない。
蒼井の住む地域は、一般に通夜の翌日に葬儀・火葬という流れである。一路、葬儀場に車を走らせる。
葬儀場のスタッフに、車の鍵の忘れ物がなかったかを確認したが、届いていないという。トイレやロビーなど、昨晩自分が歩いた部分をもう一度たどって探した。何かの拍子に自販機の下に蹴り入れられていないか、覗いてみたりしたが、鍵はどこにもなかった。
葬儀会場の隅の席に座る。司会進行のスタッフが葬儀の開始を宣言し、読経が始まった。お経を聞いているうちに昨夜の違和感がよみがえる。次いで、詩織との記憶が浮かび、以前、道の駅で、詩織が降りた直後に「キーが見つかりません」の警告が点いたことがあったことを思い出した。
献花のため
締めの親族挨拶から
火葬場で蒼井は他の親族たちとともに立っていた。
炉前で棺の蓋が開けられる。
火葬場の係員が、慣れた手つきで棺の中を確認し始めた。金属製の装飾品や、火葬に適さないものがないかを調べるのだ。詩織の胸元に置かれた写真、折り紙――係員は丁寧に確認していく。
その動きが、ふいに止まった。
詩織が左手に何かを掴んだようだった。訝しげな表情を浮かべながら、係員はゆっくりとそれを引き上げる。
「ああ、これは棺に入れられません。燃えませんよ」
係員の声が、響いた。蒼井の視線が、係員の手元に吸い寄せられる。
係員の手に握られていたのは――
細かなビーズを編んだストラップの付いた、黒いスマートキーだった。
蒼井の心臓が、一瞬止まったような感覚に襲われた。
それは紛れもなく、自分の車の鍵だ。あの日、道の駅のトイレ前のフリーマーケットで詩織が買ってくれたストラップが付いている。
車内のどこを探しても存在しなかったのに、《キーが見つかりません》の警告が点いたり消えたりした、あの鍵。
それが今、詩織の手の中から――棺の中から現れた?
「ご遺族の方、これはどなたの……?」
係員が困惑した様子で尋ねる。親族が互いに顔を見合わせて首をかしげる。
蒼井は「失礼します。ちょっと見せてもらっていいですか。」一歩前に出た。
震える手でそのスマートキーを受け取った。冷たい金属の感触。詩織が生前“私が持っていようかな”と言った蒼井の車の鍵。
蒼井は言葉を失う。昨夜、いくら探しても見つからず、しかし車が反応し続けた「鍵」は――ずっと棺の中にあったのか?
「本当にごめん、返すの忘れてた」とどこかから詩織の声が聞こえたような気がした。
受け取ったスマートキーはまるで、「本当にごめん、こんな形であなたの人生から去ることになって。あなたが新しい良い子とドライブに行けますように」とでも伝えようとしているようだった。
蒼井の頬にとめどなく涙が伝う。「これ、僕のキーです」と係員と親族に答える。「本当にすみません」頭を下げる。
係員が親族に聞こえるように「花入れの儀で、別れ花を入れていただいた際に、胸ポケットから滑り落ちたのかも知れませんね」と蒼井に声をかけてくれた。親族が蒼井のことを悪く思わないよう、気を利かせてくれたのだ。
焼き場からバスで葬儀場に戻ると、蒼井はそのまま自分の車に戻り、エンジンをかける。
車内はただ静かだった。
ビーズのストラップが揺れるスマートキーを、蒼井はそっと胸に抱いた。
「ありがとう、詩織」
小さく呟いた言葉が、静かな車内に溶けていく。
その日以来「キーが見つかりません」という表示は現れることはなかった。
キーが見つかりません・・・ キャルシー @krsy
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