第4話 「慣れ」

 ……何か、引っかかる。


 目を開けて天井を見つめたまま、俺はぼんやりと考えていた。

 森の匂い。木の軋む音。身体の痛みは……思ったより、ない。


「……なあ、リュミエル」


 隣で静かに座っていた彼女が、ぴくっと反応する。


「昨日の夜さ。俺、なんか変なこと言ってなかった?」


 一瞬。

 本当に一瞬だけ、リュミエルの動きが止まった。


「……どうして?」


「いや……なんか、夢なのか現実なのかわからんけど……」


 頭の奥に、曖昧な残像がある。

 柔らかい声。近い距離。

 ──「シグルなら、別に良いんだよ?」

 そんな言葉を、確かに聞いた気がした。


「……何か、言ってた?」


 問いかけると、リュミエルの顔が一気に赤くなる。


「な、何もない!」


 声が裏返った。


「ほんとに、何も言ってないから! 変なこと考えないで!」


「……そ、そうか」


 明らかに怪しい。

 でも、これ以上突っ込んだら地雷を踏むやつだと本能が告げていた。


 その時、背中にじんわりとした温かさを感じる。


「あ……」


 気づくと、リュミエルの両手が俺の体にかざされていた。

 淡い光が、呼吸に合わせて脈打っている。


「……治癒魔術?」


「うん。骨も、内出血も……全部じゃないけど、動けるくらいには」


 そう言われて、ようやく納得する。

 あれだけボロボロだったのに、今こうして意識がはっきりしている理由。


「……ありがと」


 素直にそう言うと、リュミエルは少しだけ目を逸らした。


「……当たり前でしょ」


そこへ、ノックもなしに扉が開く。


「起きたか」


 低く、落ち着いた声。

 振り向くと、パリーが立っていた。


「体は動くな?」


「……はい。問題ない、です」


 そう答えた瞬間、パリーは短く頷いた。


「なら朝食を食え。その後──」


 一拍置いてから、はっきりと言う。


「村を出て、直進で百メートル先まで。一人で行け」


 空気が、ぴんと張り詰めた。


「一人で……?」


「リュミエルは来ない。レビウスもだ」


 理由は説明されなかった。

 でも、その言い方で察しはついた。


 ──試される。


 朝食は、妙に静かだった。

 スープの湯気が立ち上り、木製の匙が器に当たって、こつ、と音を立てる。その一つ一つがやけに大きく聞こえる。


 食後、シックス・ゴーストを手に取る。

 包帯の感触が、いつもより重く感じた。


「……行ってくる」


 リュミエルは何も言わず、ただ頷いた。


 森に入る。

 朝のエルフの森は静かで、鳥の声と葉擦れの音だけが続いていた。幸い、魔獣の気配はない。


 百メートル。

 指定された地点に辿り着くと、そこには先客がいた。


「……遅い」


 木にもたれて腕を組んでいる、レビウス=フェル=ノクス。


「歩けるようになっただけマシだろ」


「ふん。人間はすぐ弱音を吐く」


 開口一番、それだった。


「昨日もそうだ。無茶して、死にかけて、周りに迷惑かけて……」


 愚痴というより、吐き捨てるような言葉。


「……で?」


 俺が聞き返すと、レビウスは視線を森の奥へ向けた。


「これから討伐だ。条件は一つ」


 ぎらりと、金色の瞳がこちらを射抜く。


「A級魔獣ツリー・キングを、お前一人で倒せ」


 心臓が、どくんと鳴った。


「二足歩行で、人型に擬態する。だがそれは“人形”だ。本体は地中に潜っている。根を伸ばして刺す。速いぞ」


 説明はそれだけだった。


「……失敗したら?」


「死ぬだけだ」


 そう言って、レビウスは一歩下がった。


 森が、ざわりと鳴く。


 前方の木々の間で、人の形をした影が、ぬるりと立ち上がった。


「……あれか」


 剣を抜き、駆け出す。


 ガギィンッ、と刃が木の胴に食い込む。

 硬い。生木を斬っている感触だ。


「チッ……!」


 次の瞬間。


 ──ズブッ。


「ぐっ……!」


 足元から、何かが突き上げてきた。

 根だ。地面を割って伸びたそれが、ふくらはぎを貫く。


 じゅるっ、と嫌な音。

 温かいものが、靴の中に流れ込む。


「くそ……!」


 無理やり引き抜くと、肉が裂ける。

 血が飛び散り、地面にぽたぽた落ちた。


 人形は、何事もなかったかのように、また距離を取る。


 見失った。

 どこにいるかわからない。


 次の瞬間、背中に──


 ズンッ。


 衝撃と共に、息が詰まった。


「……ぁ」


 声にならない音が、喉から漏れる。


 何が起きたのか、理解するより先に、体の内側が“冷えた”のが分かった。

 次いで、遅れてくる異変。


 ドクッ

 ドクドクッ


 腹の奥から、何かが溢れ出す感覚。


「……?」


 一歩、前に出ようとして、膝が抜けた。


 ベシャッ


 地面に手をついた瞬間、初めて気づく。

 掌が、ぬるりと滑った。


 赤い。


 ――血だ。


 ゴボッ


 口の奥から、空気じゃないものが溢れた。

 咳き込もうとしても、肺が動かない。


 背中から、腹へ。

 太い“何か”が、一直線に貫いている。


 ズズズ……


 遅れて、根が引き抜かれる。


 その瞬間。


「――――ッ!!」


 声にならない絶叫。

 神経を直接掻きむしられるような激痛が、全身を駆け抜けた。


 血が噴き出す音が、はっきり聞こえた。


 ブシャッ

 ブシャブシャッ


 背中と腹、両方から。


 呼吸をしようとすると、胸が裂ける。

 息を止めても、内側が焼ける。


(……あ、これ……)


 知ってる。


 この感じ。


 視界の端が暗くなり、音が遠のいていく。

 耳鳴りが、鼓動と重なって、やたらとうるさい。


 ドクン

 ドクン


 心臓の音だけが、やけに大きい。


 体が、言うことを聞かなくなる。

 指先が、冷たい。


 地面の感触が、遠い。


(……死ぬな)


 そう思ったのかどうかも、もう曖昧だった。


 ただ――


 “ああ、またか”


 そんな感覚だけが、やけに鮮明だった。



 目を開ける。


 最初に感じたのは、痛みじゃない。


 重さ。


 体の内側に、無理やり何かを詰め戻されたような、嫌な違和感。


 次いで、遅れて――


「……ッ!!」


 痛みが、まとめて押し寄せた。


 背中。腹。肺。

 さっき貫かれた“線”をなぞるように、焼ける。


 ゴホッ!


 血を吐く。


 でも、止まる。


 致命傷じゃない。

 “もう死んでる”から。


 手をついて、体を起こそうとする。


 ガクッ


 力が入らない。


 震える腕。

 言うことを聞かない指。


 地面に落ちた自分の血が、まだ温かい。


「……っ、く……」


 呼吸するたび、肺が悲鳴を上げる。

 でも、吸える。吐ける。


 生きている。


 それを確認するまでに、やたらと時間がかかった。


 ズルッ

 ズルズル……


 腹を押さえながら、這う。


 立たなきゃいけない。

 そう分かっているのに、体が拒否する。


 さっきまで“終わり”だった場所から、

 また、ここに引き戻されている。


「……まだ、かよ……」


 震える脚に、無理やり力を込める。


 ガクガクと揺れながら、立ち上がる。


 視界が歪む。

 胃の奥が、ひっくり返る。


 それでも。


 剣を、握り直した。


 血で滑る柄を、強く。


(……次は)


 さっきより、少しだけ冷静だった。


 死んだ直後なのに。


 いや――

 死んだからこそ。


 ツリー・キングの影が、再び揺れる。


 俺は、もう一度、前に出た。

 次は、迷わなかった。


 体が小さい。

 軽い。

 ――なら、上だ。


 シグルは地面を蹴り、近くの木へ飛びついた。


 バッ

 ザザッ


 樹皮を掴み、枝を蹴って一気に高度を稼ぐ。

 視界の先、二足歩行の“人形”。


(今なら――)


 枝から、跳ぶ。


 ドンッ!


 人形の肩に飛びつき、そのまま首元に腕を回して固定する。

 ギシギシと、木の軋む感触。


「……捕まえた」


 そう思った、次の瞬間。


 ブチュッ。


 鈍く、湿った音。


 ――視界が、白く弾けた。


「?」


 考える暇すらなかった。


 ズブッ!!


 横から伸びた根が、こめかみから脳を貫通していた。


 衝撃は、ほとんど無い。

 ただ、熱と圧迫感だけが一瞬あって――


 プツン。


 音も、思考も、感情も。

 全部、そこで途切れた。



 ――目を開ける。


 今度は、早かった。


「……あ」


 呼吸がある。

 視界がある。


 死んだ、という事実だけが、遅れて追いつく。


(……頭、か)


 妙に冷静だった。


 そして、さっき見えた“もの”を思い出す。


 人形の足元。


 地面に、繋がっていた。


 ズズ……

 ズズズ……


 根。


「……そこか」


 再構築された体を引きずりながら、地面に視線を落とす。

 足元から伸びる根を、辿る。


 一本。

 二本。

 絡み合って、奥へ。


 地中。


 ――本体は、近い。


 その確信を得た瞬間。


 ブンッ!!


 空気を裂く音。


「――ッ!」


 反射的に跳ぼうとして、遅れた。


 ズシャァッ!!


 左脚が、根の一撃で切断された。


 痛みは、来ない。


 来ないまま。


 ドサッ


 地面に落ちてから、遅れて――


「――――ッ!!」


 焼ける。


 切断面が、焼けるように痛む。


 ブシャッ

 ブシャブシャッ


 血が噴き出し、土を濡らす。


 転がる視界の中で、切り落とされた自分の脚が見えた。


(……ああ)


 でも、考えている暇は無かった。


 ドドドドッ!!


 地面が、隆起する。


 次の瞬間。


 ズブッ

 ズブブッ

 ブチュッ


 無数の根が、地面から伸びて――


 肩。

 腹。

 胸。

 喉。


 全身を、串刺しにした。


「……っ……」


 声すら出ない。


 痛みは、ある。

 確かに、ある。


 でも――


(……さっきより、マシだな)


 そんなことを、思ってしまった。


 視界が、また暗くなる。


 血の音。

 根が肉を裂く音。


 ブチブチ

 ズブズブ


 その全部が、少し遠い。


 そして――


 3度目の“終わり”。



 目を覚ます。


 また、地面。


 体は、元に戻っている。


「……はぁ……」


 息を吐く。


 胸が痛む。

 でも、さっきほどじゃない。


(……慣れてきたな)


 自覚した瞬間、

 自分で自分が、少しだけ気持ち悪くなった。


 痛い。

 怖い。

 それでも――


 動ける。


 なら、続ける。


 シグルは、根の伸びる方向をもう一度見据えた。


 本体は、まだそこにいる。


 そして今度は、殺される前提で考え始めていた。


 ――どうすれば、辿り着けるか。


 死ぬことを、計算に入れながら。


根の走る方向は、もう読めていた。

地面のわずかな隆起、魔力の流れの歪み。


(……ここだ)


シグルは迷わず、地面へと跳び込むように踏み込む。

その手が、ようやくシックス・ゴーストの柄を掴んだ。


抜刀。


金属音が鳴るより早く、剣先を――地面へ突き立てる。


 ゴンッ。


硬い感触。

だが、それは“岩”じゃない。


次の瞬間、体の奥で何かが逆流した。


冥府無限廻。

三度の死。


溜まりきっていた“何か”が、一気に解き放たれる。


意識していない。

ただ、戻そうとしただけ。


剣を通して、地面が――


 抉れた。


ドン、という鈍い衝撃。

土も、石も、根もまとめて“噛み砕かれる”ように吹き飛ぶ。


まるで、見えない牙が地中から噛み上げたかのように。


地面が割れ、空洞が露出し――

その中心に。


サナギのような核。


脈打つ、醜悪な本体。


「……あった」


声は、やけに冷静だった。


シグルは剣を引き抜き、核へと狙いを定める。

これで終わりだ。


――だが。


 ズンッ。


背後から、風を切る音。


(あ)


避ける暇はない。


伸びた根が、胸を――

いや、体ごと貫いた。


 ゴリッ。


骨が砕ける感触。

肺が潰れ、息が詰まる。


それでも、視線は核から逸らさなかった。


剣が、手から零れ落ちる。


 カラン。


時間が、やけに遅く感じた。


落下するシックス・ゴースト。

回転しながら、真下へ。


――そして。


 ズブッ。


鈍く、確かな感触。


剣先が、核に突き刺さった。


次の瞬間、地鳴りのような悲鳴。

地中を支配していた魔力が、ぐちゃりと崩壊する。


根が、力を失い、折れ、崩れ落ちる。


シグルの視界が暗転する直前、

確かに見えた。


――完全な停止。


五度目の再構築。


シグルは、地面に仰向けで転がっていた。


「……終わった、か」


胸に手を当てる。

もう、刺されていない。


遠くで、何かが倒れる音。

木の人形が、糸を切られたように崩れ落ちる。


(……四回目)


そう数えてから、ふと気づく。


心臓は、もう最初ほど速くない。

呼吸も、落ち着いている。


――死ぬことが、

作業になりかけている。


その事実が、じわりと遅れて怖くなった。


でも。


「……倒せたなら、いいか」


そう呟いて、シグルはゆっくりと立ち上がった。


倒れ伏した木の残骸を一瞥してから、

足音が近づいてきた。


「……死にすぎだ」


レビウスだった。

腕を組み、見下ろす視線は相変わらず冷たい。


「そんなに何度も死んでおいて、この先――

 本当にリュミエルを守れるつもりか?」


刺すような言葉。

けれど、その直後、わずかに視線を逸らす。


「……だが」


一拍。


「一人でA級を落とした根性だけは認めてやる」


それ以上は言わない。

褒め言葉にしては、ずいぶん不器用だった。


「次に行く」


短く告げ、背を向ける。


次の討伐対象――

A級魔獣フィッシュ・グリフォン


ふざけた名前に反して、悪意の塊みたいな魔獣だ。


普段は水中に潜み、

獲物を見つけると――


跳ぶ。


10メートル先だろうが関係ない。

飛びつき、引きずり上げ、

空中で放り投げて、落として、

それを何度も繰り返してから喰う。


頭部はカジキのように鋭く、

羽はトビウオ、

小さな脚が四本。


――どう見ても、自然の悪ふざけ。


「条件を言う」


レビウスが淡々と告げる。


「俺は囮だ。引き寄せるだけ。

 攻撃も、防御もしない」


シグルは一瞬、言葉を失った。


「……つまり?」


「護衛しながら討伐しろ」


無茶、という言葉すら生温い。


水面が――


 バシャァンッ!!


爆ぜる。


影が、跳んだ。


「来る!」


シグルは即座に前へ出る。

レビウスを背後へ押しやり、

シックス・ゴーストを構えた。


 ゴンッ!!


頭部へ一閃。


だが――


「っ、硬っ……!」


刃が、弾かれる。

カジキ状の頭部は、骨というより岩だった。


フィッシュ・グリフォンは空中で身を捻り、

羽ばたきながら旋回する。


防ぐ。

守る。

切らせない。


シグルは完全に防衛に集中していた。


――その瞬間。


 ガブッ!!


「――っ!!?」


左足に、鋭い痛み。


歯が、食い込んだ。


 ミシッ。


骨が軋む音。


次の瞬間、

視界が一気に引き上げられる。


「……は?」


空。


地面が、遠ざかる。


フィッシュ・グリフォンが、

シグルを咥えたまま上昇していた。


「クッ……!」


剣を振ろうとするが、

噛みつく力が強すぎる。


そして――


 急降下。


「――――ッ!!」


風切り音が、悲鳴を掻き消す。


 ドンッ!!!!


衝撃。


世界が、砕けた。


 バキッ

 ミシミシ

 ゴキッ


腕、脚、肋骨、背骨。


全身から、同時に“折れる音”。


息が――出ない。


視界が白く弾け、

遅れて、激痛が爆発する。


 ズキッ

 ズキズキズキズキ


内臓が、潰れているのが分かる。


「あ……」


声にならない。


魔獣は、再び飛び上がろうとして――

シグルの体が、力なく地面に落ちた。


 ドサッ。


視界の端で、レビウスがこちらを見ている。


(……護衛、失敗だな)


そんなことを、どこか他人事のように思いながら。


痛みは、もう輪郭を失っていた。


――死亡。


一瞬の無音。


次の瞬間――

肺に、空気が流れ込んだ。


「……っ、はぁ……!」


息ができる。

視界が戻る。

再構築された身体が、地面に伏せた状態で完成する。


――また、生き返った。


水音。


視線を上げた瞬間、

フィッシュ・グリフォンが再び跳ねた。


標的は――

レビウス。


「くそ……!」


シグルは反射的に飛び出す。

魔獣の進路へ身体を割り込ませ、

標的を自分へ切り替えさせようとした――


その瞬間。


「……はぁ」


背後から、深いため息。


次の刹那、

レビウスが前に出た。


信じられない光景だった。


空中のフィッシュ・グリフォンの頭部に、

腕を回した。


「な――」


 ギリッ。


ヘッドロック。


そのまま――


 ドンッ!!


地面へ、叩きつける。


「……エルフだよな、お前……?」


思わず漏れたシグルの声を無視し、

レビウスは魔術を発動する。


地面が――

ズブッと沈んだ。


土が、泥に変わる。


次の瞬間。


 ボワァッ!!


泥が、炎へ変換される。


恐ろしく速い属性切り替え。

判断も詠唱も、無駄がない。


フィッシュ・グリフォンは、

悲鳴すら上げられず――


 ジュウウウウ……


焼け落ちた。


黒煙が立ち上る。


静寂。


レビウスは振り返りもせず、

冷たく言い放つ。


「今の攻撃」


一拍。


「リュミエルだったら死んでいたな」


シグルの胸が、ギュッと締まる。


「……お前のせいで」


ピキッ、と何かが切れた。


「……っ、関係ねぇだろ……!」


声が、少し荒れる。


「俺が死んだだけだ!」


レビウスは、ちらりと視線だけ向ける。


「それが問題だと言っている」


淡々と、追撃。


「最後の敵を討伐できなければ、お前は認めない」


そう告げて、歩き出す。


「次は――」


足を止めずに、説明が始まる。


「“自然の神”

 正式名称――《ロック・コング》」


シグルの喉が鳴る。


「縄張りに入った対象を、確実に殺す」


木々の奥。

空気が、重くなる。


「岩を纏った大型魔獣。

 全長は約十メートル」


ゴリラ。


いや、山だ。


「硬すぎて、物理斬撃は通らない」


絶望的な条件。


「俺はサポートだけだ。

 治癒、足止め、地形操作程度」


それでも十分すぎる――

そう思った自分を、すぐに後悔する。


「A級だが、実質はそれ以上。

 パワーだけならS級討伐難易度に近い」


普段は動かない。

ただ、寝ているだけ。


だが――


「縄張りに入った人型は、例外なく潰す」


レビウスが、止まる。


「覚悟はいいな」


一歩、踏み込んだ瞬間。


 ゴォッ!!


視界を埋め尽くす、岩。


「――ッ!?」


反応できない。


 ドンッ!!


頭が、潰れた。


思考が、途切れる。


――即死。


そして再構築。


今度は、木陰。


息を殺し、

枝と葉に紛れながら、慎重に移動する。


(……位置を、確認する)


だが――


 ゴンッ!!


すぐ隣の木が、砕けた。


「――なっ!?」


隠れている意味がない。


場所が――

常に、バレている。


 ゴォッ

 ゴォンッ

 ドガッ!!


岩が、次々に飛んでくる。


避けても、

逃げても、

必ず、正確に。


(……視界? 気配? それとも……)


考える暇はない。


 ドンッ!!


また、直撃。


骨が砕け、

内臓が潰れ、

世界が反転する。


――死亡。


死が、

もう“イベント”になり始めていた。


それでも。


(……まだ、終わってない)


次に立ち上がる時、

シグルはもう、

恐怖より先に思考を回していた。


岩が、雨のように降る。


 ゴォンッ! ドガァッ!!


レビウスは跳ぶ。

避ける。

同時に、地面へ魔術を叩き込む。


「――沈め」


地面がヌチッと歪み、

ロック・コングの足元が泥へ変わる。


一瞬だけ、動きが鈍る。


「今だ!」


その声よりも早く、

シグルは動いていた。


迷いはない。


岩に覆われた体表――

その隙間へ、

シックス・ゴーストをズブッと突き刺す。


「――っ!!」


刃が噛む。

両手で柄を握り、

落ちないように、必死にしがみつく。


だが――


無駄だった。


ロック・コングは、

まるで邪魔な虫を落とすように、

体を――


木へ擦りつけた。


 ガンッ!!


背中が、叩きつけられる。


 ゴギッ、バキィッ!!


骨が、悲鳴を上げる。


 ドンッ!!


もう一度。


視界が白く弾け、

四肢が、ありえない方向に折れた。


「――が……っ、ぁ……!!」


息ができない。

肺が潰れた感覚。


死ぬより――

遥かに、痛い。


地面に転がり、

悶えるシグルのもとへ、

レビウスが駆け寄る。


「動くな!」


掌が光る。


 ポゥ……


治癒魔術。


骨が戻る。

肉が繋がる。


だが――


痛みは、残る。


完全じゃない。

体が、重い。

思うように、動かない。


(……そうだ)


ふと、思い出す。


今朝。

リュミエルが、

自分の体に触れて、

黙って治癒魔術をかけてくれていたこと。


(せっかく……)


胸が、締め付けられる。


(あいつが、直してくれた体なのに)


(俺は……)


何回、無駄に死んだ?


自己嫌悪が、

胃の奥で渦を巻く。


その時。


 ドンッ!


横合いから、

小さな影。


E級の、

取るに足らない小型魔獣。


――体当たり。


「――っ!」


レビウスが、

バランスを崩して倒れる。


その瞬間。


影が覆った。


ロック・コングの、巨大な腕。


 ガシッ


レビウスの体が、

掴まれる。


地面へ――

叩きつけられる、その直前。


シグルの脳裏に、

嫌味が蘇る。


――死にすぎだ。

――そんなに死んで、守れるのか?


胸が、

パンパンに膨れ上がる。


怒り。

焦燥。

恐怖。

悔しさ。


全部、混ざって――


溢れた。


「……っざけんなぁぁぁッ!!」


理屈じゃない。


シグルは、

刺さりっぱなしのシックス・ゴーストへ

飛びついた。


意味がないと、わかっている。


わかっていて――


殴った。


 ドンッ!!


拳が、岩へ叩きつけられる。


次の瞬間。


 ズリィ……ッ


嫌な音。


硬いはずの岩が――

裂けた。


「……は?」


喰い戻し。


無意識に、

発動していた。


 ブチィィッ!!


レビウスを掴んでいた、

ロック・コングの腕が――


引き裂かれ、切り落ちた。


 ドォォォン!!


地面に、腕が落ちる。


コングが、

初めて――


悲鳴を上げた。


「――ギ、ギギァァァァッ!!」


激痛。


理解できない損傷。


シグルは、

その姿を見つめながら、

振り返る。


「……レビウス」


荒い息。


「投げろ」


一瞬の沈黙。


だが、

レビウスは頷いた。


地面が、

膨れ上がる。


 ドンッ!!


爆ぜるように弾け、

シグルの体が――


空へ放り出される。


風。


重力。


落下。


「――ぁぁぁぁッ!!」


落ちる勢いのまま、

拳を――


顔面へ。


 グシャァッ!!


岩に覆われた頭部が、

潰れた。


砕ける音。


 ベチャッ


脳が、

眼球が、

飛び散る。


ロック・コングは、

そのまま――


崩れ落ちた。


静寂。


息だけが、荒く残る。


シグルは、

血と岩片にまみれながら、

立っていた。


死に慣れた少年が、

初めて――


生きるために、怒った瞬間だった。



ありえない。


視界の端に、

小さな影が割り込んだ。


E級魔獣。

虫みたいな存在。

普段なら、意識にすら入らない。


だが――


ロック・コングに集中しすぎていた。


「――っ!」


気づいた時には、

体当たり。


足を取られ、

地面に転がる。


その瞬間、

影が覆い被さった。


巨大な手。


 ガシッ


胸が、冷たくなる。


(……ああ、死ぬな)


不思議と、恐怖はなかった。

長く生きていれば、

こういう瞬間が来ることもある。


――そう、思った。


宙に引き上げられた、その時。


視界の端に、

小さな影が飛び込んできた。


怒った顔。


歯を食いしばり、

理性をかなぐり捨てたような――


「……バカじゃないのか!?」


叫びそうになった。


あんなものに、

殴りかかって何になる。


次の瞬間。


 ブチィッ


音が、遅れて届く。


……え?


ロック・コングの腕が、

裂けていた。


切断。


理解が、追いつかない。


魔獣が、悲鳴を上げる。


混乱の中、

視線が合った。


シグル。


怒りを引きずったまま、

だが――


声は、妙に冷静だった。


「……投げろ」


言葉だけじゃない。

ジェスチャー。


命令。


一瞬、迷った。


だが――

体が、勝手に動いた。


地形変形。


地面を弾き、

少年の体を――


空へ。


次に起きたことは、

現実感がなかった。


落下。


拳。


 グシャァッ


硬いはずの頭部が、

潰れた。


脳と血が、

雨のように飛び散る。


 ベチャッ


自分の顔に、

生温かいものがかかる。


……終わった?


視線を戻すと、

シグルは淡々と、

シックス・ゴーストを引き抜き、

鞘へ戻していた。


何事もなかったように。


――ただ、立っている。


理解できなかった。


だが、

目を逸らせなかった。



――シグル視点


手を、見つめる。


べっとりと、

魔獣の血。


乾きかけて、

黒く変わり始めている。


(……また、やったな)


助けたつもりは、なかった。

ただ――

腹が立っただけだ。


「……シグル」


声。


振り返る。


レビウスが、

こちらを見ていた。


いつもの嫌味は、ない。


「……助かった」


短い言葉。

だが、

重い。


「……感謝する」


一瞬、言葉に詰まる。


あれは、

善意じゃない。


それでも。


「……ああ」


短く、返す。


「礼なら……受け取っとく」


レビウスは、

わずかに目を細めた。


「結果だ」


真っ直ぐ、告げる。


「お前が、リュミエルと旅に出ることを――

 冒険者として、パーティーを組むことを認める」


胸の奥が、

少しだけ――

軽くなる。


「……ありがとう」


「勘違いするな」


すぐに、いつもの口調。


「死にすぎだ。そこは変わらん」


それでも。


背を向ける、その姿は、

もう――

拒絶していなかった。



エルフの森。

村の入り口。


そこに、

リュミエルが立っていた。


血塗れで、

ボロボロなシグルが、

手を振る。


「……ただいま」


次の瞬間、

駆け寄ってくる。


「バカ!!」


抱きつかれ、

胸に顔を押し付けられる。


「心配した……!」


「……ごめん」


結果を伝えると、

リュミエルは一瞬きょとんとして――


次に、

ぱっと表情が弾けた。


「ほんと……!?」


レビウスが、頷く。


「許可する」


それだけで、

十分だった。


リュミエルは笑った。


血と死と、

狂気の先で。


――ようやく、

旅の始まりが、認められた。

そしてプログダのもとへ向かう。


村の中心にある長屋は、

相変わらず静かだった。


戦争を越えた木々の匂い。

年を重ねた魔力の残滓。


「入れ」


低く、しわがれた声。


中に入ると、

プログダは椅子に腰掛け、

杖に両手を添えていた。


その視線が、

シグルをまっすぐ捉える。


「……戻ったか、黎明の子よ」


「はい」


隣で、リュミエルが一歩前に出る。


「長。

 私たち……パーティーを組む許可を、レビウスから貰いました」


一瞬の沈黙。


それから――

プログダは、深く息を吐いた。


「そうか」


しわだらけの顔が、

ほんの少しだけ緩む。


「祝福しよう」


杖を、床に軽く打ち付ける。


「だが――

 同時に、警戒せよ」


空気が、引き締まる。


「黎明の名を継ぎ、

 冥府無限廻を宿す者が動けば、

 必ず“何か”が動き出す」


視線が、

さらに鋭くなる。


「これは忠告だ。

 祝福と同時に、呪いでもある」


その言葉を、

シグルは黙って受け止めた。


そして――

一歩、前に出る。


「……長」


「なんじゃ」


「200年前に、

 先代の冥府無限廻保持者に会ったって言ってましたよね」


プログダの目が、

わずかに見開かれる。


「俺が出した攻撃について……

 何か、知ってますか?」


静かに、続ける。


「魔獣事件の時も。

 ツリー・キングの時も。

 ……コングにトドメを刺した時も」


「普通じゃない斬撃みたいなものが、

 確かに“出てた”んです」


しばらく、

沈黙。


やがて――

プログダが、懐かしむように笑った。


「……やはりか」


視線が、遠くを見る。


「200年前……

 わしも、同じものを見た」


杖を、ゆっくりと握り直す。


「名は――

 喰い戻し《リバース・ファング》」


その名が、

静かに落ちる。


「冥府無限廻はな、

 死んだ分だけ、魔力を溜め込む」


「それを一気に放出すると……

 牙で引き裂いたような、

 “ありえん破壊”を生む」


プログダは、

首を振った。


「だが、

 わしが知っているのは、ここまでじゃ」


「先代も、

 最後まで“全容”は掴めんかった」


鋭い目が、

シグルを射抜く。


「ゆえに――

 あとは、自分で研究せよ」


「使い方を誤れば、

 力は牙を剥く」


「敵にではない。

 ……お前自身にな」


重い沈黙。


それでも――

逃げ場は、なかった。


「……わかりました」


短く、答える。


プログダは、

満足そうに頷いた。



――帰路、そして夜


リュミエルと並んで、

家へ戻る。


森の夜は、

どこか優しい。


「……色々あったね」


リュミエルが、笑う。


「ああ」


家に着くと、

パリーとヒュートが待っていた。


報告をすると、

二人は顔を見合わせ――


「よく生きて帰ってきた!」


「今日は歓迎会よ!」


即決だった。


食卓には、

久しぶりの温かい料理。


笑い声。


他愛もない会話。


相変わらず――

レビウスの席は、空いていたが。


それでも。


剣も、血も、

死もない時間。


戦闘の後の、この静けさは――

確かに、幸せだった。


シグルは、

湯気の立つ皿を見つめながら、思う。


(……守りたいな)


この時間を。


この場所を。


そして――

隣で笑う、彼女を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る