第3話 「死にたかった」



森に足を踏み入れて、しばらく経った。


背後には、もう人の気配はない。

家も、道も、すべて木々の間に飲み込まれていった。


「……静かだね」


リュミエルが、そう言った。


確かに、静かだった。

風が葉を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけ。

魔獣の唸りも、獲物を狙う視線も感じない。


「エルフの森に近いからな」


俺はそう答えながら、足元の根を避けて歩く。

体が小さくなってから、森の地形がやけに大きく感じる。

一歩一歩が、少しだけ慎重になる。


「この辺りは、昔からあまり魔獣が寄りつかないの」


リュミエルは、慣れた足取りで進みながら続けた。


「エルフの結界……ってほど大げさじゃないけど、

“ここは危ない”って分かるみたい」


「へぇ……」


感心したように返しながら、内心では別のことを考えていた。


――でも、森は生き物だ。

気分が変われば、簡単に牙を剥く。


それを、俺は一度知ってしまっている。


「ねえ、シグル」


リュミエルが、少し後ろから声をかけてきた。


「さっきから、歩くの早い」


「……そうか?」


「うん。置いてかれそう」


振り返ると、彼女は少しだけ不満そうな顔をしていた。

それを見て、思わず苦笑する。


「悪い。癖だ」


父と修行していた頃も、こうして森を歩いていた。

“立ち止まるな”“考えるな”“先を見ろ”

身体に染みついたものは、簡単には抜けない。


歩調を落とすと、リュミエルはすぐ隣に並んできた。


「……その剣」


視線が、俺の腰元に向く。


正確には、剣じゃない。

包帯を外したまま、布で簡易的に巻いただけの短剣――シックス・ゴースト。


「やっぱり、怖い?」


俺が聞くと、彼女は一瞬だけ言葉に詰まった。


「……怖い、というか」


少し考えてから、正直そうに言う。


「見てると、胸の奥が落ち着かなくなる」


「そっか」


否定も、言い訳もしなかった。

俺自身、同じ感覚を抱いている。


沈黙が流れる。


でも、不思議と重くはない。


「……でもね」


リュミエルが、ぽつりと続けた。


「それでも、今は……一緒に歩けてるから」


横を見ると、彼女は前を向いたまま、耳が少し赤くなっていた。


「……それで、いいかなって」


その言葉に、胸の奥がわずかに緩む。


「……ああ」


短く返す。


それ以上、言葉はいらなかった。


森は、まだ優しい顔をしている。

陽光は葉の隙間から差し込み、足元を淡く照らしている。


――このまま、何も起こらなければいい。


そんな考えが、頭をよぎった瞬間。


俺は、背筋を撫でるような違和感を覚えた。


空気が、変わった。


音が――減った。


鳥の声が止み、風の流れが不自然に途切れる。


――その瞬間だった。


ピキッ


何かが、軋む音。


「……止まって」


リュミエルの声が一段低くなる。

空気が張り詰め、彼女の耳が僅かに動いた。


「前方と左。あと……後ろにも。三、いや……四体以上」


言い切るより早く、森が“動いた”。


バサァッ!!


樹皮の影が弾け、黒褐色の獣が空中に躍り出る。

長く突き出た牙、地面を削るほど発達した前脚。


――ウッドドッグ。


「っ!」


咄嗟に後ろへ跳ぶ。

だが、距離感が狂った。


身体が軽い。

いや、違う。


小さい。


踏み込みが浅く、反応が半拍遅れる。


ガキッ!!


牙が肩口を掠め、ブチッと布が裂ける音がした。

続いて、ズキンと鈍い痛み。


「くっ……!」


血が一筋、腕を伝って落ちる。

浅い。だが確実に皮膚は裂けていた。


獣は着地と同時に向きを変え、再び一直線に突進してくる。

思考が追いつくより早く、身体が反応する。


ザッと横へ転がり、地面に落ち葉が舞う。

次の瞬間、背後の木に**ゴギッ!!**という嫌な音。


牙が幹に深く突き刺さっていた。


「……単調だ」


同じ角度、同じ速度、同じ狙い。

知能が低い――その通りだった。


だが、油断はできない。


ガサッ、ガサガサッ


左右の茂みが揺れる。

二体、三体と影が増えていく。


一体が跳びかかる。

避ける。

別の一体が横から噛みつこうとする。


ガッ!


前脚が掠り、太ももにヒリッとした痛み。

切り傷。致命傷じゃない。


――まだ、耐えられる。


剣を抜こうとして、躊躇する。

鞘に収まったままの“それ”は、まだ見せるべきじゃない。


「数が……多い」


呟いた声は、自分でも驚くほど冷静だった。

死にたいなんて、まだ思っていない。


この程度なら、倒せる。

倒せるはずだ。


だが、森の奥で、さらに大きな揺れが起きる。


ドサッ……ドサドサッ……


地面を踏み鳴らす、重い足音。


リュミエルが一歩、シグルの背後に下がる。


「……増援、来る」


――空気が、変わった。ウッドドッグも気迫に負けて退散したようだ。


さっきまでの魔獣とは違う。

足音がない。

呼吸音も、威嚇も。


ただ、視線だけが増えていく。


「……囲まれてる」


言葉にした瞬間だった。


ドンッ!!


正面から一体が突っ込んでくる。

反射的に身構え、剣を振る――


ガキィン!!


確かに、当たった。

だが、手応えがない。


かわされた?

いや、読まれている。


次の瞬間、


「リュミエル!!」


背後――

最初に突っ込んできた個体は囮だった。


横から、いや、背後のさらに奥。

低く、静かに跳ぶ影。


狙いは最初から一つ。


ガッ!!


リュミエルに飛びかかる巨体。


考える前に体が動いた。

剣を捨て、無理やり距離を詰める。


ギリッ!!


掴んだ。


尻尾。


――硬い。


ザリッ、ザリザリッ!!


掌に嫌な感触。

木の外皮みたいに、ささくれだった表面が皮膚を削る。


「っ……!!」


ブチッ


肉が裂ける感覚。

指の隙間から血がドバッと溢れた。


尻尾を引っ張ると、魔獣は地面を蹴って距離を取った。


ザッ……ザザッ


一斉に、同じ動き。


そこで初めて全貌が見えた。


狼だ。

ただし、知っているそれじゃない。


通常の狼より一回り――いや、二回りは大きい。

肩までの体高は大人の胸元ほど、体表は苔と樹皮を思わせる暗緑色。

筋肉の上に重なる毛並みは硬く、森に溶け込むように光を吸っている。


赤く濁った瞳が、こちらを“測って”いた。


「……フォレスト・ウルフ」


知らず、名が零れた。


輪を描くように配置されたその数。

正面だけじゃない。左右、背後、木の上。


逃げ道は――最初から、ない。


次の瞬間。


ガッ!!


足に、衝撃。


ゴリッ!!


鋭い牙が脛に食い込む。


「――ッ!!」


痛みを認識する前に、体が浮いた。


噛み付いたまま、振り回される。


ブンッ!! ブンッ!!


景色が上下に反転し、次の瞬間、


ゴンッ!!!


背中から地面に叩きつけられた。


息が、抜ける。


「……っ、ぐ……」


視界がチカチカと瞬き、音が遠ざかる。


だが、止まらない。


ドンッ! ゴンッ!


もう一度。


骨が悲鳴を上げる。


ミシッ


脳が揺れ、思考が飛びかける。


それでも――


歯を食いしばり、噛み付いた顎を蹴り上げた。


ドゴッ


牙が外れ、体が転がる。


血が脚を伝ってダラッと落ちる。

立とうとして、膝が震えた。


――立て。


背後に、リュミエルがいる。


それだけで、体が言うことを聞いた。


ふらつきながら、剣の柄に手をかける。


今まで、抜かなかった。


抜くべきじゃないと、どこかで分かっていた。


それでも。


カチャ……


鞘から、刃を引き抜く。


その瞬間。


――空気が、沈んだ。


黒い。

禍々しい気配が、背中からゾワリと溢れ出す。


まるで、影が増えたような錯覚。


フォレスト・ウルフたちが、一斉に動きを止めた。


低く唸り、距離を取る。


警戒。

明確な、恐怖。


「……来いよ」


声は、掠れていた。


一拍。


ドンッ!!


再び、襲いかかる。


さっきよりも速く、

さっきよりも正確に。


学習している。


それでも、もう引かない。


血と痛みと恐怖を引きずったまま、

シグルは剣を構えた。


刃を振るうたび、黒い残光が走る。


ザンッ!!


一匹のフォレスト・ウルフの肩口が裂け、血がブシャッと噴き出した。

確実に、効いている。


――はずだった。


次の瞬間、別の個体が踏み込んでくる。


ガッ!!


牙が、今度は腕に食い込んだ。


ギリギリギリッ


噛み砕こうとする力。

骨がミシッと悲鳴を上げる。


「……ッ!!」


無理やり剣を振り抜き、顔面を切り裂く。


ズバァッ!!


だが、倒れない。


距離を取った残りの群れが、動きを“記憶”したように散開する。

同じ角度、同じ踏み込みは、もう通らない。


一匹が囮。

二匹が死角。

一匹が、リュミエルへ――


「させるかよ……ッ!!」


踏み込もうとして、脚がもつれた。


グラッ


その一瞬。


ドンッ!!!


体当たり。


肺の空気が一気に吐き出され、

視界がバチッと白く弾ける。


地面を転がる。


ゴロゴロッ


背中、腹、顔――

無数の衝撃。


起き上がろうとした瞬間、


ガブッ!!


肩。


次は、


ガッ!!


太腿。


噛み付いたまま、引き倒される。


「……ぐ、ぁ……」


剣を振る。


ザンッ! ザンッ!


血は出る。

肉は裂ける。


それでも――数が、違う。


前から、横から、後ろから。


牙。

爪。

体当たり。


ズシッ! ドゴッ! バキッ!


骨が折れる音が、はっきりと聞こえた。


膝が、崩れる。


ドサッ


地面に倒れ込んだ瞬間、

喉元に影が落ちた。


牙が、迫る。


――殺される。


そう思った、刹那。


ギリ……


止まった。


あと数センチで、喉に届く距離。


フォレスト・ウルフの生臭い息が、顔にかかる。

牙の隙間から垂れる唾液が、ぽたりと顎に落ちた。


その瞬間だった。


ズンッ


鈍い音。


次いで、


バシャッ


熱いものが、顔面に叩きつけられる。


血だ。


ウルフの体が、ビクンと跳ねたまま固まる。

喉元で止まっていた牙が、微かに震える。


シグルの視界に映ったのは――

片目に、深々と突き刺さった一本の矢。


眼球を貫き、後頭部まで抜けたそれは、ぴくりとも動かない。


「……ぁ……?」


理解するより早く、


ドサッ


フォレスト・ウルフの巨体が、真横に崩れ落ちた。


血が、ドクドクと溢れ、

そのままシグルの頬を伝って地面に落ちる。


次の瞬間。


ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!


風を裂く音。


残ったウルフの一匹が跳躍した瞬間、

空中で――


ズドンッ!!


胸部が、内側から爆ぜた。


焼け焦げた肉の匂い。

魔術だ。


別の個体が森に逃げようとした刹那、


ガツッ!


首元に矢。


さらに、


ドッ、ドッ、ドッ!!


正確すぎる連射。

喉、脚、心臓。


悲鳴すら上げられず、次々と倒れていく。


戦いは――

一瞬で、狩りに変わった。


森が、静まり返る。


血の滴る音と、

燃え残った肉がパチパチと弾ける音だけが残る。


やがて。


サッ……サッ……


枝を踏む音。


頭上の木々から、人影が降りてくる。


軽やかに、音もなく。


――エルフだ。


弓を背負った者。

短剣を構えた者。

魔力を纏った者。


その中の一人が、シグルの前に立った。


銀緑色の髪。

鋭い目。


そして、その手には――

さっきの矢と同じ意匠の弓。


「……遅れた」


低く、短い声。


リュミエルが、はっと息を呑んだ。


「……兄さん」


その一言で、空気が変わる。


彼――リュミエルの兄は、倒れたシグルを見下ろし、

ほんの一瞬だけ、眉をひそめた。


だが、次の瞬間。


エルフ達が、一斉に弓を構える。


ギリ……


弦が引き絞られる音。


「人間の子だ」

「この森に踏み入った」

「危険だ」


冷たい視線。


殺す気だ。

迷いがない。


矢先が、シグルに向く。


意識が遠のく中、

それでも、分かった。


――ここで、終わるのか。


その時。


「やめて!!」


リュミエルが、叫んだ。


前に出て、両手を広げる。


「この人は……!」

「黎明の人よ!!」


空気が、凍りつく。


「……黎明?」


誰かが、呟く。


兄の目が、わずかに見開かれた。


「……まさか」


視線が、シグルの腰――

血に濡れた鞘へ向く。


そして、背後に残る、

禍々しい気配の残滓。


数秒の沈黙。


やがて。


スッ……


一本、また一本と、弓が下ろされる。


「……弓を下げろ」


兄の命令だった。


「この子は、敵じゃない」


張り詰めていた殺気が、すっと消える。


シグルの意識が、完全に落ちる直前。


誰かの手が、胸に触れた。


温かい光。


じわ……


痛みが、薄れていく。


折れた骨が、

裂けた肉が、

無理やり“繋ぎ止められる”感覚。


「……生きてる」

「間に合った」


遠くで、そんな声がした。


体が持ち上げられる。


担がれて、揺れる。


森の匂いが、近づいて、離れていく。


(……あぁ……)


もう、限界だ。


死ねなかった。

でも、今は――


「……疲れた……」


それだけを最後に、

シグルの意識は、すとんと闇に落ちた。


誰かに、背筋を――

**すう……**と、なぞられたような感覚。


次の瞬間、ぞわっと悪寒が走った。


「……っ」


息を吸い込んだ拍子に、胸がひくりと痛む。

瞼を開くと、視界いっぱいに淡い緑色の天井――生木を組んだ、見知らぬ家屋だった。


「……?」


思考が追いつかない。


体は重く、足の先がまるで他人のものみたいに遠い。

指先を動かそうとして、そこで気づく。


――手を、握られている。


視線をずらすと、そこにいた。


「……っ、シグル……!」


リュミエルだった。


目元は赤く、今にも涙がこぼれそうで、

必死に感情を押し殺しているのが一目で分かる表情。


一瞬、何が起きたのか分からなかった。


森。

ウルフ。

牙。

血。

矢。


記憶が、バラバラに繋がり始めた、その瞬間。


「……目、覚ました……?」


俺が小さく瞬きをしただけで、

彼女はそれを“答え”として受け取ったらしい。


「……っ!」


次の瞬間、ぎゅっと抱きつかれる。


小さく震える肩。

額が胸に押し当てられて、温もりと同時に――嗚咽。


「……よかった……」

「ほんとに……よかった……」


声が、掠れていた。


背中に腕を回そうとして、

ズキッと走る鈍痛に、思わず息が詰まる。


「あ……」


それに気づいたリュミエルが、慌てて身を離した。


「ご、ごめ……!」


「……いや……」


喉が、ひどく渇いている。


「……生きてる?」


間の抜けた問いに、

リュミエルは一瞬きょとんとして――すぐに、泣き笑いになる。


「……うん」

「しぶとすぎ」


そのやり取りを、扉の向こうから眺めていた影が、一つ。


「目が覚めたか」


低く、落ち着いた声。


振り向くと、そこに立っていたのは――

あの矢を放ったエルフ。


リュミエルの兄。


「レビウス=フェル=ノクスだ」


短く名乗ると、俺の状態を一瞥する。


「両足骨折。肋にひび。内出血多数」

「……よく死ななかったな」


褒めてるのか、呆れてるのか分からない言い方だった。


「村を案内する」

「……と言っても、歩けないだろ」


そう言って、迷いなく背を向ける。


「背負う。掴まれ」


有無を言わせない調子。


リュミエルが何か言いかけたが、

結局、何も言えずに俺の手を離した。


次の瞬間、体が持ち上げられる。


「……うわ」


「暴れるな。落とす」


背中は広く、硬く、揺れが少ない。

戦場慣れした動きだった。


木の橋。

螺旋状に組まれた樹上通路。

エルフの村は、森そのものに溶け込んでいた。


視線の先。


一際大きな古木の下に、

威圧感の塊みたいな人物が立っている。


――エルフの長。


「……来たか」


しわ深い顔。

頬から顎にかけて走る、大きな古傷。


年齢は、推定七百五十。

だが、外見は六十前後。


その眼だけが――

明らかに“戦争を知っている”目をしていた。


「わしは、プログダ」

「この森の長じゃ」


俺を見るなり、口元を緩める。


「……黎明家の者か」

「よくぞ、生きて来た」


歓迎の言葉。

だが、その直後――

ほんの一瞬、苦い表情が混じったのを、俺は見逃さなかった。


「……同時に、よう来てくれたとは言い難いがな」


重い沈黙。


その前に、レビウスと――他のエルフ達が揃って、頭を下げた。


「妹を、守ってくれた」

「礼を言う」


その光景に、リュミエルが目を見開く。


「ちょ、ちょっと……!」


「事の経緯を話せ」


プログダの一言で、場が締まる。


森でのこと。

魔獣の異常発生。

旅の途中だったこと。

冒険者になる予定だったこと。


そして――

リュミエルと、パーティーを組むつもりだという話。


その瞬間。


「……は?」


レビウスの表情が、露骨に歪んだ。


「冗談だろ」


「冗談じゃない!」


リュミエルが、即座に食ってかかる。


「兄さん、聞いてたでしょ!?」

「この人がいなかったら、私は死んでた!」


「だからだ!」


声が、強くなる。


「こいつは呪われてる!」

「死に続ける人間だぞ!」


空気が、張り詰める。


「そんな人と一緒に戦えって?」

「正気じゃない!」


「正気よ!!」


リュミエルの声が、震える。


「一人で背負わせる方が、よっぽどおかしい!」


言い返そうとしたレビウスの声を――

ドンと、杖が地面を打つ音が遮った。


「そこまでじゃ」


プログダが、低く言う。


「この話は、ここまで」


二人とも、言葉を飲み込んだ。


「リュミエル」

「お前の両親を呼んでこい」


穏やかな口調だが、逆らえない響き。


「……分かりました」


リュミエルは一度だけ俺を見てから、踵を返した。


残された空気は、まだ重い。


プログダは俺を見下ろし、静かに言う。


「ここから先は、家族の話じゃ」

「……覚悟しておけ、黎明の子よ」


プログダの低い声が、木造の長屋に静かに落ちた。

脅しのようでいて、不思議と敵意はない。ただ“重み”だけがあった。


シグルは背中を背もたれに預けたまま、喉を鳴らす。


「覚悟、ですか……」


沈黙が落ちる。

何も話さないのは、さすがに気まずかった。


「……あの。長は、おいくつなんですか」


自分でも唐突だと思ったが、口は勝手に動いた。


プログダは一瞬だけ目を細め、それからふっと口角を上げた。


「さてな。正確な年は忘れたが……七百五十前後だ」


「……は?」


シグルは素で声を漏らした。

エルフが長命なのは知っていたが、“七百五十”は想定の外だった。


「七百……五十……?」


「長く生きると、数える意味も薄れる」


まるで昨日の天気を語るような口調だ。

シグルは思わず乾いた笑いをこぼした。


「……人間だったら、伝説どころじゃないですね」


「伝説か。ならば——」


プログダは視線を遠くにやる。


「二百年前、お前の先代……冥府無限廻の保持者と、わしは会っている」


空気が変わった。


「……先代、に?」


「似ておるよ。目の奥の色がな」


シグルは言葉を失った。

質問が喉まで出かかった、その時だった。


「長!」


扉が開き、リュミエルが息を切らして戻ってくる。


「両親を連れてきました!」


続いて入ってきたのは、二人のエルフ。


柔らかな雰囲気を纏った女性が、ヒュート=フェル=ノクス。

その隣に立つ、落ち着いた威厳のある男性が、パリー=フェル=ノクス。


二人はシグルを見るなり、はっきりと固まった。


「……子ども?」


ヒュートが思わず呟く。


「リュミエルから“パーティーを組む”と聞いていたが……」


パリーは視線を落とし、困惑を隠さなかった。


「七歳……いや、それ以下にも見える」


「……あ、えっと」


シグルは慌てて言葉を選ぶ。


「十二、です。人間換算で」


「十二……?」


部屋の空気が、さらにざわついた。


話を戻すように、シグルは深く息を吸う。


「俺は、冥府無限廻の保持者です。

それと……リュミエルとは、かなり前から関わりがありました」


その瞬間。


「ふざけるな」


低く、刺すような声。

レビウスだった。


「そんなガキと、妹がパーティーだと?」


「兄さん!」


リュミエルが即座に噛みつく。


「シグルは命を懸けて私を守ってくれた!」


「だからなんだ!」


レビウスの視線は、明確な拒絶を帯びていた。


その時、パリーが一歩前に出る。


「……条件を出そう」


全員が息を呑んだ。


「体を回復させた後、レビウスと共に

A級魔獣を三体討伐できたなら——パーティーを認める」


「は?」


「……は?」


その場にいたほぼ全員が、同時に声を漏らした。


レビウスでさえ、一瞬言葉を失う。


「なんでコイツと!?」


苛立ちを隠さないレビウスに、パリーは静かに言い返す。


「お前についていけるほどの能力があるなら、

冒険者として問題はないだろう?」


「……っ」


レビウスは舌打ちし、視線を逸らした。


「……勝手にしろ」


そう吐き捨てると、踵を返す。


「今日は解散だ。

俺はコイツと飯なんて食わん」


「兄さん!」


呼び止める声も無視して、レビウスは森へと消えていった。


重たい沈黙が残る。


やがて、パリーがため息混じりに言う。


「……今日は、私の家に泊まるといい」


シグルは小さく頷いた。


「……行こうか」


そう言って、パリーがしゃがみ込む。


「え、あの」


「気にするな。慣れている」


有無を言わせない声に、シグルは観念して背中に身を預けた。

大きな手が太腿の裏を支え、すっと持ち上げられる。


想像以上に安定していた。


森の中を進む。

夜の気配が濃く、葉擦れの音が静かに続く。


しばらく無言が続いた後、パリーがぽつりと口を開いた。


「……レビウスの態度、気にしているだろう」


「まぁ……正直、はい」


パリーは歩調を変えず、淡々と語る。


「アイツはな……幼い頃、人間の子供たちに囲まれて、

理由もなく殴られ、蹴られた」


シグルの背中が、わずかに強張る。


「リンチだ。

止めに入る大人が来るまで、ただ耐えるしかなかった」


森の音が、遠く感じられた。


「それ以来、レビウスは人間を憎むようになった。

理屈じゃない……記憶が、感情を縛っている」


一拍、間が空く。


「お前が黎明の血筋だと、アイツは理解している。

だがな……」


パリーは少しだけ声を落とした。


「今のお前の“見た目”が、

あの頃の子供たちと、あまりにも重なってしまった」


シグルは何も言えなかった。


「それでもだ」


パリーは続ける。


「レビウスは、嫌な奴じゃない。

家族と仲間を守る時は、本気で命を投げ出す男だ」


少しだけ、誇らしげに。


「……時間が必要なだけだ」


森を抜け、柔らかな灯りが見えてくる。

リュミエルの家だった。



家に入ると、空気が一変した。


「さ、座って。すぐ夕食にするから」


ヒュートが手際よく動き、香ばしい匂いが漂い始める。


テーブルを囲み、久しぶりの“普通の時間”。


「シグル、森はどうだった?」


「思ったより……地獄でした」


「でしょうね」


軽い笑いが起きる。


リュミエルも、どこか安心したように表情が柔らかい。


その時、ヒュートが何気ない顔で言った。


「で?」


嫌な予感がした。


「もう、ヤったの?」


「ぶっ!!?」


リュミエルが盛大にむせた。


「ち、ちがっ……! なに言ってるの母さん!!」


「えー?」


ヒュートは楽しそうだ。


「だってずっと一緒に行動してたんでしょう?」


「してない! そういうのじゃない!」


リュミエルの耳が真っ赤になる。


シグルは完全に思考停止していた。


パリーはというと、黙々と食べている。

慣れているのだろう。


なんだかんだで食事は終わり、

久しぶりの“日常会話”に、時間は穏やかに流れた。



夜。


寝室で着替えを済ませ、布団に向かう。


体が限界だった。


その時、リュミエルが小さな声で言う。


「……シグルなら、別に良いんだよ?」


意味深な間。


「え?」


聞き返そうとした、その瞬間。


——意識が、ぷつりと落ちた。


「……もう寝てるし」


リュミエルは呆れつつ、

それでも小さく微笑んだ。


こうして、

嵐のような一日が終わった——

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