最終バス

緋雪

最終バスに乗った

「あ〜、間に合わなかった……」

十字路を曲がった先にあるバス停に停まっていたバスが、あと20メートルという距離で発車してしまった。

 これが最終バス。これを逃せば、家までタクシーだ。3,000円はかかる。さっきの飲み会で払った額が4,500円。それはちょっと痛すぎる。


 見ると、バスは、バス停を出てすぐの信号でひっかかっている。確かあの信号はすごく長くて……私はそのちょっとだけ左側を見た。歩道橋。行けるか?

 次のバス停までは700メートルくらいしかない。うまくいけば、次で乗れるかもしれない。

「よし」

私はハイヒールを脱いで抱えた。11月の道路は流石に冷たい。一足250円のストッキングは、この際犠牲にするしかあるまい。


 元陸上部の血が騒ぐ。

 オンユアマーク……レディ、ゴー!!

 走り出す。

 真夜中の街を走るのは初めてだ。街灯の灯りが後ろにとんでいく。

 階段! 毎朝神社の階段で鍛えた足だ。なんてことはない。上れ、そして下れ! おっと、下りのほうが危ないから気をつけて。

 地上に降りてから後ろを見た。バスの進行方向と逆の信号が点滅し始めた。

「はやく!」

 次のバス停まで300メートル。


 「ハァ、ハァ、ハァ」

 あとちょっとのところで、バスに追いつかれてしまった。必死で走る私の横を、無情にもバスは通り過ぎる。そう、電車と違って、バスは乗降者がいなければ、停留所はスピードダウンせずに通り過ぎてしまう。

「待って! 待って! 待って〜〜!」

 私は必死にバスに向かって手を伸ばした。


 カチカチカチカチ

 停留所から少し走ったところで、バスが止まった。

 私は思わず駆け寄る。

「乗りますか?」

 運転手が抑揚のない声で私に尋ねた。

「の、乗ります! 乗せてください!」

 私は必死で縋り付く。

「では、後方入り口からどうぞ」

 そう言うと、運転手は後部ドアを開けてくれた。


 バスの中央部より少し前に座る。

 丁度、暖房の吹き出し口があって、かじかんだ足を温めてくれる。少し、そのまま足の感覚が戻るのを待って、私は靴を履いた。

「痛っ」

足の裏で小石でも踏んだかもしれない。小さな傷ができているのがわかった。

 足の冷たさとは裏腹に、上半身は大汗をかいている。慌ててハンカチを出して顔や首筋を拭いた。


 深夜のバスは乗客が少なく、寝ている人もいる。若い男の人はキョロキョロとバスの中を見回していた。いつの間にか、気が付けばそこにいたかのように。

 信号待ちで止まった時、前のシルバーシートに座っていたお婆さんが、

「あんた、おみかん食べるかい?」

そう言って、私にみかんを渡して、席に戻った。

「あ、ありがとうございます」

私はありがたく頂いたけれど、その場では食べなかった。


 そのうち、睡魔がやってきて、ウトウトしてしまう。

 コロン。手に持っていたみかんを落として慌てて拾う。そのままバッグの中にしまった。

 それにしても ―――バスの中の人数は変わらない。全然バス停に停まる様子がないのだ。

 私は、そっと周りを見渡した。さっきから眠っているおじさんは眠ったまま。キョロキョロしていた男性は、座って俯いている。シルバーシートのお婆さんは、パリッパリッと小さな音を立てながら、お煎餅を食べていた。

 皆、そんなに遠くまで帰るのだろうか? いや、この路線の終点は、山の中。確か、なんとかいう寺の近くだ。そこでUターンしてバスは駅に戻る。一度大いに寝過ごして、終点で起こされ、謝って無理を言って、Uターンするバスに乗せてもらって帰ってきたから、よく覚えている。


 ヒヤリとした汗が背中を流れた。


「山辺1丁目、次は山辺1丁目に止まります。お降りの方はボタンでお知らせください」

 自分の降りる停留所の手前で、車内放送が流れた。他で流れただろうか? そんな馬鹿なことはあるまい。意識していなかったからに違いない。そう思いながら、私はボタンを押した。

「次、止まります」

放送が流れ、私は金額を確認し、バスの交通ICカードを用意した。


 しかし、降りるときになって、運転手のところへ行くと……


「そちらは使えません。小銭はありませんか?」

と言われる。

「あ、じゃあ、○○ペイで」

「そちらも使えません。小銭はありませんか?」

 困ってしまった。まさかどちらも使えないとは思わず、一万円札と200円くらいしか持っていない。


「どうしよう……」

「降りるのをやめますか?」

「えっ?」


 今、変なことを言われなかったか?


 そう思った時だった。

 私の父親が来て、バスの前方のドアのところから私を降ろした。手に小銭入れを持っていた。

「心配ないから、家に帰っていなさい」

父にそう言われ、安心すると、急に寒くなり、走って家に帰った。


 シャワーを浴びて、部屋着に着替え、ジンジャーティーを飲んでいると、大学生の弟が帰ってきた。サークルの飲み会だったらしい。

「どうやって帰ってきたの?」

てっきり泊まりだと思っていた私は、弟に尋ねる。

「タクシー。4人で割り勘。でも、距離とか違うし、明日もう1回検討。……っていうか、姉ちゃんも飲み会って言ってなかった?」

「最終バス、ギリセーフ」

「最終バス?」

 弟が変な顔をする。

「あ、でもさ、最終バスって古いタイプのが走ってるんだね。ICカードも○○ペイも使えなくてさ」

 弟が、私の顔をじっと見ている

「お父さんが小銭入れ持って、払いに来てくれたの。……そう言えば、お父さんは?」

 私がそう言うと、弟は、私に近づき、そっとソファに座らせた。


「何から話せばいいんだろう……」

弟は向かい側の席に腰を下ろし、顎の下で手を組んで俯く。

「姉ちゃん、結構酔っ払ってるよね?」

「そうかな? 普通だよ」

 いや、正直、バスに乗る前に全力疾走したから、酔いは回っていたかもしれない。


「あのね、お父さんは、この前仕事場で倒れて、入院中な。過労みたい、ってお母さんが言ってたから、そう心配はしてないけどさ」

「えっ? だって、さっき……」

「それとね」

 弟は続ける。

「最終バス、ロータリーを出たところで事故ったの」

「えっ? えっ? だって、私……」

「見た人の話だと、ロータリーに逆走して物凄い勢いで突っ込んできたワンボックスと衝突したらしくて……だから俺ら、タクシーで帰ってきたんだ」

「だって新町2丁目の交差点の近くから乗った、私」

「酔っ払ってて、そんな気がしただけだって。多分、夢でも見たんだよ」

「そ、そうなのかな……」


 私が、弟の話に納得し始めた矢先だった。

 プルルルル……プルルルル……プルルルル……

 私のスマホが鳴り始める。

 母からだった。


「お父さんが……お父さんがね……亡くなって……」


 私は弟と顔を見合わせる。

「タクシー呼ぶよ。姉ちゃん、早く用意して!」

 弟に言われ、適当な服に着替え、コートを着て、バッグを持ち上げた瞬間だった。



 みかんが一つ、バッグからこぼれ落ちた。



 〈了〉

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最終バス 緋雪 @hiyuki0714

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