第81話 邑楽戦線

 ――北から来る匂い

 最初に気づいたのは、雲野だった。

「……所長。風が、変です」

 邑楽ベースの屋上。

 冬の入口、乾いた北風。

「シベリア由来の寒気……じゃない。

 金属と、古い通信油の匂いが混じってます」

 変美は、ゆっくりと息を吸った。

――凍った鋼

――規格外の弾薬

――そして、国境を越える時だけ付く“遠慮のない臭い”

「……ロシアね」

 静かな断定。


■ 前兆:物流センターの正体

 山田が、書類を差し出す。

「邑楽の物流センター、資本を洗いました」

「表向きは東欧系ファンド。裏は――」

 彼は、一瞬だけ言葉を切る。

「ロシア軍需産業のロンダリング拠点です」

 火村が、低く唸る。

「つまり、あそこは倉庫じゃない」

「前線だな」

「ええ」

 変美は、ドーナツクッションに沈みながら頷く。

「しかも慎が絡んでいる」

「これは――」

 一拍。

「私個人の戦いじゃない」


■ ロシアの狙い

 風見が、壁一面のモニターを切り替える。

「ロシア側、直接は動いてません」

「代わりに、民間・犯罪・反体制組織を使ってる」

 画面に、点が灯る。

 邑楽。

 太田。

 足利。

 埼玉北部。

「関東平野を、静かに切り取るつもりです」

 海崎が、静かに言う。

「港がなくても、内陸は落とせる」 「補給路さえ握れば、戦争はできる」

 変美は、目を閉じた。

 嗅覚が、地図の上を這う。

――地下配管

――工業用水

――そして、毒物の試験臭

「……ここは、実験場になる」


■ 宣戦

 その夜。

 邑楽ベースに、暗号通信。

 発信元:不明

 言語:ロシア語

 内容:短い

「嗅ぐ女へ

これは戦争ではない

清掃だ」

 変美は、画面を見つめたまま笑った。

「……相変わらず、臭い言い方」

 彼女は、返信する。

「清掃するなら

匂いを残さないことね」

 送信。

 数秒後、雲野が叫ぶ。

「所長! 北西から――」

 遠雷のような音。

 だが、雷ではない。

「ドローンです」

■ 邑楽初戦

 空が、低く唸る。

 農地の上を、黒い影が滑る。

 火村が即座に動く。

「焼夷型だ! 風見、遮断!」 「やってます!」

 通信が一斉に途切れる。

 ドローンの一機が、畑に墜落。

 爆発はしない。

 代わりに、匂いが広がった。

――神経毒

――農薬に偽装された軍用品

――人を殺すための“薄さ”

「……来たわね」

 変美は立ち上がる。

 腹の傷が疼く。

 不死ではない。

 だが、退かない。

「邑楽は、渡さない」

■ 帝国のかたち

 彼女は、部下たちを見る。

「私たちは、国家じゃない」 「でも――」

 一人ずつ、視線を合わせる。

「匂いを知っている」 「それだけで、戦える」

 火村が笑う。

「上等だ」 「消防より、派手だな」

 海崎が、短く頷く。

「海がなくても、戦場はある」

 山田は、静かに電卓を叩く。

「予算は……ぎりぎりです」 「でも、腐った金は全部切ります」

 風見が、指を鳴らす。

「ロシア式なら、こっちもロシア式で」 「“見えない戦争”、得意です」

 雲野が、空を見上げる。

「明日、雨です」 「浄化には、ちょうどいい」

■ 変美

 変美は、最後に嗅ぐ。

 邑楽の土。

 油。

 人の生活。

「……ここは、ただの田舎じゃない」

 静かに言う。

「世界が、踏み込んできた場所」

 遠くで、また一機、落ちる音。

 邑楽は、前線になった。

 そして――

 嗅覚探偵の帝国は、国家と戦争を始めた。

――つづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

探偵になんかなるんじゃなかった! 鷹山トシキ @1982

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画