第78話 世界の異臭編・後章

 ――水色の大佐(ガルボーイ)

 その名を聞いた瞬間、変美は色を嗅いだ。

「ガルボーイ……水色」

 ロシア語でそう呼ばれる男。

 大佐。

 ミサイル部隊の実権を握る影。

――冷たい金属

――凍土

――そして、洗い流された血の匂い

「この人……何も感じてないわね」

 CIAのブリーフィングルーム。

 映像に映るガルボーイの顔は、穏やかだった。

「彼は“引き金を引かない”」 「座標を直すだけだ」

 変美は、静かに息を吸う。

「一番、臭うタイプね」


 ■ 接近

 場所は、旧ソ連時代の地下司令施設。

 永久凍土の下。

 警備は完璧。

 だが、匂いは逃げ場を失っていた。

「……ここ」

 変美は一人、降りていく。

 途中、銃声。

 爆風。

 圧壊。

 彼女は何度も倒れ、何度も戻る。

 今日だけは、死が追いつかない。

 スマートフォンの表示が、胸元で淡く光る。

《不死身:残り 11:42:18》

「……時間制限付き、ね」

■ ガルボーイ

 司令室。

 水色の壁。

 水色の照明。

 水色の制服。

 ガルボーイ大佐は、振り向いた。

「君が、噂の女か」

 声は柔らかい。

 だが、無臭。

「君の国は、私を怪物と呼ぶらしい」

「ええ」 「でも本当は――」

 変美は、一歩踏み出す。

「あなたは“空白”よ」 「人が死ぬ瞬間の匂いを、記録として処理してるだけ」

 ガルボーイは、わずかに眉を動かした。

「感情は、効率を下げる」

 その言葉と同時に、警報。

 部屋が密閉され、酸素が抜かれる。

■ 一日の意味

 窒息。

 骨折。

 内臓破裂。

 変美は倒れる。

 だが、戻る。

「……今日だけ」

 彼女は、床に手をつきながら立ち上がる。

「今日だけ、私は止まらない」

 嗅覚が、限界を越える。

 司令室に残る、一人分の“罪の蓄積臭”。

――何百発

――何千人

――修正された座標の数

「……重いわね」

 変美は、ガルボーイの胸に手を当てる。

 力は使わない。

 嗅ぐだけ。

■ 成敗

 ガルボーイの体が、震える。

「な……何を……」

「あなたが消した“誤差”を」 「全部、戻してる」

 彼の瞳に、初めて色が宿る。

 恐怖。

 水色が、濁る。

 ガルボーイは崩れ落ちた。

 血は出ない。

 叫びもない。

 ただ、匂いだけが剥がれ落ちる。

■ 午前2時14分

 スマートフォンが、静かに振動する。

《ロシア連邦軍

 ミサイル統制大佐

 ガルボーイ

 討伐完了》

 同時に、体が重くなる。

「……終わりね」

 不死身が、剥がれる。

 傷が、戻らない状態で残る。

 膝をつく変美。

「一日だけで、十分よ」

■ 余韻

 施設を脱出した後、雪原で夜明けを迎える。

 空は、薄い水色。

「……綺麗」

 でも、もう嗅がない。

 彼女はマフラーを引き寄せ、歩き出す。

「不死は、祝福じゃない」 「使い切るもの」

 遠くで、ミサイル発射台が沈黙する。

 世界は、少しだけ静かになった。

 その代償として――

 変美の胸に、消えない匂いが一つ増えた。

――つづく。

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