第77話 世界の異臭編・中章

 ――黒い噂、赤い軌道

 最初に届いたのは、匂いではなく噂だった。

 ロシア南部。

 ウクライナ国境付近。

「ミサイル攻撃があったらしい」 「公式には“誤作動”」 「でも、落ちた場所が変だ」

 CIAラングレー地下、無音のブリーフィングルーム。

 スクリーンに映るのは、焦げた大地と、歪んだ影。

 変美は、画面越しに嗅いだ。

――高温金属

――古い固形燃料

――そして、人為的な“躊躇”の匂い

「……これは」

 彼女が口を開く前に、分析官が言った。

「ロシアでも、ウクライナでもない」 「第三の手です」

■ 元ヤクザ

 次に映し出された顔。

 日本人。

 五十代。

 短く刈った髪、傷の多い手。

「コードネーム:キリュウ」 「元・関東某組系構成員」 「現在は、対ロシア非公式部隊の“調整役”」

 変美の鼻が、わずかに反応する。

――血

――裏切り

――そして、日本の裏社会特有の、湿った義理

「……知ってる匂いね」

 彼女は呟いた。

「この人、何人も“見捨てて生き残った”」

 室内の空気が、少しだけ重くなる。

「接触できますか?」

「できる。ただし――」

 責任者が言葉を切る。

「彼は、あなたと同じ」 「死なない側の人間を、信用しない」

■ 接触地点:黒海沿岸

 夜。

 港湾倉庫。

 潮の匂いに混じって、火薬と古傷。

 キリュウは、変美を一目見て、笑った。

「……噂の不死身か」 「思ったより、普通だな」

「あなたも」

 変美は距離を詰めない。

「思ったより、まだ人間」

 キリュウの笑みが、消える。

「鼻が利くってのは、嫌だな」

■ ミサイルの真実

「撃ったのは、ロシアでもウクライナでもない」

 キリュウは、煙草に火をつけた。

「“試した”だけだ」 「世界が、どこまで耐えるかをな」

「誰が?」

 しばらく沈黙。

「……俺たちだよ」

 変美の胸に、冷たいものが落ちる。

「戦争を終わらせるために?」 「違う」

 キリュウは即答した。

「戦争を、管理するためだ」

 その言葉の匂いは、真実だった。

■ 代償

「俺はな」

 キリュウが言う。

「昔、女と子どもを置いて逃げた」 「組も、国も、全部だ」

 彼は、変美を見る。

「お前は?」 「……置いてきたわ」

「後悔は?」 「毎日」

 短い沈黙。

「でも、戻らない」 「俺もだ」

 二人の間にあるのは、理解ではなく共犯。

■ 奇策:不死身の切り札

「次は、もっと大きいのが飛ぶ」

 キリュウが低く言う。

「止められるのは?」 「あなたの嗅覚と――」

 彼女は、続きを待つ。

「死んでも前に出られる身体だ」

 変美は、目を閉じる。

 不死であることが、

 選択肢を奪う瞬間を、彼女は何度も知っている。

「……わかったわ」

 静かに言う。

「でも条件がある」

「なんだ?」

「あなたが関わった“裏の攻撃”」 「全部、私が嗅ぐ」

 キリュウは、一瞬だけ目を伏せた。

「地獄だぞ」

「慣れてる」

■ 夜明け前

 港を離れるヘリの中。

 変美は、遠くの地平線を嗅ぐ。

――次に落ちる金属

――次に消える命

――そして、それを止められなかった後悔の予兆

「……不死身って」

 小さく呟く。

「世界にとっては、便利なゴミ袋ね」

 それでも、彼女は立ち上がる。

 次の異臭は、

 空から来る。

――つづく。

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