第76話 世界の異臭編・前章

 トーンは重く、静かで、**「代償としての不死」**を前面に出す。


――CIAスカウト

 羽田沖、未明。

 海霧に混じって、異物の匂いがした。

 火薬でも、血でもない。

 もっと乾いていて、もっと遠い――国家の匂い。

「……来てるわね」

 変美がそう呟いた瞬間、黒いヘリが降下した。

 ドアが開き、降り立ったのは三人。

 全員、顔が“無臭”だった。

「ヘンミ・カワミさん」 「CIAです」

 名刺は出ない。

 代わりに、秘密保持の匂いがした。

■ 勧誘条件

「あなたの能力は、国家安全保障上“放置できない”」

 白人の女エージェントが言う。

 声は冷静、鼓動はやや早い。

「拒否権は?」 「ある。ただし――」

 別の男が続ける。

「あなたの親類縁者、交友関係、過去の依頼人。

 全員、“保護対象”から外れる」

 変美の鼻が、わずかに震えた。

――恐怖

――計算

――そして、嘘ではない匂い

「……なるほど」

 彼女は笑わない。

「脅しが下手ね」 「事実です」

 数秒の沈黙。

「行くわ」 「世界の異臭、嗅がせなさい」

■ ラングレー地下施設

 そこは、匂いが存在しない場所だった。

 消毒、密閉、心理遮断。

 嗅覚を持つ者にとっては、地獄。

「最初のテストです」

 変美は拘束される。

 手足、首、鼻。

 酸素濃度が下がる。

「……これは?」

「拷問ではありません」 「“再現”です」

 毒ガス、幻覚剤、無臭神経阻害剤。

 不死身でも、苦痛は消えない。

 肺が焼ける。

 神経が反転する。

 時間感覚が壊れる。

 それでも、変美は嗅ぐ。

「……三種類」 「旧ソ連式、北朝鮮改良型、そして――」

 目を閉じる。

「アメリカ製。隠す気、ないわね」

 研究員の一人が、息を呑む。

■ 奇策:使い捨ての英雄

 初任務は、中東某国。

「あなたは“死んだことにする”」 「ええ」

 変美は爆撃地点に、一人で置き去りにされる。

 瓦礫。

 死臭。

 泣き声。

 敵陣の真ん中で、彼女は何度も殺される。

 銃殺。

 爆死。

 焼死。

 戻るたび、精神が削れる。

「……なるほど」

 夜、瓦礫の中で立ち上がり、呟く。

「私は“戦術”になったのね」

 救出ヘリは、72時間後。

 その間に、彼女は要塞を落とした。

 一人で。

■ 離別

 帰還後、唐桶刑事から連絡が来た。

「変美……お前、戸籍が消えてる」 「ええ」

「慎は……?」 「“存在しなかったこと”になったわ」

 電話の向こうで、沈黙。

「……もう、戻れないのか」 「戻らない」

 彼女は、窓の外を嗅ぐ。

 故郷の匂いが、薄れていく。

「守るために、離れる」 「それが、私の選んだやり方」

 電話を切る。

 その瞬間、胸に走るのは――

 悪ではない痛み。

 不死でも、消えない。

■ 夜の独白

 CIA施設の屋上。

 人工の星空の下、変美は一人立つ。

「……不死身って、便利ね」

 笑いは出ない。

「でも、何もかも嗅ぎすぎる」

 国家の嘘。

 正義の腐敗。

 救われなかった命の残り香。

「それでも――」

 彼女は、目を閉じる。

「嗅ぐのを、やめない」

 遠く、宇宙ステーションからの通信ランプが点滅する。

 次の異臭が、待っていた。

――つづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る