第4話 異変未満のデータ
研究室の窓から見える空は、鈍い色をしていた。
中京都大学。
古い建物の一角にある、小さな研究室。
中村祐介は、モニターに表示された数値を見つめていた。
「……誤差、か?」
グラフは、ほとんど揺れていない。
けれど、完全に同じでもない。
それが、気になった。
机の上には、ヤコの生体記録。
体温。
心拍。
反応速度。
嗅覚刺激への応答。
――すべて、安定している。
だが、その横。
「環境変数」と書かれた欄に、祐介は小さくメモを残していた。
・最近、商店街の人流がわずかに増加
・夜間の騒音レベル、微増
・――理由不明
「……相関、あるか?」
独り言が、部屋に落ちる。
祐介は眼鏡を押し上げ、別のデータを開いた。
これは、研究とは直接関係ない。
市内の医療統計。
匿名化された、保健所の公開データ。
発熱。
軽度の倦怠感。
原因不明の微小外傷。
どれも、日常の範囲内。
風邪。
寝不足。
転倒。
どれかで説明がつく。
――つく、はずだった。
「……重なりすぎてないか」
祐介は、スクロールを止めた。
地域が、偏っている。
三尾区。
その中でも、三狐町周辺。
件数は少ない。
だが、局所的に集中している。
「偶然、だよな……」
自分に言い聞かせるように、呟く。
科学は、飛躍を嫌う。
証拠のない仮説は、ただの想像だ。
祐介は、キーボードから手を離した。
スマートフォンが、震える。
『今日は遅くなるのじゃ?』
ヤコからのメッセージ。
「……あ」
時刻を見る。
もう、夕方だ。
『少し、データ整理してる。先に戻ってていいよ』
送信。
数秒後。
『無理はするでないぞ』
短い文。
それだけなのに、祐介は少し笑った。
「心配性だな……」
そのまま、椅子に深く座り直す。
再び、画面。
祐介は、ふと思い出した。
――子供の頃。
三狐の湖で見た、あの存在。
説明できないのに、確かに「いた」もの。
あれが、すべての始まりだった。
「……説明できないもの、か」
祐介は、そっとファイルを開いた。
YAKO-01。
開発初期の、未整理データ。
そこに、当時は意味を見出せなかった数値がある。
皮膚接触時の、微量吸収反応。
人に使う予定のない、想定外の副作用。
だから、深くは追わなかった。
――だが。
「……もし」
言葉にする前に、祐介は首を振った。
「考えすぎだ」
これは、ヤコの話だ。
人の話ではない。
ましてや、街全体など。
祐介は、ファイルを閉じた。
異変は、まだ起きていない。
ただ、数字が、少しだけ騒がしいだけだ。
それでいい。
それで、いいはずだ。
研究室の時計が、静かに時を刻む。
カチ、カチ、と。
その音の間に。
祐介は気づいていなかった。
同じ時刻。
三狐町のどこかで――
「説明できない数値」が、
もう一つ、増えていたことを。
三狐町パンデミック 狐日和 @yako_project
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