03.手を伸ばすことを諦めきれなかった

 渡は放課後、ぼんやりと大学の門をくぐった。

 真っすぐ通りを進めば駅、右に曲がれば付属高校がある。

 渡が卒業し、凪が通う付属高校。

 夕方にはまだ早い時間だから、校門前で待っていればいずれ凪は出てくるだろう。

 ……もし渡がそこにいたら、凪はどんな顔をするだろうか。

 少しでも喜ばしく思ってくれるだろうか。

 それとも、顔をゆがめてしまうだろうか。

 どちらにせよ、彼女の顔を見ることはできない。

 奥歯を噛み締め、渡は真っすぐ駅へ向かった。

 そういうことを、月夜の晩から毎日、渡は続けている。


 渡が帰宅すると父のゆずるがリビングで待ち構えていた。


「来月末の結婚式に参加することになった」

「なに、いきなり」

「姉さんが別件で参加できなくなってな。代理として俺とお前で行くことになった。予定を空けておくように」

「ふうん」


 渡としては面倒だ。しかし、統領である伯母の代わりとなれば断れない。それが家としての役目だから。

 譲が差し出した招待状を受け取った。

 日時と場所を確認していると、譲が渋い表情で渡を見た。


「その式には、おそらく月詠つくよみのお嬢様も参加する」


 渡の肩が跳ねた。

 重い口調で譲が続ける。


「関わるなよ」

「……気をつける」

「相手から話しかけられたらすぐに俺を呼べ。個人でやり取りしていい相手じゃない」

「うん……」


 渡は唇を噛む。

 しかし、何も言わずに頷いて自室に戻った。

 明かりはつけないままベッドに腰を下ろし、カーテンを開ける。

 いつも通り、薄曇りの空だ。


 ――凪に会えるかもしれない。


 話せなくても、触れられなくても、それでも渡はもう一度会いたかった。

 公的な場で顔を合わせるのなら、それは不可抗力だ。

 学校の入り口で待ち構えるようなストーカーじみた行為とは、明らかに異なる……はずだ。


 渡は自分が必死に言い訳を重ねていることをわかっていた。

 立場が違う。

 それでももう一度会いたい。

 会って、できれば話したくて、叶うならば触れたい。

 欲望には際限がないのだと、渡は初めて知った。

 自分がなぜこんなにも強く彼女を求めるのか、渡にはわからなかった。

 それでも、諦める気にはなれなかった。

 少しでも可能性があるのであれば、できるだけのことをしたいと思ったのだ。

 薄曇りの空の向こうにあるはずの月へ、渡は手を伸ばした。




 そして結婚式当日。

 渡は蛙前かわずまえにスーツを整えられていた。


「お坊ちゃま、ネクタイはこちらをお召しください」

「うん。……変じゃないかな」

「よくお似合いでございます」

「蛙前はなんでもそう言うからなあ」

「本心でございますよ。お坊ちゃまがお召しのスーツはすべてこのわたくしが選ばせていただいておりますので」

「なら、間違いないか」


 蛙前は代々雨水家に仕える、いわゆるお手伝いさんだ。

 彼女自身も分家の出であり、蛙前家の本家の者が雨水本家に仕えている。

 渡が物心ついたときには家にいて、彼女の料理で育った自覚が彼にはある。

 母も時折作ってくれたが、家の味と言われれば、やはり渡にとっては(おそらく兄と妹にとっても)蛙前の料理が最初に浮かぶ。

 昔から渡たち兄妹の衣食住を整えてきた彼女だから、彼女が似合うと言えばそうなのだろう。


「奥様から言伝でございます」


 渡がネクタイを締め、襟元を直していたら蛙前が声を潜めた。


「何?」

「『欲しければ、何が何でも手に入れなさい。男でしょ』とのことです」

「母さん……」


 渡が譲と凪の話をするとき、母の歌帆かほはいつも席を外していたはずだ。

 しかしちゃっかりどこかで聞いていたらしい。

 そこでそそのかしてくるあたりが母親らしいと、渡は思わず顔を緩めた。

 厳格で家の決まりに従う父と、無口ながら猪突猛進な母は性格が正反対に見えて、あれで仲がいい。

 わからないなと渡は笑いながら、髪を蛙前に整えてもらう。


「渡、支度はできたな?」

「うん」


 歌帆によって身支度を調えられた譲が顔を出した。何年経っても、手伝いの者がいても、譲の身支度だけは歌帆が調えてきた。

 二人は歌帆と蛙前に見送られて家を出る。

 式場までは譲の秘書である滝草たきくさの運転する車で向かう。

 道は空いていて、予定よりだいぶ早く到着した。


「えっと、式には出ないんだよね」

「ああ。披露宴だけだ。今回は月詠家の分家の明月……こっちは名乗りではなく、本当に明月だ。明月の女性と他家の男性との式で、夫婦の意向で式は身内だけで執り行うらしい。その分披露宴は大々的に行うから、うちも呼ばれたってところだな。ああ、ここに席次表がある。晴原はれのはらと同じテーブルか、うん、悪くない」


 譲と晴原家は序列が並んでいるから仕事での関わりが多く、親しい。

 晴原家の頭領の弟と譲は個人的に幼馴染みでもあり、時折二人で飲んでいることもある。

 渡も昔からかわいがってもらっていたので、同じテーブルなのはありがたい。



 しばらくすると晴原家の頭領とその弟がやってきた。

 渡は譲と共に挨拶に向かう。

 他に譲の知り合いらしい人々と挨拶をし、渡も自己紹介をする。

 兄が父の跡を継ぐとはいえ、渡も今後まったく無関係ではいられないのだ。

 今日は自分の顔見せの意味もあったのだろうと、渡はようやく気がついた。

 挨拶をしているうちに式が終わったらしくスーツ姿の人々が待合室にぞろぞろ入ってきた。


「……あ」


 黒いスーツ姿の男性に囲まれて、一際輝く姿があった。

 薄いレモンイエロー、月の色のドレスをふわりとなびかせて歩く少女は、間違いなく凪だった。

 渡が息もできずに凪を見つめていると、すぐそばでため息が聞こえた。


「あれが月のお姫様か……久しぶりにお目にかかるが、ずいぶんまあお美しくなられて」

「あそこだけ輝いてますね」


 そうか、と渡は納得した。

 どうやら凪が輝いて見えるのは自分だけではなかったらしい。

 誰の目から見ても輝いているのなら、自分が焦がれるのも仕方がない。

 前回渡が凪と出会ったときは、普通の綺麗な女の子だった。

 かわいくて、いつまでも一緒にいたいような普通の女の子に見えた。

 でも今はそうではない。

 月詠の長女として立つ、彼女の顔に笑みはなく、無機質な表情でひたすら大人たちからの挨拶を受けていた。


「……うちも挨拶行くかね」


 晴原の頭領が笑って列に加わった。

 渡が顔を上げると譲も頷いた。


「そうだな。天照あまてらすの方々の挨拶がそろそろ終わる。晴原の次はうちだ。……そうしないと他の連中が挨拶できねえからな」

「そうなの?」


 渡が聞くと譲が歩き出しながら肩をすくめた。


「そうだ。この場で最も位が高いのが天照だ。今回のオーナーは明月だが、実質は月詠で、天照が主賓だな。継いで晴原、雨水と続く。まず天照に月詠が挨拶をする。『よくぞお越しくださいました』ってな」


 渡は譲の視線を追って、どれが誰だか確認していく。

 正直、渡の目には全員冠婚葬祭用の黒スーツのおっさんにしか見えない。


「で、晴原、雨水、風間と順位順に『お招きいただきありがとうございます』と、挨拶に向かう。最後にオーナーの明月を身内の月詠が労っておしまい」

「はー……それもしきたり?」

「そんなとこだな。規則とまではいかないが、マナーよりは優先される」

「なるほど……」


 渡が頷くと、譲が今度は小声でどれが誰かを説明していく。

 なんとか、各家の頭領の顔を頭に叩き込む。

 興味がなさすぎて、まったく覚えられる気がしない。

 そうこうしているうちに晴原が挨拶を終えた。

 譲が凪の御前へと進み出て、こうべを垂れる。

 同じように渡も父の斜め後ろで頭を下げた。


 ――顔を上げたとき、凪はどんな表情をしているだろうか。

 奥歯を噛み締めて平静を保ちながら、渡はゆっくりと体を起こした。

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月のうさぎと地上の雨男 水谷なっぱ @nappa_fake

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