第四話 冬、彩雲
雲が消えるのは、空気の温度が上がって空気が保てる水蒸気の量が増えるかららしい。
雲井くんの体のメカニズムはわからないので、どうやって消えるのかはさっぱりだ。そもそも、どうやって宙に浮かんでいるのかもわからない。今更だと言われれば今更だ。
雲井くんについてはわからないことだらけだと独りごちる。
秋ぐらいからだろうか。雲井くんが消えることが多くなった。
挨拶はいつも通り。ふわふわと浮いているのもいつも通り。ただ、「何でこのタイミングで?」という時に消える。初めは走って何処かに行くことが多かったが、最近は浮いて立ち去ることで足音で追跡されないことを覚えたらしい。非常に厄介だ。
そんなことを考えながら本屋からの帰り道を歩いていると、風船が一つ空へと飛んでいくのが見えた。
誰かが手を離しちゃったんだろうなと思いつつ、立ち去ろうとしたその時だった。
上へ上へと飛んでいく風船を追いかけるように人影が通った。
――雲井くんだ!
わたしがそう認識する前に、雲井くんは風船を掴んでいた。そして、ゆっくりと下降していく。
わたしも彼が着地する場所へと向かった。
そこにいたのは、一組の家族だった。女の子へと雲井くんが風船を渡す。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「どういたしまして。今度は手を離さないようにね」
「はーい」
ばいばいと手を振って、その家族は離れて行った。
家族を見送った雲井くんがこちらへと振り返った。
「やあ、風早」
「こんにちは、雲井くん」
雲井くんはわたしが現れたことに特に驚くことはなかった。わたしが近づいて来るのが空から見えていたらしい。
わたしたちは移動して公園のベンチで話すことにした。
寒空の下、吐く息は白い。
「風早は何処かに出掛けていたの?」
「本屋に行ってたんだ。まあ、読みたかった本が置いてなかったから結局取り寄せてもらうことになったんだけど」
「そうだったんだ」
「雲井くんは?」
「僕はランニングしていた」
確かに雲井くんはウィンドブレーカーを着ていた。白い髪に青色のウィンドブレーカーが映えてとてもよく似合っている。
「宙に浮いて?」
「違いますー。ちゃんと地に足つけて走っていましたー」
冗談で訊いてみたら雲井くんが口を尖らせた。そして二人でくすくすと笑う。
「普通に走るのと宙に浮かぶのってどっちが大変?」
「どっちも大変かな。まあ、体幹も鍛えないと空中でバランス取れないからね。風に煽られることもあるし」
「なるほどね」
雲井くんについてまた一つ知ることができた。そのことにわたしは喜びを感じていた。
「走っていたら、女の子が風船を飛ばしちゃったのが見えてさ。考える前に風船を追いかけてた」
「そこですぐ動けるのが雲井くんだよねぇ」
木から下りられなくなった猫の時も、今回も、それ以外の時だって、雲井くんはすぐ行動していた。凄いなぁと素直に感心していたからか、わたしはぽろっと言ってしまったのだ。
「そういうところが好きだよ」
「え?」
「え?」
ぱちりと雲井くんと目が合った。
――今、わたしは何て言った……?
たっぷり数十秒お互いの顔を見つめ合った後、わたしたちは顔を逸らした。
――つい、言ってしまった!
顔が熱い。きっと、今のわたしの顔は真っ赤だ。
ちらりと見た雲井くんの顔も赤かった。
そして、その体は消え始めていて――
「逃すか!」
わたしは咄嗟にその手を掴んだ。
こうして掴んでおけば、彼が透明になろうとも逃げられないし、宙に浮かぶこともできまい。
雲井くんは目を大きく見開いた。わたしの行動に驚いたからか、消え始めていた体が元に戻っていく。
――言ってしまったのなら仕方がない!ええい、女は度胸だ!
「好きです、雲井くん」
彼の目を見て、真っ直ぐに想いを伝える。
「お人よしなところも、宙に浮いているところも、何故か消えちゃうところも、ふわふわなその髪も、全部、全部好きなの」
どくんどくんと心臓が高鳴っている。手からその音が雲井くんに伝わってしまうのではないだろうかと思いつつも、わたしはその手を離さない。
耳まで赤い雲井くんが一つ息を吸って、吐いた。そして、意を決したかのように、わたしの目を見つめ返した。
「僕も風早のことが好きだよ」
掴まれていないもう片方の手で、雲井くんがわたしの手を包み込む。
あたたかい体温がじんわりと伝わってきた。
二人の吐く息が消えていく。
空を仰ぐと、雲が虹色に輝いていた。
「彩雲は幸せを呼ぶんだって」
いつだったか、そう教えてくれたのも雲井くんだった。
――確かに、わたしは今、とっても幸せだ。
身体中がふわふわとした気持ちで満たされる。
今ならわたしも宙に浮かべるかもしれない。空に浮かぶあの雲のように。
雲井くんと風早さん 葉野亜依 @ai_hano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます