第三話
「それじゃあ今日はここまで」
先生の掛け声とともにお昼の休憩時間になってみんなが騒ぎ出す。「終わったー」やら「疲れたー」やらあちこちから聞こえて来た。
「静玖、ご飯食べよー」
「ごめん、今日は……」
「あー、はいはい。いってらー」
全部言わなくても友だちは察したらしい。了解したと言わんばかりにひらひらと手を振られた。
その眼差しが生あたたかくて口元はにやにやと意地悪そうに笑っている。
「彼氏によろしくー」
「か、彼氏じゃないから!」
そうからかわれて、わたしは何だかとても気恥ずかしくなった。こうしてからかわれることは何度もあったが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
鞄を持って向かう先は音楽室だ。
「凪冴くん、今日は何を弾いてくれるかな」
今朝教えてもらった曲でも弾くのかもしれない。
鍵盤の上で凪冴くんの指が踊るのを、ピアノを弾くその姿を眺めるのがわたしは好きだった。
ピアノを弾く凪冴くんはとても生き生きとしている。彼が奏でる音楽は心地が良い。でも、その姿を見ると、心臓がどきどきすることもある。
そんな気持ちに戸惑うこともあった。でも、今ではその理由はわかっている。
――わたしは、凪冴くんが好きなんだ。
そう認めてから、彼との時間はわたしの中でとてもかけがえのないものになった。
でも、自分の気持ちを伝えることはできなかった。
――だって、もし伝えてこの時間が終わるようなことになってしまったら……。
それが怖くて、意気地なしなわたしはずっとずっと自分の気持ちを隠しているのだった。
音楽室へと近づいても、ピアノの音は少しも聞こえてこない。
「凪冴くん、まだ来ていないのかな?」
廊下を歩いていたその時、見知った後ろ姿が見えた。
足が弾みそうになったが、あることに気がついてわたしは咄嗟に壁の陰に隠れた。
――凪冴くんと、誰だろう……?
そこには凪冴くんと女の子がいた。上履きの色からして同学年の子だろう。
携帯端末で何やら遣り取りをしているようだが、何を話しているのかはわからない。
――でも、どう見ても告白現場だよね……?
恋愛に疎いわたしでもすぐにわかった。
凪冴くんの後ろ姿から、ちらりと見えた女の子の顔は赤かった。
――は、離れないと。
そう、脳が警鐘を鳴らす。
だけど、わたしの足はその場に縫い付けられたように動けない。
すぐに走り去ればいいのに、一歩踏み出すことができない。
――凪冴くんはなんて答えるんだろう……。
そのことを考えるだけで、ぎゅっと心臓が締め付けられる。胸が苦しくて仕方がなかった。
胸が苦しい理由なんてわかっている。でも、嫉妬なんていう汚い気持ちを認め難かった。
結局わたしは、音楽室には向かわなかった。
とぼとぼと返ってきたわたしに友だちが首を傾げる。
「どうしたの?」
「何でもない……一緒に食べてもいい?」
「いいよ、いいよ。座りなー」
わたしの様子を察した友だちが椅子を引いてくれた。
友だちはわたしに何も訊いてこなかった。そのことをありがたく感じつつも、わたしは心ここにあらずな状態だった。
午後からの授業も、黒板の文字をノートに書き取るだけで、先生の話は全然耳に入ってこなかった。
家に帰っても思い出すのは、凪冴くんが告白されている場面ばかりだった。
課題をやっていても何処かぼんやりとしてしまう。
「もういいや……寝よ……」
何だか疲れて、いつもより早い時間に布団に入った。
気を紛らわすために好きな音楽を流しても、少しも心は踊らない。
凪冴くんと話したいと思う気持ちと話したくないと思う気持ち。ぐちゃぐちゃな思いを抱えながら、わたしは無理やり瞼を閉じた。
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