第二話
凪冴くんと意気投合したのは、去年のことだ
お昼休み。友だちは部活の集まりで一緒に昼ご飯を食べられないとのことだったので、わたしは気分転換に別の教室へと赴くことにした。
「よし、ここにしよう」
そこは音楽室だった。
当たり前だが、室内にはピアノが置かれている。
誰もいなくて、貸し切り状態だ。
「よいしょっと」
椅子を引いて座る。お弁当の蓋を開けて、いただきます、と手を合わせた。今日の卵焼きは自分で作ったのだが、なかなか上手く巻けたのでは一人で自慢げになった。
もぐもぐと咀嚼しつつ、携帯端末で音楽を流す。
貸し切り状態で、誰にも気にせず好きな音楽を聴きながらご飯を食べる。実に気分が良い。
「――ごちそうさまでした」
お弁当を片付けて、壁に備え付けられた時計を見遣る。
時間はまだあって、このまま教室に戻るのも何だか味気ない。折角音楽室まで来たのだから、音楽室だからこそできることをしたいと思った。
わたしは扉の窓から廊下を見た。
「誰もいない……よし!」
今は休憩時間でいつもより雑音も多い。音楽室の壁は防音になっているからあまり音も聞こえないだろうし、窓もばっちり締め切っている。
――流石に誰かに聞かれるのは恥ずかしいからなぁ……。
本来は指揮者が乗るのであろう台の上に上機嫌に乗る。
息を吸って、声を出す。
曲のワンフレーズだけ歌ったり、あやふやなところもあったり。それでも、のびやかに気持ちよく歌う。
わたしが音楽を好きになったのは、昔、親にライブに連れて行ってもらったことがきっかけだった。
楽器の音が体に響く。綺麗な歌声が耳へと入って来る。
今まで聴いたことのない、鮮明なその音たちに心が震えた。
そうして、わたしは音楽の虜になった。
楽器を弾く才能はからきしだった。そもそも、わたしの手は小さくて楽器を弾くのに適していなかった。そのことはとても残念に思ったけど、代わりにわたしは歌を歌うのが好きになったのだ。
思い切り歌っていたその時。
ふと、扉の外に視線を移した。すると、ぱちりと男の子と目が合った。
慌てて歌うのをやめてその場に座り込む。
――み、み、見られた……?
顔に熱が集まる。きっと、今のわたしの顔は真っ赤に染まっていることだろう。
――入って来るな入って来るなー!お願いだからそのままスルーして!
心の中で唱えたものも、わたしの願い虚しく扉は開き、男の子が音楽室へと入って来た。
わたしは台の上で固まったままだった。
そんなわたしの姿を見て、男の子はぱちぱちと目を瞬かせた後、こちらへと近づいてきた。
――ち、近づいてくる……!
内心で叫びまくっていると、男の子は携帯端末に何やら打ち込んでそれを掲げて見せてきた。
『こんなところで何していたの?』
「あ、えっと……」
『もしかして歌っていた?』
「いや、その……」
慌てふためくわたしに、彼はずいっと更に近寄る。
――きょ、距離が近い!
後ろに下がろうとして台から落ちそうになったわたしを彼は手を伸ばして支えた。
「あ、ありがとうございます……」
『取りあえず座ろうか』
「はい……」
わたしたちは椅子を引っ張って来て、向かい合うように座った。
携帯端末を弄る姿をじっと見つめていると目が合った。
『ごめんね、僕、耳が聞こえなくて』
彼はとんとんと耳の補聴器を軽く叩いた。
わたしは慌てて鞄の中から携帯端末を取り出した。メモ帳を開いて、『これで遣り取りできるよ!』と彼に伝える。
頷いた彼が次々と文章を打ち込んで質問を投げかけてくる。
彼に倣って、わたしも携帯端末を操作する。
『音楽好きなの?』
『うん』
『歌うのも?』
好きだよ、と即答できなかった。
わたしは歌うことが好きだ。でも、誰にもそのことを話したことはなかった。昔、歌うことが好きなのを同じクラスの子に伝えたら『上手くもないのに?』と笑われたことがあったから。
自分の歌がそんな風に思われているのがショックで、それからわたしは人前で歌うことをためらうようになった。
『わたし、音痴だから……』
『何で?たとえ音痴でも、歌うのが好きっていうのは可笑しなことじゃないでしょ』
彼はあっけからんとそう言ってのけた。そのことに驚いてわたしは目を見開いた。
『僕もね、音は聞こえないけど、ピアノを弾くのが好きなんだ』
彼が手を胸の前に掲げて指を動かす。ピアノを弾いている真似をしているのだろう。
彼曰く、元からピアノを弾くのが好きだったらしい。でも、ある日突発性難聴を患ってしまったという。
『最初は絶望したよ。でも、やっぱりピアノを弾くのはやめられなかったんだ』
そういう彼に、わたしは訊ねる。
『……ピアノ弾くの楽しい?』
『すっごく楽しい!下手だろうと他の人に何言われようと、自分が好きならそれでいいじゃん!』
堂々と言われた言葉にわたしはぽかんと口を開いた。
こんなにはっきりと自分が好きなことを言っていいんだって思った。
――そうか、堂々としていていいんだ。
そんな考えがすとんと胸の中に落ちた。
話を聞くと彼は空き時間に音楽室のピアノを弾きに来たとのことだった。
『何か好きな曲ある?弾けるかも』
『えっとね、昔流行った曲なんだけど知っているかな……』
それからというもの、彼――凪冴くんと話すことが多くなった。
共に音楽が好きなもの同士、わたしたちが意気投合するのは早かったと思う。
『僕がピアノを弾いて、静玖が歌うっていうの、やってみたくない?』
『……うん、いつかね』
『よし、約束だ』
わたしたちは小さな約束をした。
いつか二人で音楽を奏でよう、と。
でも、やっぱり勇気がでなくて、ずっとその約束を果たせてはいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます