バウムクーヘンエンドなんて創作の中にしかないんだ

日崎アユム(丹羽夏子)

僕の説明が下手なのかなあ……

 新宿二丁目にある行きつけのゲイバーに行ったら、ママが男の姿をしていた。ゲイである以上ママも男性に決まっているのだが、いわゆるドラァグクイーンというやつで、ついこの間まで女性もののドレスを着てつけ睫毛ばっちりのアイメイクをしていたのでびっくりした。僕が帰省で東京を離れている間に何かあったのだろうか。


「おお、ゆうちゃん、いらっしゃい」

「ママ、なんかあったの?」

「いや、ゆうちゃんが静岡に帰ってる間に俺も一日だけ茨城の実家に帰省したんだよね」


 僕は動揺した。ママが『オネエ言葉』ではなくなっていたからだ。先週までの彼だったら、ここは「アタシも一日だけ茨城の実家に帰省したのよ」だったと思う。それが急にニュートラルな言葉遣いになっており、一人称は俺に変化した。まるで『普通』の男性かのようだ。


 世の多くの人間は勘違いしているようだが、女言葉を使う『オネエ』とトランス女性は必ずしも同一の属性であるとは限らない。ファッションとして女の言葉を使い女装をするシスゲイ男性も存在する。

 とはいえそれは僕らのような普段から男言葉で男装をしている男性からは区別がつかない。というより、あえて区別しないようにしている、といったほうが正解かもしれない。

 この世界に身を置いていると、性とは実に多様なものだ、と思う。そしてそれは周りの人間がとやかく言うことではない。性表象ぐらい本人の好きなようにさせればいい。


 カウンター席に座って、「いつもの」と頼む。おしぼりを出したママが、「はいはい」と言いながらグラスを用意する。


「なんでまた茨城に? お父さんに殴られて絶縁状態だったって言ってなかったっけ?」

「おばあちゃんが危篤だって言われてな」


 ママが遠くを見る。その視線は哀愁を帯びている。


「俺はおばあちゃんっこでさ。おばあちゃん、あんたがどんな趣味の持ち主でもわたしの孫であることに変わりはないんだからね、って言ってくれて。戦前生まれで、俺のことオカマって言ってたけど、おばあちゃんなりに理解しようとしてくれてたのは感じたんだ」


 嫌な予感がした。


「で……、おばあちゃんには会えたの?」

「冥土の土産にオカマを辞めたところを見せてくれって言われた」


 僕は悲しくて、本当に悲しくて、ママの愛とママのおばあちゃんの愛のすれ違いを思ってうつむいた。


 理解している、と言ってくれる人が確実に味方であるとは限らないのがこの世界だ。理解者のふりをしてこっちの気持ちをずたずたにしてくる人間は数え切れないほどいる。それでもホモとかオカマとかと呼ばれて石を投げられるよりは格段に生きやすい世の中になっているのかもしれないけれど、世間は次々と新しい差別を生み出して距離はなかなか縮まらない。『オネエ』だってそうだ。その言葉はゼロ年代にホモやオカマが差別用語だからと言って新たに生み出された女性的な振る舞いをするゲイを揶揄する言葉で、僕は大嫌いだった。


 ママの言葉を反芻しながら、僕は自分自身の今回の帰省の目的を思い返した。


 中学時代の僕には『親友』がいた。サッカー部に所属する、明るくて元気な男子だった。足が速いので、今思えば特別顔がいいわけではなかったが、女子には絶大な人気があった。もちろん、僕も好きだった。僕も異性愛者の女の子たちとよく似た構造に巻き込まれて彼に片思いをしていた。


 その彼が大学を出ていい企業に勤めて、何人かの女性と恋をしたりされたりして、三十歳の時に同窓会で再会した当時の同級生の女子と十五年越しに恋に落ちたらしい。僕もその女子とは面識があって、もともと可愛い子ではあったがすっきりした大人の女性になったな、とは思っていた。


 なるほど、あいつ、こういう女の子が好みだったんだ。


 だからといって、何か感じるわけではない。なぜなら僕の中学時代の淡い恋はとっくに終わっており、告白もすることなく、それどころか中学の同級生には誰にもカムアウトせずに卒業したからだ。

 そして、僕は高校で奇跡的に出会ったゲイの同級生と交際を始めた。それまで僕は、この狭い田舎社会で同じ性指向の人間に出会えるとはまったく思っておらず、十八歳になったら都会に出てマッチングアプリとかで知り合ったゲイと適当に処女を捨てるんだろうな、ぐらいに考えていたから、高校の時はそいつと一緒に過ごせて本当に幸せだった。


 そういうわけで、僕にとって彼との恋愛はすでに終わったものだった。


 今回、彼とその奥さんの結婚式に呼ばれた時、二人とも同級生だからな、ぐらいにしか思っていなかった。地元でのちくちくした視線は居心地の良いものではなかったが、ゲイであることを隠し通して『普通』の男子として過ごした僕にとって、『普通』の男性としてただの同級生カップルを祝福しに行くのは当たり前のことだった。


 やめときゃよかった。


 披露宴でビールを注ぎに行った僕に対して、彼はこう言った。


 ――ごめんな、裕介ゆうすけ。俺、本当はお前が俺のこと好きだってこと知ってたんだ。

 ――えっ、そうなんだ。


 ここまでは別に良かった。なにせ僕は大学時代にゲイやビアンの生き方に疑問を持って同性愛者の地位向上のために自分の経験をもとにした講演会などをしていて、SNSも本名でやっていて、この前書いたエッセイが僕の顔写真付きで出版されたので、まあ地元でも気づいたやつはいるだろうな、とは思っていた。


 だが、彼はこう続けた。


 ――俺、普通に女の子が好きだから、お前の気持ちには答えられない。ごめん。


 十七年も前に終わった恋だが。


 ――活動家をやってると何かと苦労はあるだろうけど、俺たち、ずっと友達でいような。


 そして隣の新婦も言う。


 ――裕介がゲイでも、わたしたちの友情は変わらないから。わたしたち、そういうのは理解してるから。活動、がんばってね。


 それを聞いて、僕はもうこいつらと連絡を取るのはやめよう、と思ったのだった。


 ところで、僕は今その高校時代に付き合い始めた恋人とまだ付き合っている。恋人というよりパートナーと言うべきか、もう十六年も一緒にいると恋愛よりも家族の情というような関係だが、民法が変わって同性婚が可能になったらこいつと結婚するんだろうな、とうっすら考えている。でも、そんなの学生時代から交際している男女、男男、女女のすべてのカップルに言えることじゃない? くっそー、腹立つ。


「なーにが活動家だ、ちょっと社会運動をするだけであいつらは自分たちとは違う側の危ない人間だって思うんだ」

「ゆうちゃん、荒れてるな。貴明たかあきとは連絡取れないのか? そういうのは貴明に受け止めてもらえよ」

「あいつはエリート商社マンだから今フランスだよ」


 頭が良く、背も高く、スポーツマンで、非の打ち所がない僕の彼氏の貴明は、カムアウトすることでよりいっそう『支援者』を得て、ゲイという『ハンデ』を背負いながら世界を股にかけて働くビジネスパーソンになった。実際にゲイである僕と付き合っているわけではなかったら、僕は彼をビジネスゲイでシス男性らしい社会的強者として糾弾しているところだった。

 そしてそんな強者男性である恋人のパスポートのスタンプが増えていく一方で、若いゲイたちのメンターをして疲弊している僕は東京の片隅で自称理解のある女性に「で、どっちが受けでどっちが攻めなの?」とか聞かれている。うるせえな、僕が受けだよ。


「理解しているって言ってる人たち、僕らの何を理解しているつもりなんだろう。そもそも理解してほしいわけじゃないのにな。理解してほしくて活動しているわけじゃないんだけど、僕の説明が下手なのかなあ」


 ママが苦笑する。


「俺もこんな格好しても茹でた卵が生卵に戻るわけじゃないんだよなってスーパーひたちに乗りながら考えちゃって」

「それもおかしくない? 僕らが茹でられたのっていつ? 初めて男に恋をした時? 物心がついた時? 生まれる前?」

「ゆうちゃんは頭がいいから嫌い。貴明みたい。あいつも理詰めで来る」

「理詰めで行かなきゃ、活動家なんてやつは、感情論を振りかざして社会に文句言って平等平等ってうるさく迫ってくると思われてるんだからさ。ていうか最近活動家という言葉が嫌いになった、冷笑されている気分だ」

「荒れてるなあ。まあ、飲めよ」


 僕はママが新しいグラスを準備している隙にスマホを見た。LINEを受信している。噂をすればフランス出張中の理詰めで来るエリートビジネスパーソンである。一面のぶどう畑を背景に満面の笑みで「ジュテーム裕介♥」などと言っているのを見ると気が抜けてしまい、僕はいつも怒るに怒れないのだった。


「はい、ジョニ黒」

「うう、ありがとう……」




<終わり>






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バウムクーヘンエンドなんて創作の中にしかないんだ 日崎アユム(丹羽夏子) @shahexorshid

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画