後方腕組みモブ少女に転生したオタクの私、隠密スキル全振りで推しを拝んでいたら攻略対象全員に「不可視の聖女」として狂愛されました〜バグが怖いのでDLCエリア(他校)に逃げ続けます〜
第2話:後方腕組みモブは、世界の端で息を殺す
第2話:後方腕組みモブは、世界の端で息を殺す
その日、私は「私」であることをやめた。
物心ついた時から、リア・フォン・ノイシュタットという少女の肉体には、あまりにも巨大で異質な「異界の記憶」が混濁していた。
それは、四角い箱の中で繰り広げられる、色彩豊かな恋愛の物語。乙女ゲーム『ルナリス・ラプソディ』。
前世の私が、寝食を忘れ、視力を削り、人生のすべてを捧げて愛した、あの「聖典」の記憶だ。
窓の外に広がる、魔力に満ちた幻想的な庭園。騎士たちが剣を振るう音。魔法の香りが微かに漂う空気。それらすべてが、ゲームの背景そのままだった。
自分がその世界に転生したのだと理解した瞬間、普通の人間なら、王子に愛される未来を夢想し、あるいは悪役として破滅を回避する策を練るだろう。
だが、私の魂を焼き尽くしたのは、そんな低俗な野心ではなかった。
(……ああ。私は、この完璧な
3歳の冬。私は凍てつくような鏡の前に立ち、自らの姿を見つめていた。
そこに映るのは、驚くほど特徴のない少女だ。灰褐色の髪。意志を感じさせない、どこまでも薄い顔立ち。
私は、歓喜に震えた。これならば「消えられる」と。
「お嬢様、お着替えの時間でございます」
「……」
背後から近づく乳母の足音。以前の私なら、素直に振り返り、その手を取っていただろう。
だが、今の私には使命がある。
私は、乳母の視界の隅——「認識の死角」へと、音もなく滑り込んだ。
まだ短い足。覚束ない足取り。しかし、私は前世で培った「画面構成の知識」を総動員し、乳母の瞳が焦点を結ばない位置を直感的に察知した。
「あら? お嬢様? さっきまでそこにいらしたはずなのに……」
乳母の声に、困惑が混じる。彼女は私の真横を通り過ぎ、部屋の奥へと消えていった。
カーテンの影に身を潜めた私は、早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、口元を歪めた。
これが、私の「隠密」の産声だった。
それからというもの、私の日常は狂気じみた「隠れん坊」へと変貌した。
ノイシュタット男爵家の屋敷は、私にとって広大な訓練場となった。
目的はただ一つ。誰にも認識されず、誰の記憶にも残らず、ただの「背景」として世界に溶け込むこと。
朝食の時間。私は使用人たちの視線がテーブルの皿や銀食器に集中する、わずか一秒に満たない「瞬き」の隙間を縫って席に着く。
食事は可能な限り音を立てず、咀嚼の音すらも、屋外で鳴く鳥の声や、風に揺れる木々のざわめきと「同調」させる。
食べた後の皿は、自分がそこにいた証拠を残さぬよう、常に清潔に保ち、いつの間にか「最初から空だった」かのように見せかける。
(……もっと。もっと気配を削らなきゃ。私の存在が、この世界の解像度を下げてはいけないの。私は、推したちが織りなす物語を観測するだけの、純粋な『視点』にならなきゃいけないんだから……!)
5歳になる頃には、私のステータス画面には、本来なら暗殺者や諜報員が人生の後半で手に入れるはずのスキルが、異常な形で発現していた。
『隠密』。
それは単に身を隠す術ではない。私の「見られたくない、関わりたくない、ただ壁になりたい」という切実なオタクの祈りを原動力として、物理法則を捻じ曲げる概念的な力へと進化していった。
庭園での訓練は、より過酷を極めた。
ノイシュタット家の庭には、魔力を帯びた小鳥たちが放たれている。彼らは外敵の気配に敏感で、少しでも殺気や異物感を感じれば、けたたましく鳴いて周囲に知らせる。
私は、その小鳥たちが私の頭に止まるまで、何時間も、何十時間も、草むらの中に潜み続けた。
皮膚を刺す冷気。這い寄る虫の感触。それらすべてを、私は「自然の雑音」として受け入れた。
自分の肺が取り込む酸素。吐き出す二酸化炭素。それらさえも、周囲の植物との交換活動の一部だと自分に言い聞かせる。
私はリア・フォン・ノイシュタットではない。私は、この土を覆う苔であり、湿った風であり、降り注ぐ木漏れ日そのものだ。
——いつしか、小鳥たちは私の存在を無視し、私の肩の上で羽を休めるようになった。
庭師が私の目の前を通り過ぎても、彼の瞳は私の輪郭を捉えながら、脳がそれを「ただの岩」として処理するようになった。
スキルのレベルが上がるたびに、私の世界はモノクロへと近づいていく。
周囲の色彩が薄れ、音の輪郭がぼやける。その代わりに、私が「観測」したいものだけが、鮮やかな光を放って浮き上がる。
そして、私は出会った。
10歳の春。王宮で開催された、貴族子女のための親睦会。
そこで私は、初めて「本物」を目にしたのだ。
豪華絢爛なシャンデリア。黄金の装飾。そこに集う着飾った大人たち。
その喧騒の中、一際輝く光の柱が、会場の中央に立っていた。
第一王子、アルフレート。
まだ幼さの残る顔立ち。だが、その金糸のような髪と、意志の強さを感じさせる碧眼は、まさに『ルナリス・ラプソディ』のメインヒーローそのものだった。
「……あ」
声が出そうになり、私は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
柱の影。重厚なビロードのカーテンの裏。
私はスキルのすべてを注ぎ込み、存在確率を極限までゼロに近づける。
心臓が、耳の奥で爆発したような音を立てている。感動。畏怖。そして、底なしの「尊さ」。
(……本物だ。本物のアルフレート様だ……。公式イラストよりも、設定資料集の解説よりも、ずっとずっと美しい……。今、彼が手に取ったのは……そう、公式設定にある『好物のレモンケーキ』! ああ、なんて上品な食べ方。あの指先の角度、あれこそが王族の教育の賜物……!)
私は前髪の隙間から、狂ったようにその姿を凝視した。
周囲の令嬢たちが、王子に媚びを売ろうと群がっていく。彼女たちは、王子の隣に立つ「ヒロイン」の座を狙っているのだろう。
だが、私にはわかっていた。
ここにいる誰も、アルフレート王子の魂を救うことはできない。彼の孤独を埋められるのは、数年後にこの学園に現れる、あの「太陽のような少女」だけなのだ。
(ダメよ、あなたたち。そんなにガツガツ近づいたら、王子の『人間不信フラグ』が立ってしまうわ。……ああ、でも見て。王子が困ったように眉を寄せた。あの、わずか2ミリの眉間の皺……! 助かる。あれだけで、白飯三杯はいける……!)
私は、その場に跪き、胸の前で両腕を固く組んだ。
「後方腕組み」。
それは、介入を拒み、ただ対象の幸福と成長を見守る、最も高潔で孤独なオタクの姿勢。
私は、自分がこの世界に転生した真の理由を、その時確信した。
私は、彼らを愛するために生まれたのではない。
彼らが愛し合うための「背景」を、完璧に整えるために生まれたのだ。
それからの数年間、私は学園入学を目標に、さらなる修練を重ねた。
隠密スキルのレベルを上げるため、私は夜な夜な、王宮の書庫や騎士団の訓練所に忍び込んだ。
見つかれば即、国家反逆罪。だが、そのスリルこそが、私のスキルを研ぎ澄ませた。
最強の剣士と言われる騎士団長が、私の鼻先を剣で薙ぐ。それでも私は、空気の揺らぎすら立てずにその場に立ち続ける。
高名な宮廷魔術師が、探知の魔法を全方位に放つ。私はその魔力の波を、自分の呼吸のリズムで「いなす」。
もはや私の隠密は、物理的な隠蔽を超えていた。
それは、「そこにいるのに、誰もそれを意識できない」という、概念的な消滅。
世界のパッチから、私という存在だけが削除されたかのような状態。
そして、ついにその日が来た。
王立学園の入学式。
私は、長く伸ばした前髪の下で、歓喜の涙を堪えていた。
新入生の列に並ぶ、色鮮やかな髪の少年少女たち。攻略対象。ヒロイン。悪役令嬢。
彼らが織りなす「最高の青春」が、今、幕を開けようとしている。
(……キタ。ついにキタわ。今日から始まるのね。私の、私の『後方腕組み』生活が……!)
入学式の最中、私は周囲の生徒たちが校長の話に退屈している隙を見て、ふっと気配を消した。
隣に座っていた生徒は、私の存在にすら気づかず、私が座っていた椅子を「最初から空いていた」ものとして扱い、荷物を置こうとした。
私はそれを音もなく避け、講堂の天井近く、装飾用の梁の上へと跳んだ。
そこは、誰の視線も届かない、完璧な特等席。
眼下には、光り輝く攻略対象たちが並んでいる。
アルフレート王子。リュカ。カイル。
彼らの後頭部を見下ろしながら、私は確信を持って、両腕を組んだ。
(……ああ。最高。ここなら、彼らのすべてのフラグを管理できる。誰にも邪魔されず、誰にも知られず、私はこの世界の『完璧な幸福』を見守り続ける……!)
——しかし、私はまだ知らなかった。
私が「完璧な壁」になろうとすればするほど、私の放つ「
攻略対象たちが、ヒロインに向けられるはずの執着を、その「空虚な背景」へと向け始めてしまうなど、この時の私には、想像すらできなかったのだ。
これが、私と彼らの、歪んだ「追いかけっこ」の序章。
私が「過去」を振り返るとき、常にそこには、私の隠密を突き抜けてこちらを覗き込もうとする、あの金色の瞳が、不気味な熱を持って焼き付いている。
さあ、物語を始めましょう。
私が、いかにして彼らの「聖女」に祭り上げられてしまったのか。
いかにして、この完璧なゲームを、私が一番手でぶち壊してしまったのかを。
その血を吐くような後悔と、至福の記憶を、ここに全て書き記すために。
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後方腕組みモブ少女に転生したオタクの私、隠密スキル全振りで推しを拝んでいたら攻略対象全員に「不可視の聖女」として狂愛されました〜バグが怖いのでDLCエリア(他校)に逃げ続けます〜 駄駄駄(ダダダ) @dadada_dayo
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