後方腕組みモブ少女に転生したオタクの私、隠密スキル全振りで推しを拝んでいたら攻略対象全員に「不可視の聖女」として狂愛されました〜バグが怖いのでDLCエリア(他校)に逃げ続けます〜

駄駄駄(ダダダ)

第1話:壁になりたいオタクと、壁に跪く王子

 静寂。それは、完璧に調律された音楽に似ていた。


 学園の深奥、王族と一部の特権階級にしか開放されていない『瑠璃の温室』。高い天井を覆う強化ガラス越しに、冬の月光が青白く降り注いでいる。その光は、室内に咲き乱れる異界の銘花たちを「銀の標本」へと変え、冷たい影を石床に長く、鋭く突き刺していた。


 地上3メートル。装飾の施された太い梁の影に、ひとりの少女がうずくまっている。


 名を、リアという。


 紺色の制服に身を包んだ彼女は、まるでそこだけ時間が凍りついたかのように微動だにしない。長い、あまりにも長い前髪がカーテンのように目を覆い隠し、彼女の表情を闇の奥へと追放していた。


 ——彼女は、そこに「存在して」いなかった。


 隠密スキル、レベル100(最大)。


 前世で乙女ゲー『ルナリス・ラプソディ』を3000時間やり込んだ果てに、この世界に転生した彼女が、全経験値を注ぎ込んで得た究極の力。それは「世界から認識を拒絶される」という、モブを志す者にとっての至高の盾だ。


(……ああ。あああ、尊い。尊すぎて、今すぐこの梁の一部になって風化してしまいたい……!)


 リアの脳内では、前髪のわずか数ミリの隙間から覗く光景が、4K画質の解像度を超えて処理されていた。


 視界の先、月光を一身に浴びて立つのは、この国の第一王子、アルフレート。そして彼に守られるように俯く可憐な少女、聖女ヒロインだ。


(見て……。あの王子の左手。今、一瞬だけ指先が痙攣したわよね? ヒロインの震える肩に触れたい、けれど自分の高潔な理性がそれを許さない。その『葛藤』! これこそが公式設定資料集の34ページに注釈で書かれていた『王子の自制心』の具現化……! 拝む。私は今、歴史的な純愛の目撃者として、この瞬間を網膜に、いや魂に刻み込んでいる……!)


 リアは胸の前で両腕を組み、ぐっと力を込めた。いわゆる「後方腕組み」の姿勢だ。


 彼女にとって、この温室は生きる場所ではない。巨大な、、祭壇だ。


 推しカプが愛を語らい、葛藤し、やがて結ばれる聖域。自分のような「不純なオタク」は、そこに関わってはならない。認識されてはならない。ただの「空気」として、あるいは「壁」として、彼らの物語を汚すことなく観測し続けること。それが、転生者である彼女が自分に課した、最も過酷で、最も幸福な義務だった。


 隠密スキルの副作用か、彼女の五感は異常なまでに研ぎ澄まされている。


 王子の纏うサンダルウッドの香水の残り香が、夜の湿った土の匂いと混ざり合い、甘く重い情欲の予感となって鼻腔をくすぐる。ヒロインの衣擦れの音、その小さな、けれど速まった鼓動が、静かな温室に木霊している。


 それらすべてが、リアにとっては最高級のオーケストラだった。


(完璧。完璧よ。もうすぐ第3章・最大の見せ場『温室の誓い』が始まるわ。さあ王子、早くその重い口を開いて、ヒロインを絶望から救い出す甘い愛の言葉を吐きなさい。私はここで、誰にも邪魔されない特等席から、二人の幸福を祈りながら消えてあげるから……!)


 だが。


 その時、リアの神経を逆なでするような雑音が、温室の外縁から忍び寄った。


 それは、月光に溶け込むような微かな金属音。そして、殺意という名の、あまりにも下劣な不純物。


(……は? ちょっと待って。冗談でしょ?)


 リアの「前髪の奥」にある瞳が、冷徹な光を帯びる。


 温室を囲む茂みの中。3人の男たちが、毒を塗ったクロスボウを構え、王子の背後を狙っていた。王家の政争が生んだ暗殺者。


 本来のゲームシナリオなら、ここで王子がヒロインを庇って軽傷を負い、二人の絆が深まるという「負傷イベント」が発生するはずだ。


 だが、今のリアにとって、それは受け入れがたい「雑音」だった。


(ふざけないで。今の王子の台詞回し、最高に情緒が乗ってたのよ? そこで毒矢? 物理的なダメージでムードをぶち壊すなんて、解釈違いにも程があるわ。そんな二次創作、私が許さない。私の『推し活』を邪魔する不届き者は……背景ごと掃除してあげる)


 リアは梁の上を、音もなく「滑った」。


 歩くのではない。空間そのものに無視されながら、重力すらも彼女の移動を検知できない。


 瞬きする間に、彼女は暗殺者の一人の真後ろに立っていた。


 男は、目の前の王子に集中するあまり、自分の背後に「死」が立っていることにすら気づかない。


 リアは細い指先を、男の首筋にそっと触れさせた。


 高密度の魔力が、隠密スキルのヴェールを纏ったまま、男の神経系に直接流し込まれる。


「——っ」


 声すら出ない。男は糸が切れた人形のように、静かに地面へと倒れ込んだ。


 続いて2人目。3人目。


 リアの動きは、残酷なまでに無駄がなく、そして美しい。


 彼女は暗殺者を殺したのではない。彼らを「物語に存在しなかったもの」として、ゴミ箱へ捨てたのだ。


(よし。これで不純物は排除完了。さあ、王子。リテイクよ。もう一度、あの最高の溜めから告白を始めて頂戴……!)


 満足げに、再び元の梁の上へと戻り、完璧な「後方腕組み」のポーズを構えるリア。


 しかし。


 温室内の温度が、急激に、、凍りついた。


 王子アルフレートが、告白を止めた。


 彼はヒロインの手を離し、ゆっくりと、恐ろしいほどの殺気を孕んだ瞳で、誰もいないはずの「虚空」——リアが今まさに立っている梁を見上げたのだ。


(え……? 王子、何してんの? 下よ、下を見て。可愛く潤んだ瞳であなたを見つめるヒロインがそこにいるでしょ!? なんでそんな、獲物を追い詰めるような肉食獣の顔で、かべを見てるのよ……!?)


 リアの背中に、嫌な汗が流れる。


 隠密スキルは解除されていない。自分の姿は見えていないはずだ。


 だが、王子の金色の瞳には、確かな「熱」が宿っていた。それは恋などという生ぬるいものではない。一度見つけたら二度と離さない、執着という名の呪いだ。


「……もう、隠れなくていい。そこにいるのだろう?」


 王子の声が、温室のガラスを震わせる。


 ヒロインが怯えたように肩を震わせるが、王子の視線は彼女を完全に無視していた。


「ずっと、気になっていたんだ。私の背後に、常に寄り添う『慈愛に満ちた眼差し』。……今日もまた、私のために不浄の輩を掃除してくれたのだな? 私の、名もなき守護聖女よ」


(いやあああああああ! 誰が聖女よ! 私はただのキモオタよ!! 勘違いしないで、私はあなたのファンであって、対象ヒロインになりたいわけじゃないのよ!!)


 リアはパニックに陥り、即座に逃走を図ろうとした。


 だが、その瞬間。


 王子の指先から放たれた「魔力の鎖」が、空中で彼女の細い手首を正確に絡めとった。


「逃がさない。君がどれほど私のことを見つめ、愛してくれていたか……私はずっと、肌で感じていた。さあ、その前髪の奥にある真実を、私に見せてくれ。……君を、独り占めにする権利は、私にしかないはずだ」


 王子の瞳に、真っ暗な独占欲の炎が灯る。


 それは、ゲームのどのルートにも存在しなかった、完全な「システムバグ」——いや、愛という名の狂気。


(助けて……!! 解釈違いよ! 私の推し王子はこんなストーカー系ヤンデレじゃない! 運営さんパッチを、今すぐ他校(DLC)への転送パッチをください!!)


 リアの絶叫は、隠密スキルの結界の中で、誰にも届かずに虚しく響き渡る。


 これが、後に世界を揺るがす「不可視の聖女」と、彼女に狂わされた男たちの、地獄のような追いかけっこの始まりだった。



 ◇◆◇



「……っ、離して……!」


 リアの唇から、前世と現世を通じて初めての「悲鳴」が漏れた。


 隠密スキルが物理的な接触を拒むのは、あくまで「相手が自分を認識していない」場合に限られる。今のアルフレート王子は、確信を持ってリアの『手首』という座標を捉えていた。魔力の鎖が肌を焼き、完ストしているはずの防御貫通耐性を容易く食い破ってくる。


(嘘、嘘でしょ!? 私の『世界の一部アンビエント』は、存在確率をゼロにする概念系スキルのはずよ。なのに、なんでこの王子の指先は、私の実体を『肯定』しているのよ!?)


 梁の上でバランスを崩したリアの身体が、重力に従って宙を舞う。


 舞い上がる長い前髪。スローモーションのような視界の中で、リアは必死に髪を抑えた。顔を見られてはならない。モブとしての死は、素顔を晒し「個人」として認識された瞬間に訪れる。


 だが、地面に叩きつけられる衝撃は来なかった。


 代わりに彼女を包み込んだのは、夜の温室に似つかわしくない、暴力的なまでの熱量とサンダルウッドの香り——王子の腕の中だった。


「捕まえたぞ。……驚いたな。羽毛よりも軽い。君は、本当にこの世の存在なのか?」


 アルフレートの低く、甘く、それでいて底知れぬ独占欲を孕んだ声が、リアの耳元で直接振動する。


 お姫様抱っこ。乙女ゲーにおける王道のスチルシーン。だが、その対象がヒロインではなく「梁の上にいた不審な目隠れモブ」であるという一点において、この光景は呪わしいバグでしかなかった。


「……ひ、ひぃっ……!」


「怯えるな。君を責めているのではない。むしろ感謝しているのだ。先ほどの暗殺者たち……君が排除してくれたのだろう? ずっと、私を守ってくれていた。誰にもその献身を誇らず、ただ影として。……ああ、なんて健気で、高潔な魂だ」


(違う! 勘違いしないで! 私はただ、推しカプの邪魔をする雑音を消しただけ! 掃除機のフィルターが埃を吸い取るのと同じ、ただの環境維持活動なのよ!!)


 リアは腕の中で激しく悶絶した。


 だが、彼女が動けば動くほど、王子の腕には力がこもる。その瞳は、もはや聖女ヒロインのことなど微塵も映していない。放置されたヒロインは、あまりの事態に呆然と立ち尽くし、震える唇で「アルフレート様……?」と呟くことしかできないでいた。


 その時。温室の入り口の扉が、音もなく開いた。


「——失礼。殿下、夜分に温室で『空気』と抱き合って何をしておいでですか?」


 冷徹な声が、凍りついた空気を切り裂く。


 眼鏡の奥で知性の光を冷たく光らせた少年。宰相嫡男、リュカだ。彼もまた、このゲームにおけるメイン攻略対象のひとりであり、本来なら王子の相談役として、あるいはヒロインを巡るライバルとして登場するはずの男だった。


「リュカか。見ての通りだ。私の『守護聖女』をようやく捕らえたところだ」


「殿下、お疲れのようですな。あなたの腕の中には何もいない。……少なくとも、通常の視覚・・・・・では」


 リュカの視線が、王子の腕の中の「虚空」に向けられる。


 リアは息を呑んだ。リュカの目は笑っていない。彼は、魔力波形を解析する単眼鏡モノクルを指先で弄んでいた。


「……ですが、私の魔導演算によれば、その空間には異常なほど高密度の『情報』が圧縮されている。……まるで、世界の秘密を一手に引き受けたような、美しくも歪な情報体が。……殿下、独り占めは感心しません。私にも、その『真理』を観測する権利があるはずだ」


(眼鏡! お前もか!! なんでお前まで、私の隠密を『解析』しようとしてるのよ! 効率厨のお前は、ヒロインの政治的価値を計算して、王子をサポートする役に徹してなさいよ!!)


 信仰型の王子と、解析型の宰相。


 二人の天才が、認識できないはずの「モブ」を巡って、静かな、けれど苛烈な視線の火花を散らす。


 リアの脳内では、緊急警報が鳴り響いていた。


(ダメ。これ、第3章どころか、ゲームそのものが壊れる。私がここにいちゃいけない。私が認識されるたびに、この世界の『物語シナリオ』が死んでいく……!)


 リアは決断した。


 今の自分にできる、最大にして最悪の隠密奥義。


 それは、相手の認識を狂わせるのではなく、自分自身の「存在理由」を一時的に世界から削除すること。


「……っ、『概念消去イレイズ・ディフィニション』……!!」


 リアの身体が、青白い燐光となって弾けた。


 王子の腕の中から、質量が消える。魔力の鎖が空を切り、リュカの単眼鏡が異音を立てて割れた。


「消えた……!? 待て! どこへ行った!」


「……ふっ、くくく。面白い。私の演算を上回る消失……。ますます、手に入れたくなった」


 背後で聞こえる狂愛の咆哮を無視し、リアは温室の外、影から影へと文字通り「跳んだ」。


 心臓が痛い。魔力を限界まで絞り出した反動で、視界がちかちかと明滅する。


 それでも彼女は止まらなかった。自分の寄宿舎の部屋へ。誰も知らない、前髪を下ろして「ただのオタク」に戻れる唯一の聖域へ。


 部屋に転がり込み、鍵を三重にかけ、床に崩れ落ちる。


 長い前髪が乱れ、その下から、涙に濡れた瞳が露わになった。


 それは、王子の金髪よりも、ヒロインの瞳よりも美しい、夜空を凝縮したような深い紫色の瞳。だが、今の彼女にとって、その美貌は呪いでしかなかった。


「……無理。もう、この学校にはいられない」


 彼女は震える手で、ベッドの下に隠していた「禁断のアイテム」を取り出した。


 それは、前世の知識を総動員して自作した、他校への偽造転校書類。そして、DLCダウンロードコンテンツエリアへと繋がる、秘密の転移触媒。


「推しカプを拝めない世界なんて、生きてる意味がない。……いいわ、次の学校へ行く。そこにはまだ、私の知らない、私の介入で汚されていない『本物の物語』があるはずだから」


 彼女は前髪を整え、再び「無」の仮面を被る。


 鏡に映る自分は、どこにでもいる、気味の悪い、誰もが見逃す「目隠れモブ」だ。


「さようなら、アルフレート王子。さようなら、私の愛した第1学院。……次は、もっと上手く『壁』になってみせるわ」


 窓から差し込む月光が、彼女の姿を最後の一片まで飲み込み、部屋には誰もいなくなった。


 後に残されたのは、彼女が落とした、小さな、小さな押し花の栞だけ。


 それは、彼女がかつて王子とヒロインの仲を応援するために、こっそりと用意していた「幸福の呪い」だった。


 翌朝。


 学園は、未曾有の大混乱に包まれることになる。


 第一王子と宰相子息が、授業を放り出し、血眼になって「昨夜の温室の幻」を捜索し始めたからだ。


 そして、その捜索の輪は、騎士団長子息、魔術師、義理の兄、そして教官へと、伝染病のように広がっていく。


 彼らが求めているのは、もはや聖女ではない。


 自分たちの目の前で、鮮やかに世界から消えてみせた、あの不気味で愛おしい「不可視の少女」だけだった。


 リアの逃走劇は、まだ始まったばかりである。

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