2025冬コミに行ってきたニッチ性癖エロ漫画家のひとりごと
@Amefrash
ボンカレーに味の素をぶっかけるとうまい。
久し振りに、コミックマーケット107にサークルで参加した。
オタクの祭典と名高いコミケ。ついった(Xとは呼びたくない)では毎度、開催のたびに「制御されたカオス」として話題になる待機列の、早回しで観るとちょっとキモイ程に統制された人海のうねりや、ネタに全振りしたシュールなコスプレ(もはや仮装と言った方が近いかもしれないが)がバズったりするあのコミケである。
私は例年、夏と冬の2回サークル参加して、いわゆる変態島、と呼ばれるニッチ性癖ごった煮エリアの片隅で細々とエロ本の行商をして、なんとか口に糊して、ということを続けていたのだが、しばらくの間参加を見送っていた。
たまの商業活動だけではとうてい食えない木っ端エロ漫画家にとって、重要な収入源の一つたるコミケ参加ができなかった理由はシンプルなことだ。不摂生で体調を崩して、もともとストレス耐性の低かったポンコツな脳が、精神科に通院するうち「おくすり」なしには回らなくなり、そんな肉体ではあの戦場に赴くには、あまりに大きく、現実的な不可能性があった。
結果何が起こったかと言えば、当然と言えば当然、年収がちょっと面白いと思うほどに減った。
自転車操業は、漕ぐのを少し休むと、すぐに預金という名の現実が背後から迫ってくる。だから私は、売れっ子であろうがなかろうが、漫画家なんていう仕事を続けられている同業者たちのことを、心から尊敬せざるを得ない。
およそ「歩く」という行為すらもしなくなったワンルームに引きこもりの運動不足きわまる男は尾崎放哉よろしく咳をしてもひとりであって、結局のところ、描かねば素寒貧になるばかりだ。生命の要請によって、そしてもうボンカレーの味変のための調味料をとっかえひっかえするにも限界を感じて、私は久々に、今回の冬コミケへの参加を決断した。
コミケ、というと中には「自作のエロ本を売るキモいオタクの会合、エロ本の行商会」というイメージを抱く向きもあるかと思う。しかし実際には、コミケ全日程のべ参加サークルにおける成人向け作品を頒布するサークルの割合は3割前後であるので、少なくとも半数以上は(表向き)えっちなひとではないということを声に大にして言いたいのだが、他ならぬ私自身がえっちなひとで、汚名を着させる側にいてしまっていることが歯がゆい限りだ。
エロ本、しかも割とニッチな性癖の本を行商するなかで得た知見がある。「変態紳士はシャイ」だということだ。
割とマジでシコれると思ってすっごいエロいと思って描いた新刊の山ごしに、こちらのポスターを見て、新刊の表紙を見て、またポスターを見て、と動いている人がいるとする。その目がギラリと「狩人の目」になる瞬間を見るときがある。
ここで、どうぞご覧になってみてください、と、声をかけたくなる。当然だ、こちらもスッゴイエッチナホンアルヨオススメダヨスッゴイ濃イノデルヨという気持ちがある。しかし、コミケと鮮魚店は違う。呼び込みは逆効果になることがしばしばある。
おそらく、これは食虫植物に対峙した虫が抱く恐怖に似たものなのかもしれないと私は勝手に想像している。右を見ればふたなりちんちんinふたなりちんちん、左を見ればガチムチオスケモ複乳ニプルファック。不思議の国のアリスが、映画の中ではただ通り過ぎて行っただけのあの頭と尻尾がブラシになったきもいイヌから、もし突然人語で話しかけられたならば確かに恐怖を覚えるだろうと、私は何度かのコミケ参加を経て、その気持ちをおもんぱかることができるようになった。
食虫植物は、徹底した待ちの戦法で、悠久の時を、命をつないで、進化してきた。ゆえにこちらも、それに倣うのがここは進化生物学的にも正しいといえる。ある種のバイオミメティクスBiomimetics(「生物の構造や機能、生産プロセスを観察、分析し、そこから着想を得て新しい技術の開発や物造りに活かす科学技術」の意)だ。
なるべく、目は見ない。スマホでもいじって、無害な顔をする。スケッチブックを手にとって、何か落書きでもしているようなふりをしたり、特に必要なく新刊の残り部数をチェックなどしてみるのもいい。
そうすると体感、3割程度の確率でこちらに寄ってきて、見本を手にしてもらえることがある。あとは刺さるか刺さらざるか、私なりのすっごいエロいはそんな感じですか如何でしょうか、というプレゼンに介入する余地は、作者たるこちらにはすでに無い。頼りは、その手元の漫画しだいだ。そのまま「新刊下さい」という声が聴ける確率もまた体感3割程度。通算して、購入に至る確率はざっくり9%、1割弱といったところである。
この1割がとても尊い。
本を手渡すときに、初めて目を見て、できる限りしっかりした声で「ありがとうございます!」と言う。ようこそ男の世界へ。たいていの場合、目が合うことはないのだが、私はこの瞬間がとても好きだ。変態紳士の協定のようなものがあると少なくとも私は思っている。
自分の手で本を売ることは、とりわけ昨今、大きな意味を帯びているように思う。同人書店での通販委託、DL版の普及などはこれまでも言われてきたことだが、生成AIの台頭によって、イベントの場で作者と読者が顔を突き合わせるということの意味が、より濃厚になりつつあるのではないだろうか。
生成AIを取り巻く種々のことについては、あれらが私の病状を悪化させたという個人的な怨みはあれど、あえて今ここでは言及しないことにする。それはそれとして、暗い部屋の中、作業中にこれはちょっとエロすぎるシコらねばと手を止めて自家発電を繰り返して、間違いなく自分の手で描いて形にした本を物理的に手にとって、手で渡すときには愛娘の嫁入りを前に涙する父親の気持ちを味わって(結婚などしたこともする予定もないのだが)、そして、人混みの中わざわざ買いに来てくれた感謝を声を出して伝える。こういった一連のことには、やはりどうしても機械によって学習され得ないなんらかの「尊さ」があるように思えてならない。コスパ、タイパの世の中に逆行する考えかもしれないし、時代の転換点のなかでアナクロだと一笑に付されて、駆逐されていく蚊トンボのようなはかない存在かもしれないが、そんなことは一向に「どうでもいい」のだ。
ニーチェは「ツァラストラはかく語りき」において「血で書かれたものだけを私は愛する。血で書け」との一節を残した。
私は、このどうしようもない「精液で描かれた書物」を愛してくれる読者が一人でもいる限り、チェーンの切れかかった自転車を漕ぎ続けたい。
2025冬コミに行ってきたニッチ性癖エロ漫画家のひとりごと @Amefrash
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