第2話 天宇受売

世界は闇に包まれていた。

太陽神である天照大御神が天岩戸にお隠れになって以来、昼も夜もない暗黒が続いている。人々はなげき悲しみ、途方に暮れていた。

ここ天つ国でも、神々は途方に暮れている。

私は、人々がこの暗闇の中でも希望を捨てずにいられるよう、笑顔で励ましてまわっていた。けれども内心では、何が人に真の希望を与えられるのかと、日々頭を悩ませていた。笑顔だけでは、この深い絶望は拭えない。言葉だけでは、この闇は晴らせない。

そんな中、思金神から呼び出しがあった。

「このままでは、この世界が滅んでしまう。皆で協力して大御神様に戻ってきていただかなくては」

私たちは何度も話し合いを重ね、とある作戦を立てた。国内にいる八百万の神々を招待し、天岩戸の前で盛大な宴席を設けることとした。私たちの作戦には、できるだけ多くの神々に集ってもらうことが必要だった。大御神様が、外の賑やかさに心を動かされるように。

そして宴の日が来た。

皆で宴を盛り上げ、大御神様が不思議に思って様子を伺った時——そこに鏡を見せて「新しい神様がいらっしゃったのでお祝いをしているのです」と伝える役を布刀玉命が担う。そこをすかさず天岩戸をこじ開け、大御神様を外に引き出す役を天手力男神が務める。


そして私には、宴を盛り上げる役が振り分けられた。

芸能を守護する神として生まれた私に、最も相応しい役割。けれども、この様な大役を任せられたことに、内心は震えていた。失敗は許されない。この一度の舞で、世界の命運が決まる。手のひらに汗が滲んだ。

天手力男神が土俵で相撲を取り、場を盛り上げている。力強い取り組みに、神々の歓声が上がる。私の出番はもう少し後だ。深呼吸をして、気持ちを整える。

笑顔。そう、笑顔を忘れてはいけない。

私が楽しまなければ、誰も楽しめない。私の熱が伝わらなければ、この作戦は成功しない。覚悟を決めた。


そして出番が来た。

神楽の音が響き始める。私はゆっくりと舞台に歩み出た。

くるり、くるりと舞う。衣装がひらひらとはだけていく。1枚1枚と減っていく衣装と共に心が軽くなっていく。自由になっていく。

神々の気持ちが高揚していく。笑い声、歓声、手拍子が熱狂を伝える。


そんな中、一人だけ異質な存在がいた。

人垣の奥、一際大きなその身体。長い鼻と真っ赤な目、異様な風体の男神。見慣れぬ姿だった。

周囲の神々が熱狂に身を任せ、楽しみ、笑っているのに、彼だけは、ただじっと、私を見つめていた。ただ——真摯な、深い眼差しで。


私、皆を楽しませたいのよ。だから笑って、皆のように笑ってよ。

そんなに真剣な顔で見ないで。

あなたのその目は——私の何を見ているのだろう。

まるで、私の心を——私の魂を、見つめているよう。


その刹那、天岩戸から細い光が差した。

大御神様が、外の様子を窺っておられる。

布刀玉命が鏡を掲げ、天手力男神が岩戸を力任せにこじ開ける姿が目の端に映る。神々の歓喜の声が背後で爆発的に広がった。光が戻ってきたのだ。


私の役目は終わった。

舞台をためらいなく去る。


あの男神は誰だったのだろう。

思いを残しながら。

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