第1話 

目覚めると、そこは視界の端から端までが「無」で塗り潰された世界だった。


上下も左右もわからない。影すら落ちない、あまりに純粋で、あまりに無慈悲な白。

肺に送り込まれる空気には温度がなく、自分の肉体が境界線を失って、この白に溶け出してしまいそうな錯覚に陥る。


「……サフィー、ナ……」


震える唇から漏れたのは、最期まで守りたかった少女の名前だった。

返事はない。ただ、自分の声が、反響すら起こさずに吸い込まれていく。

重い体を引きずるようにして辺りを見回すが、何もなかった。 ……ああ、そうか。


「地獄、か」


乾いた声で、そう確信した。

至極当然の帰結だ。俺は軍人だった。

国家という名の巨大な歯車の、最も血生臭い部分を担う部品だった。

自国のため、大義のため。

そんな耳当たりのいい言葉を盾にして、どれほど多くの命を奪ってきただろうか。

魔獣と戦いながらも、俺の国は他国と戦争をしていた。

俺もその戦争に参加した。

たくさんのスパイ行為をした。

そんな男に、穏やかな天国への門が開かれるはずもない。


だが――それでいい。

守るべき最愛の家族一人さえ守りきれず、裏切りと憎悪の雪原に沈んだクズには、この地獄が相応しい罰だ。

目頭が熱くなる感覚があった。

けれど、涙は出ない。

泣くための気力さえ、あの雪原にすべて置いてきてしまったのだから。


――――――――――――――――――


個体名 確認する権限がありません 

L  v 1

H  P 47/47 

M  P 23/23

攻撃力 12

防御力 7

速 度 3

スキル 構造生成


――――――――――――――――――


「…ハハッ…今まで努力して強化したステータスさえこれだ」


前世の七十分の一。攻撃力に至っては百分の一すらない。


「――やっほー、お兄さん。随分としけた面してるね?」


不意に、前方から投げられた場違いなほど明るい声。

顔を上げると、そこには一人の少女が立っていた。

艶やかな黒髪を揺らし、朗らかな笑みを浮かべている少女。

まだ、十代も半ばといった幼さの残る風貌。


「ここにいるってことは、お兄さんも『あっち』で死んじゃったってこと?」


「…………」


俺は答えず、視線を再び床――と呼んでいいのかもわからない白い平面に落とした。

今は、誰かと軽口を叩き合えるような精神状態じゃない。

沈黙という名の拒絶。

しかし、少女はそれを気にする様子もなく、俺の顔を覗き込んできた。


「おい! しかとかー! せっかくの案内人様との初対面なんですよ、ここ!」


「……そうだ。死んだんだ。というか、誰だお前は」


ようやく絞り出した声に、少女は満足げに胸を張る。


「あなたと同じ死者であり、かつ、ここの案内人! 名前はルル!」


「…それで、ここはどこだ。地獄の待合室か?」


その問いに、ルルはいかにも「待ってました!」と言わんばかりの表情で鼻を鳴らした。


「ふふーん、いい質問ですね! ここはね、君たちの世界でいわゆる遂行者と呼ばれていた人間が死んだとき、転生するために立ち寄る中継地点だよ!」


「……は?」


「そして、私はそこに配属され、魂を女神様のもとまで導く人!」


「…は?」


転生。 かつてサフィーナが、話してくれた物語に出てきたものだった。

正直、現実に起きたと聞いても、全く信じられない。

だが、俺が生きていた世界も、突如として『クエスト』なる異象が日常を侵食する狂った場所だった。

今更、転生だのと言われても、驚くには値しないのかもしれない。


「……だが、なぜ『遂行者』に限定されている。他の死者はどうなる。それに、転生させるなら機械的に次の世界へ送れば済む話だろう。なぜこんな『場所』と、お前のような『案内人』が必要なんだ?」


矢継ぎ早の質問に、ルルは目を白黒させた。


「あーっ、ちょっと待って! いきなり一気に聞きすぎ! 案内人としてはやりがいあるけど、キャパオーバーだよ!」


「なら、最初の質問から答えろ」


「もう、人使いが荒いなぁ……。えーっと、まず『なぜ遂行者に限定されているか』、だよね」


ルルはわざわざ声を低くし、俺の声色を真似て復唱してみせた。茶化しているのか、それともこれが彼女なりのサービス精神なのか。


「それはね、遂行者の魂には『役割』が設定されていて、循環するように作られているからだよ」


「……ほう。推測するに、遂行者の魂には強い力がある。その力があるからこそ、『クエスト』を遂行できる。そして、その貴重な資源を使い捨てにするのは効率が悪い……その女神によって、死後も再利用されている、ということか」


「…………えっ?」


ルルが固まった。瞬きを繰り返し、信じられないものを見るような目で俺を見つめる。


「……なんで今の一言だけで、そこまで理解できちゃうの?」


「一の情報から十を推測し、戦場の状況を把握しなければ、軍隊では一日も生き残れないからな。経験則だ」


「十どころか百くらい理解してない……? あ、いやっ、案内人としてのプライドがっ! ちゃんと補足説明させてよ!」


彼女は焦ったように身振り手振りを交えて喋りだす。


「いい? クエストはあなたたちがいた世界だけじゃなくて、ほかの世界でも発生してるの。それに対処するためには、適性のある強い魂を『派遣』しなきゃいけない。だから、あなたたち遂行者は、死んでもなお別の世界へ送られる『全宇宙規模の派遣社員』みたいなものなんだよ!」


「なるほど、理解した。つまり俺たち遂行者は、全世界に蔓延する『クエスト』という危機に対処するための戦闘員として、使い回されているわけだ」


「……」


「どうした?」


ルルは今にも泣き出しそうな顔で、プルプルと震えていた。


「……私の役割、もういらないんじゃないかなぁ……」


「安心しろ、今の説明は役に立った」


「っ……! よっしゃ! 単純だけど嬉しい!」


一瞬で表情を輝かせ、彼女は再びキリッとした顔を作る。

またしても俺の声真似を始めた。


「じゃあ次! 『他の人たちは死んだらどうなるんだ?』の答えね!」


「いい。もう察しがついた。案内を遂行者限定で行っているということは、お前は他の死者の行方を知らない。おそらく一般人の魂はリサイクルの価値がないのだろう、循環のサイクルには組み込まれず、霧散するか、別の管理下にあるんだろう」


「私、まだ一文字も喋ってないんだけど!?」


「三つ目の質問、なぜこの場所が必要なのか。それは遂行者に『どの世界へ行きたいか』の選択権を与えるためだろう。過酷な役割を担わせるための、唯一の報酬、そんなところだろう」


「……もうやだ、この人。私のアイデンティティがボロボロだよ……」


ルルは真っ白な空間の一部になりそうなくらい、魂が抜けたような顔で項垂れた。

軍で参謀たちと議論していた頃の癖が出てしまった。

情報を整理し、最短距離で結論を導き出す。

それが死後も抜けないのは、悲しい性というやつだろう。


「……それで。俺もまた、どこかの世界へ行くことになるのか?」


「うん。そうだよ。それが、決まりだから」


転生。新しい命。新しい世界。

普通なら、絶望の淵で聞いたそれは救いの福音に聞こえるのだろう。 だが。


「……俺は、転生なんてしたくない」


「え……? どうして? 次はもっといい世界かもしれないよ? 美少女に囲まれるとか、最強の力を手に入れて無双するとか、そういう願いはないの?」


「ない。……何もないんだ。もう、生きることに疲れた。俺が持っていたものは、すべて失われた。あきらめたんじゃない。奪われ、壊され、もう何も残っていない」


立ち上がろうとする力すら、今の俺には湧いてこない。


「死ねるというのなら、そのまま静かに消えたかった。……二度と、目覚めたくはなかったんだ」


「…………」


ルルは黙って、俺の言葉を咀嚼するように見つめていた。

その瞳の奥に、案内人という役割に不釣り合いな、深い影が宿ったように見えた。


「ねぇ、お兄さん。……聞いていいことかわかんないんだけどさ」


彼女は、少しだけ躊躇するように言葉を継いだ。


「あなたの前世で……何があったの?」


話したくない。

と突っぱねることもできた。

だが、もう隠す必要も、守るべきプライドもない。

どうせ、すべてが終わった後のエピローグだ。

最期に自分の人生を誰かに聞かせたところで、天罰が下るわけでもあるまい。


「……いいだろう。どうせ、どこにも行けない空間だ。暇つぶしにはなるだろう」


俺は、ぽつりぽつりと語り始めた。

親に捨てられた薄暗い記憶。

少しだけ暖かかったような孤児院での日々。

ただ生きるためだけに、銃を握らざるを得なかった少年期。

軍人として昇り詰め、ある日保護したサフィーナのこと

そして……。

最期、信頼していた仲間に裏切られ、雪原でその少女を抱いたまま息絶えた、救いようのない結末までを。


彼女は、最後まで一度も口を挟まなかった。

ただ、真剣な眼差しで、俺の言葉を、俺の人生の断片を、拾い集めるように聞いていた。

気づけば、凍りついていた心が、ほんの少しだけ解けているのを感じた。

……そうか。俺は、誰かに話したかったのかもしれない。

報われなかった俺たちの人生を。

サフィーナという少女が、確かに生きていたという事実を。


「……とまあ、何のために生きて、何を成したのか。自分でもよくわからない、無意味な人生だったよ」


「うっ……ぅ、うぅぅぅ!!」


唐突な、鼓膜の下のほうに響くようなすすり泣く声。

見れば、ルルが、子供のように顔をくしゃくしゃにして号泣していた。


「……? おい、なぜお前が泣くんだ」


「だっ、だって…だってぇ……」


彼女は俺の袖を掴むと、そのまま無理やり引っ張り、涙と鼻水をちーんとかんだ。

……右腕がびしょびしょだ。

案内人としての威厳はどこへ行った。


「さっき、お兄さんは自分の人生が『よくわからないもの』だって言ったよね、」


「ああ、言った」


「私は……私はそうは思わない」


彼女は涙を拭い、真っ直ぐに俺の瞳を射抜いた。


「お兄さんは、自分のことを卑下してるけど……。私は、お兄さんのこと、カッコいいって思ったよ。自分の命を懸けて、誰かを守ろうとしてた。それは、確かに意味のあることだと思う」


「……」


そうか、そんな風に聞こえたのか。

俺がサフィーナを守れなかったのにもかかわらず?


「私には……そんなこと、できなかったから。今でも……できないまま……」


その瞬間。彼女の瞳に、見たこともないほど虚ろな色が混じった。

まるで、自分自身の過去に、今の俺と重なるような深い後悔を抱えているような――。

白い空間に、重苦しい沈黙が流れる。


「……っ、あーっ! ダメダメ! こんなくらい話は終わり! 楽しい話をしようよ、ね!」


ルルは強引に笑いを作ると、無理やり空気を切り替えた。


「案内人モード再始動! さて、お兄さんの本当の願いは何? 未練を晴らせるような、最高の転生先を用意しちゃうよ?」


「……さっきも言っただろう。願いはない、と」


「ううん、あるよ。さっき自分の過去を語ってたとき、お兄さんの魂、すごく揺れてた。その『揺れ』の中に、本当の願いが隠れてるんだから」


彼女は確信に満ちた表情で言い切る。


「……じゃあ、俺の願いが何だっていうんだ」


「えっと、それは……その……」


「……?」


自信満々だったはずの彼女の目が、泳ぎに泳いでいる。


「……『無双伝説、異世界で最強になってハーレム』?」


「……んなわけないだろう」


俺は、心底呆れた溜息を吐いた。


「いや、ごめん! なんか感情は伝わってきたんだけど、具体的な内容はちょっと……! えへへ」


まあ、他人の願いを正確に読み取れという方が無理な話か。

だが、彼女に言われて、ふと思い出したことがある。

あの凍える雪原で。薄れゆく意識の中で。

もし、次があるのなら、と。


「……俺の願いは、平穏な世界で暮らすことだ。」


「……えっ、冗談?」


「人の切実な願いを冗談扱いするな。……最期に、そんなことを心の中で言っていた気がするんだ」


「うーん……。確かに平穏を求めてる雰囲気は出てたけど……。もっとこう、ドロドロした復讐とか、執着とか、そういうのじゃなくて? ……まあ、本人がそう言うなら、私の勘違いか……」


彼女は腑に落ちない様子で、親指と人差し指で顎を挟み、うーうーと唸っている。


「……質問だ。俺のような『遂行者』であっても、平穏な生活というのは叶うものなのか? 戦うこと以外、何もできない男だが」


「え? ああ、うん! 全然大丈夫だよ! クエストって、何も血みどろの戦争ばかりじゃないからね。村の雑草を全部抜くとか、迷子の猫を探すとか、そういう平和なのもたくさんあるんだよ」


「……そんな、お気楽な仕事があるのか?」


「そもそもね、クエストっていうのは、世界の神様たちが出すお願い事、あるいは暇つぶしでもあるの。後者のほうがちょっと強い感じがするけど…。世界が自壊しようとする意志によって発生する破滅、お兄さんが前世にいた地球でいうと、ゲートみたいなのに対処するものもあれば、神様が人との交流手段として出すこともあるんだよ」


「ほう。つまり、クエストとは世界の崩壊を防ぐ免疫機能であると同時に、神々と人間とのコミュニケーションツールでもあるわけか」


「……理解早すぎてもはや可愛くないレベルだね、お兄さん」


彼女は呆れたように肩をすくめ、そして再び、満面の笑みを浮かべた。


「とにかく! あなたの願いは叶うってこと! よかったね!」


「……ああ。そうだな」


不意に、心の奥底が少しだけ軽くなったのを感じた。

俺は、目の前の騒がしい少女を見つめ、柄にもない言葉を口にした。


「……ありがとう、ルル」


「……えっ」


「お前が、いいやつでよかった。こんな男の、救いようのない話を真剣に聞いてくれて。……おかげで、少しだけ救われた気がする」


「…………!!」


ルルは目を見開き、固まった。

先ほどまでの明るい仮面が剥がれ落ち、そこにあるのは、底知れない罪悪感に押し潰されそうな、一人の幼い子供の顔だった。


「……どうした?」


「……いや。……う、ううん。なんでもない。……あ、ありがとう」


彼女は力なく笑うと、すぐにいつもの、あるいは無理に作ったテンションを取り戻した。


「さ、さあ行こうぜ、マイブラザー! 女神様に会って、最高の転生先を決めちゃうんだぜ!」


「……なぜ語尾が変わった」


「いいのだよ! 雰囲気だよ、雰囲気!」


彼女は俺の腕を強引に掴むと、そのまま走り出した。

その彼女に握られた手の熱は、どこか偽りの色を含んでいるような気がした。


それで、俺たちはこのなんもない空間を、どこへ走ってるんだ?

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