熱気の残り香

重厚な鉄扉を閉めると、体育館の熱気と歓声がフッと遠のいた。

薄暗い体育館倉庫。跳び箱やマットの独特な匂いと、埃っぽい空気が充満している。


「はあ……っ、終わった……」


真理子がその場にへたり込むようにして、積み重ねられたマットの上に腰を下ろした。

あれだけステージ上で堂々と声を張り上げていた委員長の姿はもうない。今はただの、疲れ切った一人の女の子だ。


「お疲れ、真理子。大成功だったな」


僕もその隣、少し距離を空けてマットに腰かける。

興奮が冷めてくると、冬の倉庫の寒さが肌を刺すはずなのに、身体はまだ芯から熱かった。


「佐藤くんのおかげよ。あんな恥ずかしいポーズ、一人じゃ絶対無理だった」


真理子が膝を抱えるようにして座り直す。

その動作で、濃紺のブルマーが太腿に食い込み、健康的な白い脚のラインがあらわになる。汗で少し肌に張り付いた半袖体操服からは、彼女の熱気が立ち上っているようだった。


「……ねえ、後ろ」

真理子がモジモジしながら背中を向けてきた。


「ん?」

「テープ、剥がしてくれない? 『僧帽筋』のやつ。首の後ろで、自分じゃ見えなくて」


そういえば、僕の身体にもまだ「上腕二頭筋」だの「大胸筋」だのと書かれたカラーテープが貼られたままだ。


「ああ、悪い。じっとしてて」


僕は彼女の背後に回った。

真理子が両手で髪をすくい上げると、汗ばんだ白いうなじがあらわになる。

後れ毛が張り付いた首筋に、マジック書きされたテープが貼られていた。


指先が、彼女の皮膚に触れる。

ビクッ、と真理子の肩が小さく跳ねた。


「つめたい……佐藤くんの手、冷えてる」

「ごめん。……剥がすぞ」


テープの端をつまみ、ゆっくりと剥がしていく。

「んっ……」

真理子が微かに漏らした声が、静かな倉庫に響いた。その無防備な響きに、僕は思わず喉をごくりと鳴らす。


テープを剥がした後には、白い肌にほんのりと赤みが残っていた。

その赤みが、なんだかとても艶めかしく見えて、僕は慌てて視線を逸らした。


「ありがとう」

真理子が振り返り、バサリと髪を下ろす。

その距離が、思ったよりも近かった。


薄暗がりの中、彼女の瞳が少し潤んでいるのが見える。激しい運動の後の高揚感と、二人きりという閉鎖空間のせいだろうか。いつもはキリッとしている真理子の表情が、今はとろんと緩んでいる。

「佐藤くんも、顔にテープついてるわよ」

「え、どこ?」

「ここ。『表情筋』だって。ふふ、あんなところにまで貼ってたの?」


真理子の手が伸びてきて、僕の頬に触れた。

彼女の指先は熱かった。

テープを剥がしてくれるのかと思ったが、彼女の手はそこで止まったまま、僕の頬を包み込むようにしている。


「……ねえ」

「なに?」


「私たち、全校生徒の前であんな格好して、汗だくになって……。なんか、共犯者みたいね」


真理子が少し上目遣いで僕を見つめる。

濃紺のブルマーと白い短パン。

お互いに太腿も腕もさらけ出したこの格好は、教室で会う時よりもずっと無防備で、お互いの存在を生々しく感じさせる。


倉庫の外からは、片付けをする生徒たちの足音が遠く聞こえる。

けれど、この狭い空間だけは世界から切り離されたようだった。


「共犯者、か。……悪くないな」

僕が答えると、真理子は嬉しそうに、けれど少し恥ずかしそうに微笑んだ。


頬に添えられた彼女の手が、ゆっくりと首筋の方へ滑り落ちる。

逃げることもできたはずなのに、僕も彼女も動かなかった。ただ、互いの乱れた呼吸音だけが、重なり合っていた。


「汗くさいかも、私」

「俺もだよ」


そんな会話さえ、今は妙に甘く響く。

僕たちは磁石が引き合うように、ゆっくりと顔を近づけた——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る