グレースの結婚

久保田

第一幕

 火が消えていた。

 自分の中にあった、燃え立つような炎だ。

 消えるはずがないと思っていた炎は、いつの間にか小さく消えかけ、我が身を灰と化していた。


「イヴァン?」


 ぼんやりとそんな事を考えていた私の耳に、常に聞いていた、なのに何故か馴染まない声がする。

 グレースの声だった。

 周囲もよく見る建物だ。

 国立音楽堂。一つのパーツを取り替えたとかそんなものではない。

 時が戻ったかのように、まるで私が十六歳の時に落成された当時のように傷がなかった。


「グレース?」


 グレースが、いた。

 どこか焦ったような表情を浮かべる彼女は、いつも通りだ。

 せいぜい四十年ほど若返っている程度か。

 ぱっとしない金髪、潰れた鼻。日に焼けた肌。

 何かを勘違いしたかのような緑色のドレスは、まるでゴブリンがダンスをしているように無様で、


「どうしたの、イヴァン?……あのね、あなたがしっかりしてくれないと、あたし本当にヤバいんだけど。花屋だったのよ、一昨日まで。知ってるわよね。こんなにすごいホールでえらい人達の前で歌うのなんて」


「歌おう、グレース。君の声を聞いて、まだ何か言う阿呆がいるのならば、それは耳がない者だけだ」


 いつも通り彼女は美しかった。

 恐らく、理由はよくわからないが、私は時を遡ったようだった。

 老いて常に痛みの走っていた腕と指は消え失せ、皺と染みはなく、耳はしっかりとすべての音を捉えられる。

 まぁそれだけわかっていれば十分か。


「え、段取りは?まだ司会の人が」


「君がいて、私がいる。それだけで十分だ」


 何やら喚き散らす司会、ざわめく観衆。

 そして、君がいる。

 それらの前に、私はピアノの一音を置いた。

 何もかもが、これで十分だ。

 私の邪魔をする愚かさを、一撃で理解させてやった。


「米津玄師、Lemon」


 異世界よりやってきた名高い一曲。

 異世界よりやってきた勇者の、何気ない鼻唄を聞いた"編曲者"ヤノーシュはこう言い残した。


「もしあのボンクラに出会わなければ、私はただ一人の作曲家であれただろうに」


 そんなヤノーシュは勇者の脳髄にこびりついた全ての異世界の曲を、こそぎ取るという難題に八年で成し遂げた。

 その八年、魔王退治の旅に、一介の音楽家として加わることになったが。


「テメー、本当にここはこの音か……?」


 あやふやな鼻唄でしか覚えてない勇者を脅しつけ、


「歌詞フフフーンじゃねえだろ?な、ちゃんと思い出せたら、今夜の娼館代出してやるから」


 そんな彼の自伝「ヤノーシュ顛末記」は、笑いあり涙ありの勇者の冒険を描いた歴史的な資料として、全世界に流通している。

 それ以上に、彼の偉業は勇者から聞き取った百二十一曲をなんとか形にして、異世界の楽器を再現したことだった。

 ヤノーシュが編曲したその百二十一曲、それらを勇者派楽曲と呼ぶ。

 勇者派楽曲が編曲されてから、三百八年。


「ここにこの音が入るのでは……?」


「これは自分が勝手に作曲しているだけでは……?」


「異世界の偉大な音楽家達に泥を塗っているのでは……?」


 などとあやふやな鼻唄を完璧にしようと、未だに議論が絶えない。

 その中でも勇者本人曰く、


「これで完璧。本当にマジマジ」


 と言われたのがLemonだった。

(恐らく)屈指の完成度であるとされている一曲だ。


 グレースが歌った。

 騒がしい聴衆達は黙り込み、喋り倒していた司会も聴衆の一人に。

 ただ美しいだけの声ではなかった。

 透き通った声ではある。

 どこまでも伸びるハイトーンは、聞く者をたちまちうっとりとさせるだろう。

 吐息の一つ一つすら聴衆に届ける音響魔法担当は、額に冷や汗を流しながら集中していた。

 この声を届けないのは、音に対する罪であるのだから彼も命くらい賭けるべきだろう。

 そんな事よりも、それ以上に言葉に出来ない何かが、彼女の声にあった。


「私の才能が公爵家の跡継ぎなどという雑務で潰されるのは我慢なりません」


「お、おう……」


 ふと、父の顔を思い出した。

 私の前では常に動揺していた。どうでもいい。


「兄上のために音楽堂を建てました!」


「ふむ」


 弟がいた。

 後継を押し付けた割りに、よく懐いてくれていた。どうでもいい。

 不思議な事に、いくつもの顔が脳裏を流れて行った。

 その全てが割とどうでもよかった。

 真に意味があるのは、どこまでも君の美しさだけだ。


 曲が終わるとしん、と静まりかえっていた。

 息をする事すら忘れた聴衆。緊張からか、目をかっぴらいてすごい顔をしているグレース。

 恐らく私が十六歳に戻っているとするのならば、これが最初のステージだろう。

 あの頃は、この才能を世に出さないことが損失だと思っていた。


「東京事変、閃光少女」


 ピアノから立った私はギター、ベース、ドラムに魔力を通した。

 ステージはひどく魔力を通しやすい素材で出来ており、全ての楽器を操ることは容易い。

 この魔法楽団は、多少の修練をすれば簡単に出来る。

 ギターとベースとドラム、曲によってはピアノなどを同時に弾けばいいのだから。


 私は首もとのネクタイを緩め、ベースだけは自分の手に取った。

 それはともかくこのネクタイというやつは、本当によろしくない。

 呼吸を阻害する布切れを首に巻いて、何の意味があるというのだろうか。

 だが、グレースだ。

 彼女が妙にネクタイを巻くことを強要してきた。

 これから五年後、私と彼女は結婚する。

 彼女の美しさを、世俗の汚れから守るためだった。


 私は自分以外の美を知った。

 ある日通りかかった花屋で看板娘をしていた彼女の一音、


「いらっしゃいませ!」


 その瞬間、私は恋を知った。

 自分だけの美では完成しない、君がいるからこそもっと大きな物が完成すると思えた。

 国立音楽堂の落成式を二日に控えたその日……その二日のみの練習期間で人生初のコンサートに叩き込んだことだけは、最後の最後まで許してくれなかったけれど。


 私を残して逝った君は。

 間奏の中、彼女は唇をぺろりと舐めた。

 年老いて、掠れる声が美しかった君と、若い君の変わらない悪癖だ。

 艶やかな肌を流れていく汗、マイクを握り躍動する若い君はまだ誰も愛していないのだろう。

 その事が、何故か救いに思えた。


「GLAY、誘惑」


 何しろ私は自他共に認めるほど、人の心がわからない。

 もし君が私を愛していなくても、表面上の笑顔だけで私はもうすっかり満足していた。

 どう控え目に謙遜しても、私の音楽は世界一だ。

 勇者派楽曲だけではなく、自分でも作曲した。

 何百何千とこなしたステージで失敗した事はない。

 人生を変える感動の涙を流す聴衆は日常の背景だ。

 私が一日、演奏をしないだけで世界の損失だろう。

 それでも、私は君のいない世界で楽器に触れようとすら考えられなかった。


 君の声に走りそうになる魔法楽団を、私は必死に抑えている。

 歌う君だけがいたから、私は世界に絶望せずに済んだ。

 君だけが私の世界だけど、きっと君は私だけじゃない。

 君は楓が好きだった。

 私にはただの木草にしか思えない。

 君は犬が好きだった。

 あいつらは汚ならしい生き物だ。

 君の周りにはいつも人がいた。

 愛される人だった。


 私とは違って。


 わかっていて、私は君を手離せなかったんだ。

 きっと君は私ではない誰かと愛し合えば、もっと幸せになったのだろう。

 しん、と音が響いた。

 この二日で仕込めた曲は、この三曲だ。

 これで、終わりにするべきだと私は思った。


「ねえ、イヴァン?」


「ああ、どうしたんだグレース?」


 そんな中、彼女の声が音楽堂に響いた。

 音響担当は魂が抜けたような顔をして、まだ彼女の声を音楽堂に流している。

 彼女は弟に任せればいいだろう。一応、最低限の演奏家はいないことはない。

 その有象無象の演奏でも、彼女は彼女であるのだから輝くはず。

 私は、君から離れるべきだった。

 それももっと早く。


「どうしたんだ、グレース?……よくそんな事を言えるわね、貴方」


 かつかつと響くハイヒールの音すら美しく、そんな彼女は私のネクタイをがしりと掴んだ。

 眉間に皺を寄せ、頬を赤く染める彼女が何を考えているのか、さっぱりわからない。

 怒っているのか、それとも照れ隠しなのか。

 どちらかの二択だと思うのだが、私はいつだって正解を選べない。

 何故か間違いを選び続けると、君はよく笑ったものだ。


「ええ、とてもよかったわ。あなたの演奏と、私の歌。控え目に言って最高だと思うの」


「ああ、そうだろう。当然だ。だけれど、君の声はまだ自分の声質に頼り過ぎで」


「うるさい」


 がっつりと、もはやがっつりとしか言い様のないくらいに唇を奪われ、あの美声が発せられる舌が私の口の中に飛び込んでくる。

 何故?と思いつつも、ステージよりも繰り返してきた行いだ。


「手慣れてるわね!?……じゃない!」


「……?」


「あ、貴方ねえ!私の事好き過ぎるでしょ!?」


「そうだが?それより君のために楽団を用意したいんだ。とりあえずまずは百人くらいでいいだろうか?それくらいいれば、私の爪先くらいには届くかもしれない」


「あんなに私の事好き好きって演奏して!熱烈告白過ぎるでしょ!なのになんで別れようになるのよ!上手すぎて感情全部伝わってくるってなに!?天才!?」


「天才だが?」


「そこはどうでもいいの」


 再度の口付け、というより私は荒々しく貪られた。

 彼女がこうなった時、私はもうお手上げだ。

 情熱のままに振る舞い、後先も周囲も見えなくなる。

 とんでもない人間だ、と何度思ったことか。


「私と結婚しなさい」


「い、いや……そのだな」


「いいわね?」


「……その」


「私が求めてる返事はそうじゃないってわかってるわよね」


「ああ、君に捧げる言葉を考えていたが、愛してる以外に思い付かなかった。プロポーズの言葉が一つも浮かばないんだ。この愚鈍な私を罵ってくれていい。君の口付けに私の半端な諦観は吹き飛ばされ、君に求婚する事しか考えられないのに」


「わ、わかったから少し黙って!?」


 その時、私の耳にぱち、ぱちと感性の欠片もない、永遠に音の真髄に届かないであろう拍手の音が届いた。

 無様な音の粒は、すぐに豪雨のように私たちに叩きつけられる。


「な、何!?」


「恐らくだが、私たちの声は全て音楽堂中の人間に届いている」


「なんで!?」


 音響魔法担当の者が死にそうな顔色になっているが……まぁいいか。知らん。


「結婚してくれ、グレース。私には君しかいない」


「うえっ!?」


「答えを聞いていいだろうか。私が我慢強くないことを君は知っているだろう」


「知ってるわよ!?花屋の私を衛兵に囲ませて拉致したものね!」


「そんなどうでもいい話は聞いていない。結婚してくれ、グレース」


「え、えっと……」


 ぱっとしない金髪、潰れた鼻。日に焼けた肌。

 ゴブリンが踊っているような緑色のドレス。

 その全てが美しい。


「そのね……?」


 これが何故だか知らないが、戯曲化されてしまった『グレースの結婚』の第一幕となる。

 あまりにひどい曲を付けられてしまったため、私が改めて作る事になったり、第二幕から第四幕まで作られる事になるが……まぁどうでもいい話だろう。







 ・グレース

 この後、すっごい勢いで国中に広まった。

 イヴァンの目が腐っているだけで、トラブルメイカーにして常に問題の中心にいる行動力の化身のような女。

 イヴァンのネクタイを緩める指先が好き。


 ・イヴァン

 前回は開花する直前の天才だったが、今回は開花し切った天才性と老練なテクニック。そして、アホみたいな少年性で思ってる事が全力で伝わってくる。

 音楽堂にいた人たち全員が、


(((((はよ告れや)))))


 と思ってた。

 もしグレースにフラれたイヴァンが演奏を始めたら、自殺者が多発するような音響兵器になる。


 ・イヴァンの父(公爵)

 この後すごい苦労する(続かないが)


 ・イヴァンの弟

 この後すごいいい空気を吸う(続かないが)


 ・勇者一行

 勇者、戦士、魔法使いまではさておき、音楽家が混ざっていた。

 戦闘力……?なんで音楽家に戦闘力があると思うんだ?

 全員が男のパーティーで年は結構離れていたが、なんか楽しく魔王退治をしたらしい。

 勇者の音楽の趣味は、元の世界の友人達が好きだった曲を好きになるタイプなので、別に一貫した何かがあるわけではないし、音楽知識があるわけでもない。

 しかし、無駄にノンジャンルで色々な曲を覚えていたせいで、イヴァン達が生きる時代では多種多様なジャンルの音楽に溢れている。


 ・偉大なる編曲家ヤノーシュ

 彼が生きていた時代は、ようやく体系的な音楽という物が発生しようとした頃だった。

 王宮で若干の金管楽器が使われ始めたというか、「なんかいい感じに王様の威厳出せる感じであれして」みたいなのが音楽家と呼ばれていた……のだが、勇者の鼻歌を聞いたヤノーシュは目覚めた。

 旅立とうとする勇者を引き留める事(彼は暴力行為にまで及んだ)百日。

 魔王退治の旅に同行すること八年。

 全てが終わった後、勇者動乱の十二年。

 勇者のそばに、彼は常にいた。

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