不安



蓮人が目を覚ますと、時計は午前2時を指していた。

動悸と息切れが止まらない。冷や汗が頬を伝い、そろそろ夜も暖かくなってきた季節だというのに、寒気がする。頭も痛い。

「……はぁ。また?」

今日もだ。昨日も、その昨日も、その昨日も……。

思い出すだけで手が震えて、涙が出て、どうも気持ちの悪くなるような、おぞましい悪夢。同じ光景を夢に見るのだ、ずっと。

(2時間寝れた。……もう寝たくない。)

もはやトレードマークまである目の下の酷いクマは、これによるものだ。しつこく同じ悪夢を見せられるせいで、睡眠がトラウマになっている。眠いけれど、寝たくない、寝たらまた同じ夢を見てしまうから。


徇、灯向、そして後輩たちさえ生きていれば、自分の命はどうでもいいと思う。縷籟警軍は、無知で馬鹿で何の役にも立たない自分を受け入れてくれた。敷かれたレールから外れたくて、それでもいざ親や使用人たちに反抗するために非行をしたら、そのレールだけでなく社会全体から外れてしまったような気がして、そこでやっと自分の環境が恵まれていた事に気づく。縷籟警軍学校に辿り着かなければ、蓮人は今頃、綺麗でやわらかい布団の中で、幸せな夢を見て眠れていたのかも知れない。

けれど蓮人は、縷籟警軍の道を歩んだ事を後悔はしていない。ここにはそれぞれ色んなことを背負いながらも、楽しく暮らせる仲間がいるからだ。反抗期の延長のような気持ちで入学したのを恥ずかしく思うくらいには、みんなそれぞれ、複雑な過去や家庭環境を抱えている。初めて灯向や徇の家庭の話を聞いた時、蓮人は、あまりの衝撃に数時間食べ物が喉を通らなかった。何より衝撃なのは、そのような問題を抱えていたのにも関わらず、彼らが笑顔でいられる点だ。彼らを見ていると、どこか安心感がわいてくる……夕は一旦死んで欲しいけれど。


水を飲むためにリビングに出ると、明かりがついていた。

「あ?」

「お。」

そこには、灯向がいた。相変わらず小学生のような体格だ、ちょこんとソファに座っている。

「どしたの、ボス。珍しい。」

「早く起きたら、昔の事思い出しちゃってさ。部屋だと落ち着かなくて。」

「へー。気分晴れないならオタク呼べばいいのに。」

「コンには、弱いところ見せたくない。重い話したら、コン、困っちゃうでしょ。」

だからトトが来てくれて良かった。灯向はそう言うと、窓の方を見つめた。

「ねえ、トト。フカヒレって、どんな味?」

「不味い。スーパーの安い肉の方が美味い。」

「おれにとって、そういう食べ物って、めっちゃ輝いて見えてたな。金がなかったんだよね、おれの家は。」

「知ってるよ。お前の親さ、馬鹿すぎて、そいつらのセックスでよくもまぁ、こんなに優秀な坊やが産まれたなってつくづく思うわ。」

その言葉に、灯向はニッコリ笑う。

「才能だよ。大した努力はしてない。おれ、神様に好かれてた。」

「羨ましいわ。かなり金かけて育てられてるはずなのに、勉強まーじでできないし。」

「たしかに。でも身体能力は高いじゃん。おれ、あの入試で受験者全員完封するつもりだったから、実技で点数超えられて悔しかった。」

「あの受験で受かるかどうかの心配じゃなくて首位かどうかの心配してるのえげついわ。」

灯向は、蓮人にないものを全て持っている。学力、人間性、それと面白くて面のいいストーカー。

「胃がキリキリするわ。あいつ、なんで警軍来たんだよ……。」

「可愛い弟くんだと思うけどね。」

「可愛くないよ。お前のストーカーと違って独占欲が凄いわけ、昔、俺の友達に嫉妬して殴りかかったりしてた奴だから。」

「あの温厚なサクラが?おもろ。」

「何も面白くないでしょ。オタクがジュンとか俺に殴りかかるのどう?キツくね?」

紺が人を殴る姿を想像したら面白おかしくて、灯向は笑った。

「それはキツいかも。まぁコン、嫉妬心か独占欲とか皆無っていうか、なんならおすすめして周ってそうなタイプ。」

「いいじゃん、宗教みたい。」

「宗教やばい。」

灯向が時計を見ると、もうすぐ2時半をまわるところだった。

「今日学校あるっけ?寝なきゃ。」

「知らね。」

「トト、おれの隣に座って。」

言われるがまま座ると、灯向は蓮人の肩によっかかった。

「6時に起こして。」……そう言って目を閉じてから、少しすると、灯向は寝息を立て始める。

(マジかこいつ、寝た。)

灯向は1回寝ると、ちょっとやそっとの刺激では起きてくれなくなる、「起こして」なんて無茶だ。紺は灯向の起こし方を知っているらしいが、「ヒナタの眠りを妨害するなんてできない」やらなんやらほざいて起こしてくれない。実際、彼はもっともらしい言い訳を並べて灯向の寝顔を眺めていたいだけであるのだが、幼なじみならば灯向の寝顔なんて沢山見ているだろうに、蓮人には紺の気持ちがよくわからなかった。

正直、灯向とあそこまでの信頼関係を築けているのを羨ましく感じる面もある。蓮人が灯向のことを「ボス」と呼ぶのは、あまり他人を尊敬することの無い蓮人までもが、彼のことを尊敬し、彼の言葉なら従えるという心のあらわれだ。灯向は世間一般が見ているような「完璧人間」ではない、実際の彼はもっと子供っぽく我儘でやんちゃであるが、そんな彼を知る者から見ても、彼にはその圧倒的な才能の他に、無意識に他人を従えるカリスマ性があるように感じる。彼の近くにいる人間は、紺のようにまでとはいかなくとも、自然と彼に心惹かれていく。

蓮人は灯向をソファに寝かしてから、自分の部屋に戻っていった。こんなに早く起きたとて、することがない。こういう時にだけ、酒や煙草ができたら良かったと思う。縷籟では誕生日に関係なく、15から16になる年から飲酒や喫煙ができる。約2年前、不味いからやめておけと言う灯向と紺を無視して酒も煙草も1回やってみたが、2人の言う通りどちらも不味くてやめてしまった。もしかしたら歳上の2人も同じことをしたのかも知れない、というか、灯向と紺が自分よりもひとつ歳上だなんてとても信じられない。

蓮人はベッドに横になった。そうやって目をつぶっているだけでも、疲労がましになるかも知れない。しかし案の定眠くなってしまって、これ以上難しいことを考える気も起きず、ただ悪夢を見ないように祈りながら、蓮人は眠りについた。


・ ・ ・


「………」

光は、今までの人生で1番緊張していた。

先日、同期のみずなが初任務に行った。それによって、自分たちは特待生であるという自覚がより確固たるものになり、いずれ来るだろう自分の初任務を想像してはいたが、まさかこうも早く来るとは、思っていなかった。まだみずなが無傷でけろっと帰ってきてから1週間も経っていない。

任務から帰ってきたみずなは言った、「やはり先輩は凄かった」と。自分の初任務に誰が同行してくれるのか、光は緊張しすぎず親しすぎもせず雰囲気強そうな紺あたりがいいと思っていた。その希望は“紺の同行”だけを見るなら通ったとも言えるが、結果的に、そして心理的には全く希望通りではなかったとも言える。

同行の項目の欄には、紺の他に、灯向の名前もあった。4年生と3年生のトップ2人だ、なぜこの2人に自分が入れられたのか、検討がつかない。役たたずにも程がある。これを手配した人物の気が知れない。

掃除されていない仏壇のような顔でその紙を見つめていると、同じクラスの桜人が寄ってきた。

「珍しく浮かない顔だね、ミツルくん。どれどれ?」

紙を覗き込んだ桜人は吹き出す。その後ろにいた1年特待生の3人も、何があったのかと光の紙を覗き込んで、みんな同じリアクションをした。

「マジかよミツル、羨ましー。」

「いやいやいや、どこがだよ。1年トップのサクラならまだしも、おれ、って……。」

「安心してミツルくん、私4年生と仲良いけど、2人とも優しくて素敵な人だよ!」

そんなことはわかっている。ただ、この2人の前で成果を上げなければならないなんて、荷が重すぎる。

「コンだけじゃ駄目なのか……どうしてヒナタまでいるんだ……。」

「多分だけど、本当はコン先輩だけのつもりだったんだと思う。でもコン先輩、ヒナタ先輩がいないと露骨にやる気出さないから。」

紺が灯向にぞっこんであることは、この場の全員が周知していた。紺といっしょに住んでいることもあり、そのみずなの言葉には説得力があって、みんなで苦笑する。

「コンくんって、そういうところあるよね。」

「それな。結構テキトーっていうか、しっかり者に見えて意外と頭堅くないっていうか。」

「わかる。おれ、コンともう19年の仲になるけど、昔からそういうところ変わらないし。」

机の下からひょこっと出た顔。1年特待ではない声に、一同はびくっと、光の机から離れる。

「ヒナタ、後輩怖がらせるの、やめなよ。」

「コンの噂してたから、悪口だったらどうしよう、って。」

灯向の後ろには、紺もいた。どうやら先程の陰口を聞かれていたようで、あわあわする1年生たちに、紺は真顔のまま言う。

「別に、気にしない。」

変に気を遣わせてしまった気がして、1年生たちは、なお申し訳なく思った。

灯向と紺が突然1年生の教室に来たので、一般生徒は大混乱である。現在在学している特待生の中でも、彼ら2人は学力と運動神経を高い水準で両立していると有名だ。灯向に隠れがちだが、紺も実はとてつもなく、入試の点数は灯向、蓮人に次いで3番目。その事を入学してから知った生徒もいるようで、彼らが思っている以上に、この2人は新入生の憧れの存在となっている。

もっとも本人たちは、このような視線に慣れているのか、気にも留めず光に向いた。

「作戦会議しよう、ミツル。ウエポンなに?」

言いながら、光の隣の席に座ろうとした灯向を、紺が「その席の人に迷惑でしょ」と止める。灯向は少しむすっとしてから、光の机に座った。

「ミツル、寄って。」

「え、あ、うん。」

紺はそう言って、光が半分あけたスペースに座る。

「えっ?」

距離感に、光は困惑した。いい歳した男子が2人で椅子に半分ずつ座ると、さすがに狭い。しかも光には、紺と、椅子を分け合うまでの仲になった記憶が無い。

彼らにとっては普通のことなのか、2人とも光が何に驚いているのか理解していない様子で、「で、ウエポンは?」と訊いてきた。とても先が思いやられる。

「ウエポンか。2人とも寄ってくれ、あんま大きい声で言いたくない。」

「なになに〜?エロ本とか?」

「いやまあ、ウエポンが駄目っていうか、おれが駄目っていうか。」

光から耳打ちされ、灯向と紺は目を見開いたが、すぐ「なるほどね。」と納得した。

そんな2人を見て、桜人たちは不服そうに眉をひそめる。

「ミツルくん、ぼくたちにも教えてよ。」

「オレもミツルのウエポン知りたーい。」

光は少し考えてから、「嫌だ。」とぴしゃり。

「ヒナタとコンは大人だから信頼してるけど、お前たち餓鬼だし、教えたくない。」

「僕たちのこと餓鬼って言えるほど上なの?ミツル、いくつ?」

「今年で16。」

「確かに上だけど、あんまり上じゃなかった。」

わいわい話す1年生たちを他所に、灯向と紺は割と真面目な表情で話し合っていた。

「これに関しては、ミツル自身の問題だね。おれとコンのウエポンだけで戦うのがいい。」

「そもそもヒナタがいれば、ミツルどころか俺のウエポンも出すまでもないでしょ。」

「ウエポン出したくない気持ちはわかるけど、相手は犯罪者だよ、コン。油断しちゃいけない。」

「わかった。ごめん。」

「まぁコンはどうでもいい、慣れてるし。ミツル、ちゃんと話すよ。」

灯向は光の紙、任務先の国について書いてある項目を指さす。

「今回1番厄介なのはこれ。ミツル、この国、知ってる?」

「ヴィアタン共和国……って、あぁ……。」

何かを察したようで、光は嫌そうな顔をした。そんな光に、灯向は苦笑する。

「この国、おれもやだ。国民全員プライド高いし、縷籟のこと大嫌いだし。島国だから行くのも大変だし。」

「俺がこの前1人でここ行った時、卵投げられた。」

「コン、いつもどこかしらに米粒ついてるからどこでも卵かけご飯だね。」

「馬鹿にしてる?」

紺はそう言いながらも、どこか嬉しそうだった。

「そもそもコンがマモの任務断らなければ、おれ、ヴィアタン行かなくて済んだのにさ。」

「ヒナタがマモ来てくれたら俺だって行ったよ。」

「はーい、ストップストップ。喧嘩はんたーい。」

翔空が制止して、2人はやっと黙る。光は紙を見ながら言った。

「なんで紙に犯人の情報がないんだ?ヒナタ、犯人は何した人?」

「んー、連続殺人グループ。」

「は?」

「ははっ。」

光は笑う灯向を1度経由してから、みずなを振り返った。光が何を言いたいか理解したのか、みずなは「僕の時はただのスリだった」と、同情するような顔で光を見つめる。

連続殺人グループ、灯向は確かにそう言った。連続殺人犯、ならまだわかるが、複数人となるとだいぶ話が変わってくるのではないか。

「しかももうアジトは見つけてるんだって。縷籟警軍はそこの特攻要員。本当に、ヴィアタン人らしいというか。」

「グループと言っても、1番強い奴の下に十数人の下っ端がいるだけ。その下っ端は雇われてるだけのそこらへんの一般人だから余裕。」

「おれ、お前たち2人と違って対人戦闘の経験がないんだけど……。」

ダメだ。この圧倒的な信頼感のある2人が同行してくれると知っても、いやむしろこの2人が同行してくれるからこそ、色んな不安が消えない。光はまだ、この2人を舐めていた。いくら成績が良かろうと、人を何人も殺した凶悪犯を前にすれば、みんなただの小さな子供だ。

顔に出ていたのか、灯向が光の背中を叩く。

「ミツルはまず、自分が縷籟警軍の特待生だということをしっかり自覚して、それを自信に繋げること。こういう犯人は初めてじゃない、でも縷籟警軍学校の特待生に、任務中に死んだ生徒は200年の歴史の中で1人もいないんだよ。」

「ヒナタの言う通りだよ。俺たちがいるし。怖ければ隠れてればいいよ。」

「ちゃんとおれのこと守ってくださいね、先輩がた。」

光がそう言ったところで、朝のチャイムが鳴った。

「お。じゃあねミツル、また3日後。」

手を振りながら、2人は1年の教室から出ていく。他のクラスである翔空、みずな、颯希も、別れを告げて帰っていった。

「頑張れ、ミツルくん。」

桜人がぽん、と光の背中を叩く。どこか憐れみや同情の混じったそれに、光はため息をついてから、心底面倒くさそうに頷いた。

「……ああ。頑張るよ。」

やがて教師や他の生徒も入ってきたので、光は机の中にそっと紙をしまった。この日の朝を、光は人生で1番憂鬱に感じた。







続く

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