第二十章 未来へ
終戦から一年が経った。
王都には、「王立製鉄学院」が設立されていた。
その学院長室で、鉄平は窓の外を眺めていた。
学院の敷地内には、複数の建物が立ち並んでいる。講義棟、実習棟、研究棟、そして学生寮。かつての鍛冶師ギルドの施設を拡張・改築したもので、現在は百人を超える学生が学んでいた。
「入るわよ」
扉が開いて、リーゼが入ってきた。
彼女は今、学院の副学院長兼主任教官を務めている。鍛造技術の第一人者として、学生たちに直接指導を行っていた。
「今日の授業、終わった?」
「ええ。新入生たち、なかなか筋がいいわ」
リーゼは、鉄平の隣に立った。
一年前と比べて、彼女は少し大人っぽくなっていた。責任ある立場に就いたことで、雰囲気が変わったのだろう。
「そういえば、ゴードン先生から手紙が届いてたわよ」
「何だって?」
「フォルジュ村に、新しい製鉄所ができたって。学院で学んだ卒業生が、技術を持ち帰ったそうよ」
「そうか」
鉄平は、嬉しそうに微笑んだ。
「良い知らせだ」
製鉄技術の普及は、着実に進んでいた。学院を卒業した者たちが、王国各地に散らばり、新しい製鉄所や鍛冶場を作っている。銀鋼の技術も、徐々に広まりつつあった。
「ねえ、鉄平」
「何だ」
「覚えてる? 一年前、あなたがこの世界に来た頃のこと」
「もちろん覚えてる」
「あの時は、あなたのこと、すごく胡散臭いと思ってた」
「ひどいな」
「でも、今は——」
リーゼは、鉄平の手を取った。
「あなたに会えて、本当に良かったと思ってる」
「……俺もだ」
鉄平は、リーゼの手を握り返した。
「この世界に来てから、たくさんのことがあった。辛いことも、苦しいこともあった。でも——」
彼はリーゼを見つめた。
「お前と出会えたことが、一番の幸運だった」
リーゼの顔が、真っ赤になった。
「な、何よ急に」
「一年前に言いそびれた言葉だ」
「……覚えてたの」
「もちろん」
二人は、しばらく無言で見つめ合った。
窓の外から、学生たちの声が聞こえてくる。
「先輩、この合金の配合比、教えてください!」
「火加減はもう少し弱くしないと、温度が上がりすぎるわよ!」
「鉄平先生の授業、次は何をやるんですか?」
活気に満ちた声。希望に満ちた声。
「鉄平」
「何だ」
「これからも、一緒にいてくれる?」
「……当然だろう」
鉄平は、リーゼを抱き寄せた。
「俺は、もうどこにも行かない。この世界で、お前と一緒に——」
「鉄を作り続ける?」
「ああ。人々を幸せにする鉄を」
リーゼは、鉄平の胸に顔を埋めた。
「……馬鹿。ロマンチックなことを言おうとしてるのに、最後は結局、鉄の話なのね」
「悪いか?」
「悪くない。むしろ——」
リーゼは顔を上げ、微笑んだ。
「あなたらしいわ」
そして、二人は——
「学院長! 新しい鉱石サンプルが届きました!」
扉が勢いよく開いた。
「至急、分析をお願いします!」
「……」
二人は、慌てて離れた。
「は、はい、今行きます」
「わ、私も講義があるから」
赤い顔のまま、二人はそれぞれの持ち場へと向かった。
廊下を歩きながら、鉄平は思った。
——元の世界に帰る方法は、まだ見つかっていない。
——もしかしたら、永遠に帰れないかもしれない。
——でも——
彼は、歩み去るリーゼの背中を見つめた。
——それでも、いいかもしれない。
この世界には、彼を必要としている人々がいる。彼と共に歩んでくれる人がいる。
それだけで、十分だった。
学院の中庭に出ると、大きな高炉が視界に入った。
新しく建設された、この世界初の本格的な高炉。昨日、ついに火入れが行われ、今まさに、最初の銑鉄が生産されようとしている。
「学院長!」
学生たちが、興奮した様子で駆け寄ってきた。
「炉況、安定しています! もうすぐ、出銑です!」
「よし、見に行こう」
鉄平は、学生たちと共に高炉へと向かった。
炉の前には、多くの人々が集まっていた。学院の教官たち。ギルドの職人たち。そして、エルヴィンやメルティア、カタリナの姿もあった。
「来たか、テッペイ」
カタリナが声をかけた。
「歴史的な瞬間だ。見届けろ」
「はい」
高炉の底で、何かが動いた。
そして——
オレンジ色に輝く溶銑が、流れ出した。
「出銑成功!」
歓声が上がった。
千年ぶりに、高炉から銑鉄が生産された。失われた技術が、正しい形で蘇った瞬間だった。
「すごい……」
学生たちが、目を輝かせて溶銑を見つめていた。
「これが、鉄か……」
鉄平は、その光景を眺めながら思った。
——榊原主幹。
——あなたの言葉を、俺は忘れていません。
——鉄は道具だ。使う人間次第で、良くも悪くもなる。
——俺は、良い方向に使います。
——人々を守り、幸せにするために。
溶銑の流れが、次第に安定していく。
オレンジ色の光が、見守る人々の顔を照らしている。
リーゼが、いつの間にか鉄平の隣に来ていた。
「綺麗ね」
「ああ」
二人は、並んで高炉を見つめた。
「これが、私たちが作ったものなのね」
「俺たちだけじゃない。みんなで作ったものだ」
「そうね」
リーゼは、鉄平の手を取った。
今度は、離さなかった。
「これからも、一緒に作っていこう」
「ああ。ずっと」
夕日が沈み始めた。
高炉の炎と、沈みゆく太陽が、空を赤く染めている。
新しい時代の、始まりの光景だった。
エピローグ 鋼鉄の未来
王立製鉄学院の設立から、十年が経った。
学院は、今や王国最大の技術教育機関に成長していた。卒業生は五百人を超え、彼らは王国各地で製鉄所や鍛冶場を運営している。
銀鋼の技術は広く普及し、農具から建材まで、様々な分野で活用されていた。鉄喰らいの残党はまだ北方に生息していたが、銀鋼の武器があれば対処できる程度の脅威に過ぎなくなっていた。
学院の敷地内を、一人の男が歩いていた。
鉄平——もう四十二歳になっていた。
白髪が交じり始めた髪。深くなった皺。しかし、その目には、十年前と変わらない輝きがあった。
「学院長」
若い教官が、駆け寄ってきた。
「次の講義の準備ができました」
「ああ、今行く」
鉄平は、講義棟へと向かった。
教室には、百人近い学生が待っていた。様々な出身地、様々な年齢の学生たち。彼らに共通しているのは、製鉄への情熱だけだった。
「今日の講義は、『技術者の倫理』についてだ」
鉄平は、教壇に立った。
「君たちは、やがてこの国の製鉄を担う技術者になる。そこで、一つだけ覚えておいてほしいことがある」
学生たちが、真剣な表情で聞いている。
「技術は、道具だ。使う人間次第で、良くも悪くもなる」
十年前から、何度も繰り返してきた言葉。しかし、その重要性は、時間が経つほど増している。
「君たちは、何のために鉄を作るのか。それを、常に問い続けてほしい」
「先生」
一人の学生が手を挙げた。
「先生は、何のために鉄を作っているんですか?」
鉄平は、窓の外を見た。
遠くに、高炉の煙突が見える。そこから立ち上る煙は、十年前より遥かに多くなっていた。
「人々を、幸せにするためだ」
鉄平は、学生たちを見回した。
「鉄は、人々の生活を支えている。農具は食料を作り、建材は住居を作り、道具は暮らしを便利にする。俺が作る鉄が、誰かの幸せに繋がっている——その実感が、俺を突き動かしている」
「でも、武器も鉄から作られますよね?」
「ああ、その通りだ」
鉄平は頷いた。
「だからこそ、技術者は選ばなければならない。何を作り、何を作らないか。その選択を、他人任せにしてはいけない」
講義が終わり、学生たちが教室を出ていった。
一人だけ、残っている学生がいた。
「先生」
「何だ」
「僕、先生みたいな技術者になりたいです」
若い学生の目には、かつての自分と同じ情熱が輝いていた。
「なれるさ」
鉄平は微笑んだ。
「努力を続ければ、必ずなれる」
学生が去った後、鉄平は窓辺に立った。
夕日が、学院の建物を赤く染めている。
十年前と同じ——いや、少し違う夕日。
「お疲れ様」
振り返ると、リーゼが立っていた。
彼女もまた、十年の歳月を経て変わっていた。赤い髪には白いものが混じり、顔には穏やかな皺が刻まれている。しかし、その目の強さは変わっていなかった。
「今日の講義、見てたわよ。相変わらず、学生に人気ね」
「そうか?」
「『先生みたいになりたい』って言ってた子、目がキラキラしてたわ」
リーゼは、鉄平の隣に立った。
「ねえ」
「何だ」
「あの時——この世界に来たばかりの頃、こんな未来を想像してた?」
「いや、全く」
鉄平は苦笑した。
「異世界に来て、製鉄をして、鉄喰らいと戦って、学校を作って——まるで、誰かが書いた物語みたいだ」
「でも、現実よ」
「ああ。現実だ」
二人は、並んで夕日を眺めた。
「鉄平」
「何だ」
「帰りたい? 元の世界に」
その質問に、鉄平は少し考えてから答えた。
「正直に言えば、時々、思い出すことはある。あの世界の仲間たち、仕事、生活——」
「そう」
「でも」
鉄平は、リーゼの手を取った。
「今の俺には、ここが『帰る場所』だ」
リーゼの目に、涙が浮かんだ。
「……馬鹿。いい年して、そんなこと言うなんて」
「本当のことだ」
二人は、しばらく無言で寄り添っていた。
「ねえ、鉄平」
「何だ」
「私たちの子供——あの子も、いつか技術者になるかしら」
「さあな。あいつが選ぶことだ」
「でも、鉄のこと、好きみたいよ。昨日も、工房で火を見つめてた」
「そうか」
鉄平は微笑んだ。
「なら、教えてやらないとな。鉄の作り方——そして、技術者の心を」
窓の外で、高炉に火が入れられた。
オレンジ色の光が、夜空を照らしている。
十年前と同じ光。しかし、その意味は大きく変わっていた。
かつては、戦争のために作られた光。
今は、平和のために、人々の幸せのために作られる光。
「綺麗ね」
「ああ」
二人は、いつまでもその光を見つめ続けた。
鉄は、人類の歴史を変えた。
青銅器から鉄器への移行で、文明は飛躍的に発展した。
しかし、鉄を作る技術だけでは十分ではない。
大切なのは、その鉄を何のために使うか。
誰のために作るか。
それを決めるのは、技術者自身だ。
「鉄平」
「何だ」
「明日も、鉄を作る?」
「ああ。明日も、その次も、ずっと」
「私も、手伝うわ」
「もちろんだ」
二人は、手を繋いで歩き始めた。
学院の中庭を抜け、自宅へと向かう。
その背中を、高炉の光が照らしていた。
——鉄は、人を幸せにするために作るものだ。
——それを忘れなければ、この世界は大丈夫だ。
遠くで、新しい炉に火が入る音が響いた。
次の世代の技術者たちが、新しい一歩を踏み出す音だった。
物語は、ここで終わりを迎える。
しかし、鉄を作る営みは、永遠に続いていく。
この世界で。
あの世界で。
全ての世界で。
人類が存在する限り、鉄は作られ続ける。
そして、その鉄が人々を幸せにする限り——
技術者たちの魂は、決して消えることはない。
【完】
製鉄メーカー異世界転生_鋼鉄の救世主 ~異世界転生した製鉄エンジニアが文明を再建する~ もしもノベリスト @moshimo_novelist
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