第十五章 禁忌の扉
メルティアが持ち帰った古代の文献は、分厚い羊皮紙の束だった。
「これが、神鋼研究の記録だ。約千年前、最後の主席冶金学者——ヴァルハイムという名の男が残したものだ」
鉄平は、その文献を手に取った。文字は読めないが、図や数式のようなものは、なんとなく意味が推測できた。
「ヴァルハイム……」
「古代文明で最も優秀な冶金学者だったと言われている。彼は、金属と魔法を融合させる研究で、多くの業績を残した。しかし、最後の研究——神鋼の完成——で、全てを失った」
「何が起きたんですか」
メルティアは目を閉じた。
「記録によれば、ヴァルハイムは『生命と金属の融合』という禁断の領域に踏み込んだ。金属に意識を与え、自己修復する能力を持たせようとした」
「生命と金属の、融合……」
「実験は暴走した。ヴァルハイム自身が、その最初の『成功例』となってしまった」
鉄平は息を呑んだ。
「つまり、ヴァルハイムが——」
「鉄喰らいの王だ。おそらく」
メルティアは文献の一節を指さした。
「ここに書いてある。『我は完璧な金属となった。しかし、もはや人間ではない』と」
「千年も、生きているのか」
「金属は、腐食しない限り永遠に存在できる。ヴァルハイムは、自らを金属生命体に変えることで、不死を得た。その代わりに——」
「人間としての心を、失った」
「そうだ。彼は今、金属文明への復讐だけを目的に存在している。自分を怪物に変えた技術を、この世界から完全に消し去るために」
鉄平は、文献をじっと見つめた。
「でも、彼自身も、元は製鉄技術者だった。完璧な金属を求めていた」
「皮肉な話だ。彼が求めていたものを手に入れた結果、彼はその全てを憎むようになった」
「……俺も、同じ道を辿る可能性があるんですね」
「ある」
メルティアは、鉄平を真っ直ぐに見つめた。
「だから、慎重に進めろ。神鋼の製法を全て再現する必要はない。ヴァルハイムに対抗できるだけの強度を持つ合金——それだけを目指せ」
「わかりました」
鉄平は文献を読み解き始めた。
ヴァルハイムの研究記録は、驚くほど詳細だった。彼が試した様々な合金の配合、熱処理の条件、魔法的な強化の方法——全てが記されている。
そして、その中に、鉄平の目を引く一節があった。
「これは……」
「何を見つけた」
「ヴァルハイムは、銀輝石——クロムだけでなく、他の金属も使っていた。ここに書いてあるのは——」
鉄平は必死に図を読み解いた。
「ニッケルに相当する金属と、モリブデンに相当する金属。この三つを組み合わせることで、銀鋼よりも遥かに強い合金を作っていた」
「それらの金属は、この世界に存在するのか」
「わかりません。でも、探す価値はあります」
鉄平は立ち上がった。
「カタリナさんに聞いてみます。ギルドの材料倉庫に、何かあるかもしれない」
カタリナの協力で、材料倉庫の全ての金属サンプルが調査された。
その結果、二種類の珍しい鉱石が発見された。
「これは『緑輝石』と呼ばれている。採掘量が極めて少ないため、実用化されたことがない」
カタリナが、緑色がかった金属片を見せた。
「もう一つは『黒曜石』。名前に反して、金属的な性質を持っている。これも珍しいものだ」
鉄平はそれらを手に取り、観察した。
「緑輝石は、おそらくニッケル鉱石に近いものだと思います。黒曜石は——これはモリブデンかもしれない」
「それらを、銀鋼に混ぜるのか」
「理論上は、可能なはずです。ただ——」
鉄平は眉をひそめた。
「配合比が難しい。多すぎても少なすぎてもダメで、最適な比率を見つける必要があります」
「試行錯誤が必要ということか」
「はい。何度も実験を繰り返すことになります」
カタリナは頷いた。
「必要な材料は、全て手配しよう。時間がないのはわかっている。できるだけ早く、結果を出してくれ」
「ありがとうございます」
こうして、新しい合金——後に「神鋼モドキ」と呼ばれることになる——の開発が始まった。
実験は、困難を極めた。
三種類の金属を同時に溶融させ、均一に混合するのは、銀鋼の時よりも遥かに難しかった。温度管理、投入タイミング、共鳴の強度——全てを精密にコントロールする必要があった。
最初の試作品は、失敗だった。
「内部に気泡ができている。これでは、強度が出ない」
二番目も、三番目も、失敗。
「成分が偏っている。混合が不十分だ」
四番目、五番目——
「融点の差が大きすぎて、先に溶けた金属が分離してしまう」
失敗が続いた。鉄平は睡眠時間を削り、炉の前に立ち続けた。リーゼも、限界まで共鳴を続けた。
「無理しないで。倒れたら元も子もないわよ」
リーゼが、疲れ切った鉄平に声をかけた。
「お前こそ。共鳴の負担は、俺より大きいはずだ」
「私は大丈夫。それより——」
リーゼは鉄平の顔を覗き込んだ。
「あんた、ちゃんとご飯食べてる? 顔色悪いわよ」
「……食べてない、かもしれない」
「ほら、これ」
リーゼが、布に包まれたパンとチーズを差し出した。
「工房の隅で食べなさい。私が見張ってるから」
「……ありがとう」
鉄平は、久しぶりに温かい食事を口にした。単純なパンとチーズが、信じられないほど美味しく感じた。
「どう?」
「うまい。すごくうまい」
「でしょ? マーレンに作ってもらったの」
リーゼは満足げに笑った。
「あんたがちゃんと食べないと、私たちも困るんだから。もっと自分を大事にしなさいよ」
「……ああ。そうだな」
鉄平は、リーゼを見つめた。
「リーゼ」
「何?」
「ありがとう。いつも、支えてくれて」
リーゼの頬が、少し赤くなった。
「べ、別に。当然のことをしてるだけよ」
「それでも、ありがとう」
二人は、しばらく無言で隣り合って座っていた。
炉の火が、静かに燃えている。その光が、二人の影を壁に映し出していた。
「ねえ、鉄平」
「何だ」
「この戦いが終わったら——」
リーゼは言いかけて、口をつぐんだ。
「終わったら?」
「……なんでもない。今は、考えないほうがいいわね」
リーゼは立ち上がった。
「さ、休憩終わり。続きをやるわよ」
「ああ」
鉄平も立ち上がった。
そして、実験は続けられた。
六回目、七回目、八回目——
失敗の山が積み上げられていく。しかし、その度に、新しい知見が得られた。何がうまくいかないのか。どこを改善すればいいのか。
そして——
十二回目の実験。
「温度、1900度。維持!」
「共鳴、最大出力!」
「投入、今!」
三種類の金属が、白熱した炉の中に落ちていった。
溶融。混合。反応——
「反応、安定しています!」
メルティアの声が響いた。
「成分比、理想的な範囲内!」
「よし、このまま——」
鉄平は祈るような気持ちで、炉を見つめ続けた。
やがて、反応が完了した。
炉から取り出された金属片は、これまでの試作品とは明らかに違っていた。
銀鋼よりもさらに深い、青みがかった銀色。表面は滑らかで、独特の光沢を放っている。
「これは……」
鉄平は、震える手でその金属を持ち上げた。
メルティアが、魔法で内部構造を分析した。
「信じられない。結晶構造が、完璧に近い。これは——」
彼女は息を呑んだ。
「古代の記録にある、神鋼の構造と、ほぼ一致している」
「成功、したのか……」
「ただし、ヴァルハイムのものとは違う。『生命融合』の要素がない。純粋に、金属としての強化だけが実現されている」
「それが、狙いです」
鉄平は、金属片を握りしめた。
「神鋼の力だけを得て、その呪いは受け継がない。それが、俺たちの目指すべきものだった」
「お前は、それを成し遂げた」
メルティアは、深い感慨を込めて言った。
「千年の時を経て、古代の技術が正しい形で蘇った」
リーゼが、鉄平の隣に駆け寄ってきた。
「やった! やったわね!」
「ああ。お前のおかげだ」
「私だけじゃない。みんなの力よ」
二人は顔を見合わせて、笑った。
しかし、喜びに浸っている時間はなかった。
「急いで、武器を作らないと」
鉄平は立ち上がった。
「北の戦線で、鉄喰らいの王が動いている。この合金で武器を作り、間に合わせなければ——」
「わかっているわ。すぐに鍛造を始めましょう」
こうして、最終決戦に向けた準備が、本格的に始まった。
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