第九章 火入れの刻
エルフの森での訓練は、想像以上に過酷だった。
リーゼは毎日、メルティアの指導の下で金属共鳴の訓練を続けた。朝から晩まで、様々な金属片に触れ、魔力を流し込む練習。最初は微かな発光だけだったものが、次第に強さを増していった。
一方、鉄平はメルティアから古代の冶金技術について学んだ。
「鍵は、結晶の方向性にある」
メルティアが、実験室で説明した。
「金属の結晶は、無数の小さな粒が集まってできている。その粒の向きが揃っていれば、強度が増す」
「結晶粒の配向制御ですね。俺の世界でも、重要な技術でした」
「お前の世界では、どうやってそれを実現していた?」
「熱処理と、圧延——金属を押しつぶして延ばす加工です。温度と圧力を精密にコントロールすることで、結晶の向きを揃えていました」
「なるほど。我々の方法は、それを魔法で行う。金属に魔力を流し込みながら鍛造することで、結晶を意図した方向に配列させる」
「原理は同じなんですね。手段が違うだけで」
「その通りだ。お前は理解が早い」
メルティアは、古い本を開いた。
「問題は、銀輝石——お前たちがクロムと呼ぶ元素の扱いだ。これを鉄に混ぜるには、通常よりも遥かに高い温度が必要になる」
「どのくらいですか」
「おそらく、1800度以上。通常の炉では不可能だ」
「だから、高炉が必要なのか」
鉄平は腕を組んだ。高炉。その建設には、膨大な資源と時間がかかる。しかし、それなしには、この合金は作れない。
「待ってください」
鉄平は何かを思いついた。
「魔法で、温度を上げることはできないんですか」
「火魔法か? 可能だが、持続させるには大量の魔力が必要になる。一人の魔法使いでは、数分が限界だろう」
「複数人では?」
「理論的には可能だが……エルフの魔法使いを何人も動員するのは、現実的ではない」
「いや、エルフじゃなくても」
鉄平の目が輝いた。
「リーゼの金属共鳴能力。それを炉自体に応用できないでしょうか」
メルティアが目を見開いた。
「炉に共鳴させて、熱効率を上げるということか」
「はい。炉の内壁を特殊な合金で作り、リーゼがそれに共鳴すれば、通常よりも高い温度を維持できるかもしれない」
「考えたこともなかった……だが、理論的には——」
メルティアは急いで計算を始めた。
「可能かもしれない。いや、うまくいけば、古代の炉を再現できる」
「やってみましょう」
二人の興奮が、部屋に満ちた。
それから二週間。
王都に戻った鉄平たちは、カタリナの全面協力を得て、新しい炉の建設に取りかかった。
設計は、古代の図面と鉄平の知識を融合させたものだった。基本構造は高炉に近いが、規模は小さく、代わりに内壁には特殊な合金——メルティアの指示で調合されたもの——が使われている。
そして、炉の側面には、メルティアが刻んだ魔法紋様が施されていた。
「これが、共鳴のための触媒になる」
メルティアが説明した。
「リーゼが紋様に触れて魔力を流せば、炉全体と共鳴が始まる。そうすれば——」
「炉内の温度が、飛躍的に上昇する」
「理論上は、2000度も可能だ」
建設には、ギルドの職人総出で取り組んだ。昼夜を問わず作業が続けられ、二週間後、ついに炉が完成した。
「小さな高炉」
鉄平は、完成した炉を見上げた。高さ約五メートル。通常の炉に比べれば、遥かに背が高い。しかし、本物の高炉に比べれば、十分の一以下の規模だ。
「これで、本当にうまくいくのかしら」
リーゼが、不安げに炉を見つめた。
「やってみないとわからない。でも、ここまで来たんだ。やるしかない」
火入れは、翌日に決まった。
その夜、鉄平は一人で工房に残っていた。
完成した炉を前に、様々な思いが去来する。この異世界に来てから、もう一ヶ月以上が経過していた。
地球のこと、製鉄所の仲間たちのことを思い出す夜は、少なくなっていた。ここでの生活に、少しずつ慣れてきたのかもしれない。
「眠れないの?」
振り返ると、リーゼが立っていた。
「お前こそ、明日は本番だぞ。休んでおけよ」
「あんたに言われたくないわよ」
リーゼは鉄平の隣に座った。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何だ」
「あんたは、なんでこんなに頑張るの?」
「どういう意味だ」
「だって、あんたにとってはこの世界は関係ないでしょ。帰る方法が見つかったら、元の世界に戻るんでしょ? なのに、なんでこんなに一生懸命になるの?」
鉄平は、しばらく考えてから答えた。
「最初は、自分のためだったと思う。この世界で生き延びるために、自分の知識を活かすしかなかった」
「今は?」
「今は……わからない。でも、この村の人たち、ギルドの職人たち、メルティア、そしてお前——みんなと一緒に何かを作り上げていくのが、嬉しいんだ」
鉄平は炉を見上げた。
「製鉄所で働いていた頃は、自分の仕事が誰の役に立っているのか、実感できなかった。巨大な組織の、小さな歯車でしかないような気がしていた」
「でも、ここでは違う?」
「ああ。ここでは、自分の手で作ったものが、誰かの生活を変える。それがすごく——満足感がある」
リーゼは黙って聞いていた。
「だから、帰る方法が見つかっても——正直、どうするかわからない」
「……そう」
リーゼの声は、小さかった。
「あんたがいなくなったら、困る人、たくさんいるわよ」
「リーゼも?」
「は? 何言ってるの。私は別に——」
言いかけて、リーゼは口をつぐんだ。その頬が、わずかに赤らんでいる。
「と、とにかく! 明日は大事な日なんだから、早く寝なさいよ!」
リーゼは立ち上がり、足早に去っていった。
その背中を見送りながら、鉄平は小さく笑った。
明日、全てが変わるかもしれない。
成功すれば、鉄喰らいに対抗する道が開ける。失敗すれば——それも、また新しい出発点になるだろう。
鉄平は、夜空を見上げた。
見慣れてきた、異世界の星々。いつの間にか、それは「見知らぬ星」ではなくなっていた。
——やるだけやってみよう。
心の中でそう呟いて、鉄平は工房を後にした。
翌朝。
鍛冶師ギルドの工房に、多くの人々が集まっていた。
ギルドの職人たち。エルヴィンを始めとする王国の役人。そして、遠くフォルジュ村から駆けつけたゴードン老人の姿もあった。
「じいさん! なんでここに?」
リーゼが驚いて駆け寄った。
「馬鹿者。孫弟子が歴史に残るかもしれんことをするというのに、見届けないでどうする」
ゴードンは白い眉の下で目を細めた。
「それに——」
老人は鉄平を見た。
「あいつの技術が本物かどうか、この目で確かめたいからな」
「……ありがとうございます」
鉄平は深く頭を下げた。
「よし」
カタリナが手を叩いた。
「始めよう」
炉の前に、鉄平、リーゼ、メルティアの三人が立った。
「手順を確認する」
鉄平が言った。
「まず、通常の方法で炉に火を入れる。温度がある程度上がったところで、リーゼが共鳴を開始。炉内温度を1800度以上まで上げて、そこに銀輝石と鉄鉱石を投入する」
「投入のタイミングは、私が見極める」
メルティアが続けた。
「魔力の流れを感知して、最適な瞬間を判断する」
「わかったわ」
リーゼは深呼吸をした。緊張で、手が微かに震えている。
「大丈夫。お前なら、できる」
鉄平がリーゼの肩に手を置いた。
「何度も練習したじゃないか」
「……うん」
リーゼは頷いた。その目に、決意の光が宿った。
「始める」
鉄平の合図で、職人たちが動き始めた。木炭が炉に投入され、火がつけられる。ふいごが動き始め、送風が始まった。
シュウ、シュウ、シュウ——
リズミカルな音と共に、炉内の温度が上昇していく。赤から橙へ、橙から黄へ。
「温度、800度」
メルティアが魔法で温度を測定しながら告げた。
「900度」
「1000度」
通常の炉の限界に近づいていた。
「リーゼ、頼む」
リーゼは炉の側面に刻まれた紋様に、両手を当てた。目を閉じ、意識を集中する。
——鉄と、話をするように。
父から教わった言葉を思い出す。
——火と話をしろ。
でも、今の私は——
——鉄と話をする。
リーゼの体が光り始めた。
紋様が反応し、炉全体が青白い輝きに包まれる。職人たちから、驚きの声が上がった。
「共鳴開始」
メルティアの声が響いた。
「温度上昇。1100度……1200度……1300度……!」
炎の色が変わっていく。黄色から白へ。まばゆい光が炉から溢れ出す。
「1500度……1600度……」
リーゼの額に汗が浮かんだ。全身の魔力を、炉に注ぎ込んでいる。
「1700度……1800度!」
「今だ!」
鉄平が叫んだ。職人たちが、銀輝石と鉄鉱石を炉の投入口へ運ぶ。
原料が、白熱した炎の中へ落ちていった。
「温度維持!」
メルティアがリーゼをサポートする。二人の魔力が重なり、炉の温度を保つ。
時間が、永遠のように感じられた。
——溶けろ。融合しろ。
鉄平は心の中で念じた。
やがて——
「反応開始」
メルティアが言った。
「二つの金属が、融合している」
炉の底で、何かが起きていた。銀輝石の成分が鉄と混じり合い、新しい合金が生まれようとしている。
「温度、維持できません……限界です……」
リーゼの声が掠れた。全力を出し尽くしつつある。
「あと少しだけ、持たせろ!」
鉄平が叫んだ。
「反応は、あと三十秒で完了する!」
リーゼは歯を食いしばった。体中の魔力を絞り出すように、共鳴を続ける。
二十秒。
十五秒。
十秒。
「完了!」
メルティアの声と同時に、リーゼは崩れ落ちた。鉄平が素早く駆け寄り、彼女を支える。
「リーゼ! 大丈夫か!」
「大丈夫……ちょっと疲れただけ……」
リーゼは弱々しく微笑んだ。
炉の中では、まだ反応が続いていた。やがて、それも落ち着き、炉を冷却する段階に入る。
三時間後。
炉から取り出されたのは、今まで見たことのない金属の塊だった。
銀色に輝き、表面は滑らかで、独特の光沢を放っている。
「これが……」
鉄平は、震える手でその金属を持ち上げた。
「クロム鋼——いや、違う。これは——」
メルティアが、魔法で金属の内部構造を分析した。
「驚くべきことだ。結晶構造が、通常の金属とは全く違う。まるで——」
彼女は言葉を失った。
「まるで、魔法で編み上げられたような配列になっている」
「つまり——」
「成功だ。鉄喰らいの腐食に耐える可能性のある、新しい合金が生まれた」
工房に、歓声が沸き上がった。
職人たちが抱き合い、喜びを分かち合う。エルヴィンは興奮した様子で、王城への報告書を書き始めた。
ゴードン老人は、黙って金属の塊を見つめていた。その目には、涙が光っていた。
「高く聳える炉……鉄の山を作る大いなる炉……」
老人は呟いた。
「曾祖父が伝えた言葉が、今日、現実になった」
鉄平は、リーゼの隣に座った。彼女はまだ疲労困憊の様子だったが、満足げな笑みを浮かべていた。
「やったわね」
「ああ。お前のおかげだ」
「私だけじゃないでしょ。あんたの知識、メルティアの魔法、みんなの力よ」
「それでも、最後の壁を越えたのは、お前の共鳴だ」
リーゼの頬が、また赤くなった。
「う、うるさいわね。褒めたって、何も出ないわよ」
「別に、何も求めてない」
二人は顔を見合わせて、笑った。
この日、歴史が動いた。
千年ぶりに、失われた技術が蘇った日。
そして、鉄喰らいとの戦いの、新たな章が始まる日でもあった。
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