第八章 エルフの森
西の森——「シルヴァンの緑海」と呼ばれるその場所は、王都から馬で三日の距離にあった。
鉄平、リーゼ、マーレン、そして護衛として同行したエルヴィンの四人は、緑深い森の入口に立っていた。
「ここから先は、エルフの領域だ」
エルヴィンが馬を降りながら言った。
「勝手に入れば、矢で射られても文句は言えない。カタリナ殿の紹介状があるとはいえ、慎重に進む必要がある」
「どうやって、中に入るんですか」
「待つのだ。我々が来たことは、既に向こうに伝わっているはず。エルフの感覚は、人間とは比較にならないほど鋭い」
果たして、エルヴィンの言う通りだった。
森の入口に立って三十分ほど経った頃、木立の中から一人の人影が現れた。
白金色の長い髪。尖った耳。透き通るような肌に、青緑色の大きな瞳。
エルフだ。
実際に見るのは初めてだったが、鉄平は即座にそう理解した。どこか人間離れした美しさ。しかし、その目には警戒の色が浮かんでいる。
「人間が四人。珍しい来客だ」
流暢な共通語で、エルフが言った。声は若い女性のものだったが、年齢を推測することは難しい。
「私は、メルティア・シルヴァーンの元へ参りました。カタリナ・フォルジアからの紹介状があります」
リーゼが前に出て、巻物を差し出した。エルフは慎重にそれを受け取り、内容を確認した。
「フォルジア家……」
エルフの目が、リーゼを見た。何かを探るような視線だった。
「お前は、あの血筋の者か」
「はい。リーゼ・フォルジアと申します」
「そうか」
エルフは何か納得したように頷いた。
「ついて来い。メルティア様が、お会いになる」
四人はエルフの後について、森の中へと歩を進めた。
道はなかった。しかしエルフは迷いなく、木々の間を縫うように進んでいく。足音は信じられないほど静かで、落ち葉一枚踏む音すらしない。
やがて、木立が開けた。
そこには、人間の想像を超えた光景が広がっていた。
巨大な樹木——その幹は直径十メートルを超える——の内部が、くり抜かれて住居になっている。枝と枝の間には、蔓でできた吊り橋が渡され、そこを行き交うエルフの姿が見えた。空中に浮かぶ光の玉が、木漏れ日とは違う柔らかな明かりを灯している。
「これが、エルフの里か……」
エルヴィンが、感嘆の声を漏らした。
「人間が立ち入るのは、百年ぶりだと聞いた。まさか、この目で見ることになるとは」
案内のエルフは、中央の最も大きな樹木へと向かった。その根元に設けられた入口から中に入ると、らせん状の階段が上へと続いている。
階段を上り詰めた先に、一つの部屋があった。
壁一面に本棚。様々な器具や標本が並ぶ机。窓からは森の緑が一望できる。そして、その部屋の中央に——
「ようこそ、人間たち」
銀色の髪を持つ女性エルフが立っていた。年齢は——外見だけでは判断できないが、他のエルフよりも落ち着いた雰囲気がある。その目は、好奇心に満ちていた。
「私がメルティア・シルヴァーン。古代魔法を研究している。カタリナから話は聞いている。異界から来た製鉄技術者と、その仲間たちが会いに来ると」
「はい。お時間をいただき、ありがとうございます」
鉄平が頭を下げた。
「早速だが、本題に入ろう」
メルティアは机に向かい、何枚かの羊皮紙を取り出した。
「鉄喰らいに対抗できる金属を作りたい——そういうことだったな」
「はい」
「興味深い。私も、鉄喰らいには関心を持っている。彼らの腐食能力は、単純な化学反応ではない。魔法的な作用が含まれている」
「それは、確信ですか?」
「ほぼ確信だ。私は長年、鉄喰らいの残骸を研究してきた。彼らの体内には、金属の結晶構造を直接破壊する魔力が流れている」
メルティアは羊皮紙の一枚を広げた。そこには、複雑な図式が描かれている。
「これは、鉄の結晶構造を魔法的に視覚化したものだ。通常の鉄では、この構造が規則正しく並んでいる」
「はい。鉄の結晶格子ですね」
鉄平の言葉に、メルティアが目を見開いた。
「お前、この概念を知っているのか」
「俺の世界では、基礎的な知識です」
「驚いた。人間——いや、異界人だったな。お前の世界の知識レベルは、予想以上に高いようだ」
メルティアは別の羊皮紙を取り出した。
「これが、鉄喰らいに触れた後の鉄だ。構造が無秩序に乱れ、崩壊している」
鉄平はその図を見つめた。確かに、結晶構造がずたずたに破壊されている。これでは、金属としての強度は保てない。
「鉄喰らいの魔力は、金属原子間の結合を直接攻撃するのですね」
「その通りだ。通常の腐食——酸化による劣化とは、メカニズムが異なる」
「では、ステンレス鋼でも防げないかもしれない……」
鉄平は眉をひそめた。ステンレス鋼の耐腐食性は、表面の酸化被膜によるものだ。しかし、鉄喰らいの攻撃が結晶構造そのものに及ぶなら、被膜は関係ない。
「そう悲観することはない」
メルティアが言った。
「私が研究しているのは、まさにその対策なのだ」
「対策?」
「古代文明は、鉄喰らいに対抗する技術を持っていた。それは、金属の結晶構造を魔法で強化する技術だ」
メルティアは本棚から、一冊の古い書物を取り出した。
「これは、古代の冶金学者が残した記録だ。彼らは、特定の魔法紋様を金属に刻み込むことで、結晶構造を安定化させていた」
「魔法紋様……」
「鍛造の過程で、金属に魔力を流し込み、特定のパターンで結晶を配列させる。そうすることで、通常よりも遥かに強い結合が生まれる」
鉄平は、カタリナに見せてもらった古代の炉の設計図を思い出した。あの紋様は、まさにこれのことだったのだ。
「その技術は、今でも使えるのですか」
「理論的には、可能だ。だが、実際にやったことはない。古代の魔法は複雑で、再現が難しい。そして——」
メルティアはリーゼを見た。
「この技術を使うには、特殊な適性が必要なのだ。金属と共鳴できる者でなければ、魔力を流し込むことができない」
「金属と共鳴……」
「フォルジア家の血筋には、その適性を持つ者がいると言われている。遠い昔、エルフと人間の間に生まれた子の血が、お前たちの家系には流れているのだ」
リーゼが息を呑んだ。
「私に、そんな力が……?」
「あるかもしれない。試してみる価値はある」
メルティアは、机の上に小さな金属片を置いた。
「これに触れて、意識を集中してみろ。何か感じるか」
リーゼはおそるおそる金属片に手を伸ばした。指先が触れた瞬間——
彼女の体が、微かに光った。
「これは……」
メルティアの目が輝いた。
「やはりな。お前には、適性がある」
リーゼは自分の手を見つめていた。金属片に触れている指先が、ほんのりと発光している。
「私、何が起きてるの?」
「お前の魔力が、金属と共鳴しているのだ。訓練すれば、もっと強い共鳴を起こせるようになる」
メルティアは鉄平を見た。
「異界人。お前の製鉄知識と、リーゼの金属共鳴能力。この二つを組み合わせれば——」
「古代の技術を再現できるかもしれない」
鉄平は興奮を抑えきれなかった。
「鉄喰らいに対抗できる金属を作れる」
「そうだ。ただし、簡単ではない。私の知識と、お前たちの技術を総動員する必要がある」
メルティアは窓の外を見つめた。
「千年前に失われた技術を、取り戻す。それは、この世界の歴史を変えることかもしれない」
「やりましょう」
鉄平は即座に答えた。
「俺たちに、できることは全てやります」
メルティアは、初めて微笑んだ。
「いい覚悟だ。では、今日から訓練を始めよう。時間は、あまりないかもしれないからな」
「時間がない?」
「鉄喰らいの動きが、活発化している。北の防衛線への圧力が、日に日に増しているという報告がある」
メルティアの表情が曇った。
「大規模な侵攻が近いのかもしれない」
部屋の空気が、一瞬凍りついた。
鉄平は拳を握りしめた。時間との戦いが、始まろうとしていた。
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