第六章 鉄の都

王都ヴェルハイムは、鉄平が想像していた以上に大きな都市だった。


馬車が城壁をくぐると、石畳の大通りが真っ直ぐに延び、その両側に様々な店舗や住居が軒を連ねている。行き交う人々の服装は村人たちよりもはるかに上質で、馬車や荷車が忙しく往来していた。


「これが、王国の首都です」


エルヴィンが、窓の外を指さしながら説明した。


「人口は約十五万。この大陸では最大の都市の一つです」


鉄平は、興味深く街並みを観察した。建物の多くは石造りで、三階建て、四階建てのものも珍しくない。所々に塔がそびえ立ち、その頂上には旗がはためいている。


「あれは何ですか」


「商業ギルドの本部です。この都市の経済を取り仕切っています。あちらが司法院、向こうに見えるのが王城——」


エルヴィンの説明を聞きながら、鉄平は心の中で計算していた。これだけの規模の都市を維持するには、相当な物資の流通が必要だ。食料、燃料、建材、そして——金属。


「鍛冶師ギルドは、どこにあるんですか」


「城壁の東側、職人街と呼ばれる区画に集中しています。今日は先に宿に入っていただいて、明日、ギルドの代表者に会う手筈を整えましょう」


馬車は、城下の一角にある立派な建物の前で停まった。


「ここが、滞在中のお宿になります。費用は全て王国持ちですので、ご安心ください」


建物の中は、村の家々とは比べ物にならない豪華さだった。木と石で作られた内装、丁寧に磨かれた床、壁に掛けられた絵画。鉄平とリーゼには、それぞれ個室が用意されていた。


「こんな立派な部屋、初めて見た」


リーゼが、部屋を見回しながら呟いた。大きな窓からは街の景色が一望できる。ベッドには柔らかそうな毛布が掛けられ、水差しとコップが備え付けのテーブルに置かれていた。


「……ねえ」


「何ですか」


「あんた、こういう場所に慣れてる感じね。全然動じてない」


鉄平は首を傾げた。


「俺の世界では、こういう設備は珍しくなかったですから。ホテルとか、高いところなら、もっと豪華でしたよ」


「もっと豪華……」


リーゼは絶句した。


「あんたの世界、どんなところなの?」


「うーん、説明が難しいですね。この世界より技術が進んでいて、魔法がない代わりに、機械がたくさんある」


「機械?」


「金属や他の素材で作った道具で、人間の力を何倍にも増幅させたり、遠くと通信したりできる。馬車の代わりに、燃料で動く乗り物がある。空を飛ぶこともできる」


「空を……」


リーゼの目が大きく見開かれた。


「夢みたいな話ね」


「俺にとっては、ここが夢みたいな世界ですよ。魔法があって、見たことのない生き物がいて」


「お互い様ってこと?」


「そうですね」


鉄平は窓の外を見た。夕日に染まる王都の街並み。その向こうに、山々のシルエットが見える。


「でも、鉄を作るということだけは、同じです。火を使い、金属を溶かし、形を与える。その基本は、どの世界でも変わらない」


「……あんた、本当に鉄が好きなのね」


「好き?」


「だって、そういう話をする時、目が輝いてるもの」


鉄平は少し照れくさくなった。


「そうかもしれません。製鉄の仕事は、最初は偶然選んだだけでした。でも、続けているうちに、どんどん面白くなってきた」


「どういうところが?」


「鉄って、すごく正直な素材なんです。温度、時間、成分——条件を変えれば、必ず結果が変わる。失敗には必ず原因があるし、成功にも理由がある。そういう、因果関係がはっきりしているところが好きなんです」


リーゼは黙って聞いていた。その目には、不思議な光が宿っていた。


「……私も、同じかもしれない」


「え?」


「鍛冶をしている時、鉄がどう変化するか、自分の槌の振り方でどう形が変わるか、そういうのを見るのが好き。父さんからは『火と話をしろ』って教わったけど、本当は鉄と話をしてる感じ」


「素敵な表現ですね。『鉄と話をする』か」


「変?」


「いいえ。俺も、同じことを思います」


二人は、しばらく無言で窓の外を眺めていた。夕焼けが深い紫色に変わり、やがて星が瞬き始める。


「明日から、忙しくなりそうですね」


「そうね。でも——」


リーゼは小さく微笑んだ。


「楽しみでもあるわ。王都の鍛冶師たちが、どんな技を持っているのか」


「負けるつもりはないですよ」


「ふん。私だって」


二人の間に、小さな連帯感が生まれていた。


翌朝、エルヴィンに案内されて、鉄平とリーゼは鍛冶師ギルドを訪れた。


職人街と呼ばれるその区画は、王都の東側を占める広大なエリアだった。鍛冶屋だけでなく、木工、皮革、織物、陶芸——ありとあらゆる職人たちが工房を構え、それぞれの音と匂いが入り混じっている。


その中心にそびえ立つのが、鍛冶師ギルドの本部だった。


石造りの重厚な建物。入口には、交差する槌と金床の紋章が掲げられている。巨大な鉄の扉は、開け放たれていた。


「ここが、王国で最も権威ある鍛冶師たちが集う場所です」


エルヴィンに導かれて中に入ると、広いホールに出た。壁には様々な鍛冶製品が飾られている。剣、鎧、農具、調理器具——どれも、村で見たものとは比較にならない精巧さだった。


「お待ちしておりました」


奥から、声が聞こえた。歩いてきたのは、四十代くらいの女性だった。背が高く、肩まで届く赤銅色の髪を後ろで束ねている。腕には火傷の跡がいくつも見え、手のひらには職人特有のたこができていた。


「私は、このギルドのマスターを務めるカタリナ・フォルジア。ようこそ、王都へ」


リーゼが小さく息を呑んだ。


「フォルジア……?」


カタリナは、リーゼに視線を向けた。


「あなたは——まさか」


「私は、リーゼ・フォルジア。北のフォルジュ村から来ました」


カタリナの目が大きく見開かれた。


「リーゼ……。アルドの娘?」


「はい。私の父の名前は、アルド・フォルジアでした」


沈黙が流れた。カタリナは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「そうか……。アルドの娘が、こんなに大きくなって」


「あの、すみません」


鉄平が口を挟んだ。


「お二人は、お知り合いなんですか?」


カタリナは、複雑な表情で答えた。


「私は、アルドの姉だよ。リーゼの叔母にあたる」


リーゼが目を見開いた。


「叔母……? でも、父は——」


「家を出てから、一度も会っていない。お前が生まれたことも、風の噂で聞いただけだ。そして、アルドが死んだことも——」


カタリナの声が、わずかに揺れた。


「ずっと後になって、知った」


重い沈黙が場を支配した。エルヴィンが咳払いをした。


「失礼ながら、家族の再会は後ほどゆっくりと。今日は、公的な用件がありますので」


「そうだな」


カタリナは表情を引き締めた。


「王国からの協力要請については、既に聞いている。鉄喰らいに対抗できる新しい合金の開発——大胆な計画だ」


彼女は鉄平を見据えた。


「お前が、異界から来た製鉄技術者か」


「はい。黒崎鉄平といいます」


「クロサキ・テッペイ。変わった名前だな」


カタリナは、品定めをするような目で鉄平を観察した。


「正直に言えば、私はあまり期待していない。鉄喰らいの腐食に耐える金属など、何百年も誰も作れなかったものだ。異界人だからといって、そう簡単に——」


「わかっています」


鉄平は静かに答えた。


「でも、試してみる価値はあると思います」


「その自信は、どこから来る?」


「自信ではありません。仮説です。俺の世界の知識と、この世界の材料を組み合わせれば、何かが生まれるかもしれない。失敗するかもしれない。でも、試さなければ、何もわからない」


カタリナは、しばらく鉄平を見つめていた。やがて、その口元にかすかな笑みが浮かんだ。


「いい目をしているな。職人の目だ」


「ありがとうございます」


「よし。ギルドの設備と材料は、自由に使って構わない。ただし、条件がある」


「何でしょうか」


「私の弟子たちにも、技術を教えてやってくれ。お前の知識は、一人で抱え込むには惜しすぎる」


鉄平は頷いた。


「もちろんです。それが、俺の望みでもあります」


カタリナは満足げに頷いた。


「では、ついて来い。ギルドの工房を案内しよう」


彼女は歩き出した。その背中を追いながら、リーゼが小さく呟いた。


「叔母がいたなんて、知らなかった……」


「後で、ちゃんと話す時間を作ってもらいましょう」


「……うん」


リーゼの声には、戸惑いと、かすかな期待が入り混じっていた。


ギルドの工房は、鉄平が今まで見たどの鍛冶場よりも大規模だった。


十基以上の炉が並び、それぞれに専属の職人たちが配置されている。金床の数は三十を超え、槌を振る音が絶え間なく響いていた。壁際には材料が積み上げられ、棚には様々な道具が整然と並んでいる。


「ここが、王国最大の鍛冶施設だ」


カタリナが誇らしげに言った。


「年間に生産される剣は二千本以上。鎧は五百領。農具や日用品を含めれば、その数倍になる」


鉄平は工房の隅々を観察した。送風装置は、フォルジュ村で作ったものと似た二連式のふいごが使われている。炉の構造も基本的には同じだが、規模が大きく、より多くの鉄を一度に処理できるようになっていた。


しかし、製錬の方法については——


「原料は、どこから調達しているんですか」


「東の山脈に、いくつか鉱山がある。そこから鉄鉱石を運んでいる」


「製錬は、どこで?」


「鉱山の近くに製錬所がある。そこで粗鉄を作り、ここに運んで精錬する」


鉄平は頷いた。分業体制が確立されているのだ。製錬と鍛造を分けることで、それぞれの専門化が進んでいる。


「製錬所の技術について、詳しく知りたいのですが」


カタリナは首を傾げた。


「なぜだ? お前の専門は、製錬なのか?」


「はい。俺の世界では、製錬——鉄を作る工程が、最も重要視されていました。鍛造の技術がいくら優れていても、元の鉄の品質が悪ければ、良い製品は作れませんから」


「ほう」


カタリナは興味深そうに鉄平を見た。


「確かに、その通りだな。我々鍛冶師は、与えられた素材を最大限に活かすことに腐心している。しかし、素材そのものを改善しようという発想は、あまりなかった」


「製錬所を、見学させてもらうことはできますか」


「それは、王国軍の管轄になる。エルヴィン殿に頼めば、手配できるだろう」


エルヴィンが頷いた。


「承知しました。必要な許可は、私が取りましょう」


「ありがとうございます」


工房の見学を続けながら、鉄平は頭の中で計画を練っていた。


まず、この世界に存在する金属元素を調査する必要がある。ステンレス鋼を作るには、クロムが不可欠だ。他にも、ニッケル、モリブデンなどの合金元素があれば、選択肢が広がる。


次に、製錬技術の改善。いくら良い合金設計をしても、それを実現できる製錬設備がなければ意味がない。高炉は無理でも、より効率的な炉の設計は可能かもしれない。


そして——


「あの石は、何ですか」


鉄平の目が、工房の隅に積まれた灰色の石に留まった。


カタリナが振り返った。


「ああ、あれか。銀輝石と呼ばれている。硬すぎて加工できないから、普段は捨てている」


「銀輝石……」


鉄平は石に近づき、手に取った。重い。そして、独特の金属光沢がある。


「これ、クロム鉱石かもしれない」


「クロム?」


「俺の世界で、ステンレス鋼を作るのに使う元素です。もし本当にそうなら——」


鉄平の心臓が、高鳴り始めた。


「鍵は、もう見つかっているのかもしれません」


カタリナとリーゼ、そしてエルヴィンが、鉄平の手にした石を見つめた。


誰もが知らない可能性を秘めた、灰色の石。


それが、この世界の運命を変える第一歩になるとは、この時まだ誰も知らなかった。

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