第五章 王都からの使者

新しいふいごの成功から一週間が過ぎた。


鉄平は毎日、製錬小屋に通い詰めた。ゴードンの指導を受けながら、この世界の製鉄技術を学び、同時に自分の知識を伝えていく。


脱炭の工程には、特に力を入れた。


銑鉄(炭素含有量が高い鉄)を鋼(炭素含有量を調整した鉄)に変える工程。地球の歴史では、古くから様々な方法が試みられてきた。


この世界の技術レベルでは、最も現実的なのは「浸炭・脱炭法」だろう。鉄を加熱しながら空気を送り込み、表面の炭素を燃焼させて取り除く。単純な原理だが、温度と時間の管理が難しい。


「こうして、鉄の色が変わるのを見ながら、空気の量を調整するんです」


鉄平は、リーゼに実演しながら説明した。マーレンが翻訳してくれているが、最近は簡単な言葉なら直接通じることも増えてきた。


「赤みが強い時は、まだ炭素が多い。これが銀色に近づいてきたら、脱炭が進んでいる証拠です」


「色で判断するのね。それって、私がいつも火の加減を見ているのと同じ?」


「同じです。リーゼさんは、経験で火の具合を見極めている。それを、もう少し体系的に理解すれば、もっと正確にコントロールできるようになる」


リーゼは真剣な表情で、炉の中の鉄を見つめていた。


「なんか、目から鱗が落ちる気分。今まで勘でやってたことに、ちゃんと理由があったんだ」


「そうです。職人の勘は、理論を知らなくても正しいことが多い。でも、理論を知ると、勘をさらに磨くことができる」


ゴードンが横から口を挟んだ。


「つまり、若い者は両方を学べば、わしより上手くなれるということだな」


「ゴードンさんの経験には敵いませんよ」


「世辞は要らん。事実を言え」


「……将来的には、そうなるかもしれません」


ゴードンは鼻を鳴らした。しかしその目には、不快さではなく、どこか誇らしげな光があった。


「いいことだ。技術は受け継がれ、超えられるためにある。わしが弟子に超えられるなら、それはわしの誇りだ」


その言葉に、鉄平は胸を打たれた。


この世界でも、地球でも、職人の心は同じなのかもしれない。


その日の夕方、村に異変があった。


鉄平が製錬小屋から出ると、村の入口に見慣れない馬車が停まっていた。四頭立ての立派な馬車。御者台には紋章の入った旗が掲げられている。


「あれは——」


リーゼが目を見開いた。


「王国の紋章。王都から誰か来たの?」


村人たちが、馬車の周りに集まり始めている。鉄平とリーゼも、その人だかりに近づいていった。


馬車から降りてきたのは、二人の男だった。


一人は四十代半ばほどの、がっしりとした体格の男。鎧は身につけていないが、腰に剣を帯び、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢から、軍人であることがうかがえた。


もう一人は、対照的に細身の青年だった。二十代後半。端正な顔立ちで、上質な服を着ている。貴族か、それに近い身分の人間だろう。


村長のオルグスが、慌てた様子で二人の前に進み出た。


「これは、これは。王都からわざわざ、何の御用でしょうか」


細身の青年が、穏やかに微笑んだ。


「突然の訪問をお許しください。私はエルヴィン・カルスタット。王国軍事担当大臣の補佐官を務めております」


その言葉に、村人たちがどよめいた。王国の大臣。それほどの高官が、なぜこんな辺境の村に。


「実は、ある噂を耳にしまして」


エルヴィンは村人たちを見回した。その視線が、一瞬、鉄平の上で止まった。


「異界から来た者が、この村の製鉄を劇的に改善したとか。その話が本当なら、ぜひお会いしたいと思いまして」


オルグスが、困惑した表情で鉄平を見た。鉄平は一歩前に出た。


「俺が、その異界の者です」


エルヴィンの目が輝いた。


「お会いできて光栄です。クロサキ殿、とお呼びすればよろしいでしょうか」


「鉄平でいいです」


「では、テッペイ殿。詳しいお話を伺えますか? もちろん、ここではなく、落ち着ける場所で」


オルグスが口を開いた。


「私の家にお越しください。粗末な場所ですが——」


「お気遣いなく。田舎の趣には、私も慣れております」


村長の家で、茶が振る舞われた。


鉄平、エルヴィン、オルグス、そしてマーレンが卓を囲んでいる。護衛の軍人は、家の外で待機していた。


「まず、率直に申し上げましょう」


エルヴィンは、茶碗を置いて言った。


「王国は今、深刻な武器不足に悩んでいます」


その言葉に、鉄平は耳を傾けた。


「鉄喰らいの脅威は、この辺境の村だけの問題ではありません。北方から押し寄せる魔獣の群れは、年々その数を増しています。王国軍は懸命に防衛線を維持していますが、武器の腐食という問題に苦しめられている」


エルヴィンは深いため息をついた。


「鉄の武器は、鉄喰らいに触れると瞬く間に朽ちてしまう。一度の戦闘で数百本の剣が使い物にならなくなる。補充が追いつかない。このままでは——」


「防衛線が崩壊する」


鉄平が言葉を継いだ。


「その通りです。そんな中で、この村から興味深い報告が届いた。異界から来た者が、新しい製鉄技術を持ち込み、これまでより高品質な鉄を作り出したと」


エルヴィンは鉄平を真っ直ぐに見つめた。


「テッペイ殿。あなたは、鉄喰らいの腐食に耐えられる鉄を作れますか?」


その質問に、鉄平は正直に答えた。


「わかりません」


エルヴィンの表情が曇った。


「ただ——」


鉄平は続けた。


「可能性はあると思っています。俺の世界には、錆びにくい合金——ステンレス鋼というものがあります。鉄に特定の元素を加えることで、腐食への耐性を持たせたものです」


「ステンレス、鋼……」


「この世界で同じものが作れるかは、まだわかりません。必要な材料が存在するかどうか、調べる必要がある。でも、もし見つかれば——」


「鉄喰らいに対抗できる武器が作れる」


エルヴィンの目に、希望の光が宿った。


「その研究に、王国として全面的に協力しましょう。資金、人材、材料、何でも用意します。必要なものを言ってください」


鉄平は考え込んだ。


王国の支援。それは確かに魅力的だ。この村の製錬小屋では、できることに限界がある。より本格的な研究を行うには、もっと大きな設備と、多様な材料が必要だ。


しかし——


「一つ、確認させてください」


「何でしょう」


「この技術が完成したとして、それは誰のものになりますか」


エルヴィンは一瞬、虚を突かれたような表情を見せた。


「どういう意味でしょう」


「俺が開発した技術を、王国が独占するのか。それとも、この村を含む全ての人々が、等しく使えるようになるのか」


沈黙が流れた。オルグスとマーレンが、緊張した面持ちで二人を見守っている。


やがて、エルヴィンは苦笑を浮かべた。


「率直な方だ。私は好きですよ、そういう人間は」


彼は居住まいを正した。


「正直に申し上げましょう。王国としては、戦略的に重要な技術は管理下に置きたい。しかし、あなたの協力なしには、そもそも技術は生まれない。ならば——」


エルヴィンは言葉を選びながら続けた。


「技術の所有権は、あなたに帰属するものとしましょう。王国は対価を支払って、その技術を使用する権利を得る。そして、一定期間の後には、広く公開することを約束する。これでいかがですか」


鉄平はしばらく考えた。


悪い条件ではない。少なくとも、技術が一部の権力者に独占されることは防げる。そして、王国の協力があれば、研究は大幅に加速するだろう。


「わかりました。協力します」


「ありがとうございます!」


エルヴィンは安堵の表情を浮かべた。


「では、できるだけ早く王都へお越しいただきたい。そこに、王国最大の鍛冶師ギルドがあります。設備も材料も、村とは比較にならない規模で揃っています」


王都。この世界の中心。


鉄平は、新たな旅立ちを予感していた。


「一つだけ、お願いがあります」


「何でしょう」


「この村の人たちにも、技術を伝えたい。俺が王都に行っている間も、ここでの改良が続けられるように」


エルヴィンは頷いた。


「もちろんです。それに、王都での成果も、いずれはこの村に還元されるでしょう」


「ありがとうございます」


会談が終わり、エルヴィンたちが宿の手配のために席を立った後、鉄平は一人で空を見上げた。


王都。より広い世界。新たな挑戦。


そして、鉄喰らいとの戦い。


この世界に落ちてきてから、まだ二週間も経っていない。しかし、物事は急速に動き始めていた。


リーゼが、背後から声をかけてきた。


「あんた、王都に行くの?」


「そうなりそうだ」


「……そう」


リーゼの声には、複雑な響きがあった。


「寂しいですか?」


「は? 何言ってるの。誰が寂しがるのよ」


「すみ——」


「謝らないで」


リーゼは鉄平の隣に立った。


「私も、行くわ」


「え?」


「王都に。あんたについて行く」


鉄平は目を瞬いた。


「でも、この村の鍛冶場は——」


「じいさんがいるでしょ。それに、若い衆も少しは育ってきたし。しばらくは何とかなるわ」


リーゼは鉄平を真っ直ぐに見つめた。


「あんたの技術を、もっと学びたいの。ここで待ってるだけなんて、私には無理。自分の目で見て、自分の手で試して、もっと上手くなりたい」


その目には、強い決意が宿っていた。


「……わかりました。一緒に行きましょう」


「そうこなくちゃ」


リーゼは満足げに頷いた。


「じいさんには、自分で話をつけるわ。多分、怒られるけど」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫。じいさんだって、本当はわかってるはずよ。私が、もっと広い世界を見たがっていることくらい」


リーゼは夕焼けに染まる空を見上げた。


「父さんが死んでから、ずっとこの村に縛られてた。村のためだって、自分に言い聞かせて。でも、本当は——」


彼女は言葉を切った。


「なんでもない。とにかく、私も行くから。覚悟しておいてね」


「何をですか?」


「うるさくついて回るわよ。質問攻めにするし、何か失敗したらちゃんと怒るから」


「……楽しみにしています」


「ふん。変な人」


そう言いながらも、リーゼの表情は晴れやかだった。


翌日、鉄平とリーゼは、エルヴィンの馬車に乗り込み、王都への旅路についた。

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