第四章 革袋の息
ふいごの改良には、まず現状の構造を理解することから始めた。
ゴードンの製錬小屋で使われているふいごは、いわゆる「箱ふいご」に近い形状だった。木の箱の中に革の袋を仕込み、取っ手を上下させることで空気を送る。構造は単純だが、送風量と効率には限界がある。
鉄平は小屋の隅に座り込み、スケッチを始めた。と言っても、紙もペンもない。地面の砂に木の枝で図を描くしかなかった。
「何をしているの?」
リーゼが興味深そうに覗き込んできた。
——新しいふいごの設計図を描いています。
「設計図……図面のこと?」
——はい。頭の中にあるアイデアを、形にして確認するためです。
リーゼは地面に描かれた図を見つめた。そこには、二つの袋が交互に動く「二連式ふいご」の概略が描かれていた。
「これ、袋が二つあるの?」
——そうです。片方の袋が縮む時、もう片方が膨らむ。そうすれば、常に空気を送り続けられる。今のふいごは、袋を引き上げる時に送風が止まるでしょう? それがなくなります。
リーゼは首を傾げた。
「でも、それって動かすのが大変じゃない? 今でも、ふいご係の男の子はへとへとになってるのに」
——それも改良します。
鉄平は、別の図を描いた。足で踏んで動かす「踏鞴(たたら)」式の機構だった。
——手じゃなく、足で踏む。体重を使えば、腕の力より楽に大きな力が出せます。それに、手が空くから、他の作業もできる。
リーゼの目が輝いた。
「それ、すごくいいかもしれない。でも——」
言いかけて、リーゼは言葉を切った。その表情に、影が差した。
「材料はどうするの? 革袋を二つ作るだけでも、結構な手間がかかるわ。木工細工も必要でしょう。村には専業の職人がいないし……」
——リーゼさんは、木工はできますか?
「少しは。でも、得意じゃないわ」
——なら、一緒にやりましょう。俺が設計して、リーゼさんが形にする。足りない部分は、村の人に手伝ってもらえばいい。
「そんな簡単に……」
——やってみないとわからない。でも、やらなければ、何も変わらない。
リーゼは鉄平をじっと見つめた。その目には、警戒と期待が入り混じっていた。
「……あんた、本当に変わった人ね」
——よく言われます。
「褒めてないわよ」
そう言いながらも、リーゼの口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
「わかった。手伝ってあげる。でも、失敗したら、全部あんたのせいにするからね」
——それで構いません。
その日から、鉄平とリーゼの共同作業が始まった。
材料集めには三日かかった。
革袋の材料となる山羊の皮は、村の牧畜農家から譲ってもらった。代わりに、鉄平は彼らの古くなった農具の修理を手伝うことになった。鍛冶の技術は持っていなかったが、工具の構造と力学についての知識は役立った。
「ここの接合部に、補強を入れるといいですよ」
——この角度で柄を取り付けると、てこの原理で力が効率よく伝わります。
リーゼが通訳してくれる言葉に、農家の人々は半信半疑の表情を浮かべていたが、実際に試してみると、確かに使いやすくなったと喜んでくれた。
木材は、村の外れに住む老人が提供してくれた。彼は若い頃は大工をしていたが、今は引退して、趣味で木彫りをしているという。鉄平のふいごの設計図を見せると、老人は目を輝かせた。
「こんな仕組みは見たことがない。面白い」
彼の名はハンスといった。七十を超える高齢だが、鉋を握る手つきは確かだった。
「若い頃、旅先で見た変わった道具を思い出す。あれも、こんな風に二つの部品が連動して動いていた」
——見たことがあるんですか?
「ああ、遠い昔のことだがな。東の山脈を越えた先、王都に近い地域では、もっと複雑な機械が使われていると聞いたことがある。だが、この辺りの田舎では縁のない話だ」
王都。その言葉が、鉄平の耳に引っかかった。この世界には、国家や都市が存在するのだ。いずれ、もっと広い世界を見る必要があるかもしれない。
ハンスは嬉々として木工作業に取り組んでくれた。鉄平が描いた設計図を元に、ふいごの本体と踏み板を作り上げていく。
「この精密さ、本当に異界の人か? 見たことのない構造だが、理に適っている」
——俺の世界では、こういう物を作るのが仕事でした。
「ほう。良い仕事をしていたんだな」
ハンスの言葉に、鉄平は少し胸が痛んだ。製鉄所での日々。仲間たち。田所。榊原主幹。皆、元気にしているだろうか。
いや、考えても仕方がない。今は目の前のことに集中しろ。
五日目の夜、新しいふいごが完成した。
二つの革袋を木の框(かまち)で連結し、長い踏み板で交互に圧縮する構造。見た目は粗削りだが、機能的には十分だった。
試運転は、翌日の朝に行うことになった。
「緊張するわね」
リーゼが、完成したふいごを眺めながら言った。
——不安ですか?
「ちょっとね。これがうまくいかなかったら、私たち、みんなの前で恥をかくことになるわ」
——失敗しても、何も失わないですよ。今より悪くなることはない。
リーゼは苦笑した。
「あんた、本当に楽天家ね」
——そうでもないですよ。ただ、心配しても結果は変わらないから。
「そういうところ、ちょっと憎らしいわ」
——すみません。
「謝らなくていいわよ」
リーゼは立ち上がり、夜空を見上げた。
「ねえ、あんたの世界には、こういう星空はあるの?」
——ありますよ。でも、星の並び方は違う。見慣れない空だな、といつも思います。
「そう……」
リーゼは何かを言いかけて、やめた。
「明日、頑張りましょう。おやすみなさい」
——おやすみなさい。
リーゼが去った後、鉄平は一人で星空を眺め続けた。
見知らぬ星座。見知らぬ世界。しかし、鉄を作るという営みだけは、変わらずここにある。
それが、今の自分を支えている。
翌朝、製錬小屋の前に、村人たちが集まっていた。
噂を聞きつけて、二十人以上が見物に来ている。オルグスの姿もあった。マーレンは、いつものように鉄平の傍らに立っている。
「随分な人だかりね」
リーゼが苦笑いを浮かべた。
——プレッシャーですね。
「今さら何を言ってるの。やるわよ」
リーゼは腕まくりをして、小屋の中に入っていった。鉄平もそれに続く。
ゴードンは既に炉の前にいた。いつものように無表情だが、その目には好奇心が光っている。
「準備はいいか」
——はい。
新しいふいごは、炉の横に設置されていた。送風口は、炉の底部近くに開けた穴に接続されている。
鉄平は踏み板の上に立った。左右に分かれた板を、交互に踏み込む。革袋が収縮し、空気が送風口から炉の中に送り込まれる。
シュウ、シュウ、シュウ——
リズミカルな音と共に、風が炉の中に吹き込んでいく。
「……おお」
ゴードンが声を漏らした。炉の中の炎が、目に見えて勢いを増している。赤から橙へ、橙から黄へ、そして白みがかった明るい色へと変化していく。
「温度が上がってる」
リーゼが目を見開いた。
「今までこんな色、見たことない」
鉄平は踏み続けた。安定したリズムで、途切れることなく空気を送り込む。炉内の温度計などないが、炎の色と鉄鉱石の反応を見れば、確実に以前より高温になっていることがわかった。
十分後、ゴードンが炉の中から溶けた鉄を取り出した。
その瞬間、小屋の中から歓声が上がった。
「見ろ、この色!」
取り出された鉄塊は、これまでのものとは明らかに違っていた。黒みがかった灰色ではなく、銀色に近い輝きを放っている。スラグの筋も、大幅に減少していた。
「これは……」
ゴードンが、信じられないという顔で鉄塊を見つめた。
「これが、本当の鉄か」
——まだ完璧じゃありません。でも、以前よりはずっと良い。
リーゼが、その鉄塊を手に取った。
「軽い。同じ大きさなのに、前より軽く感じる」
——不純物が減ったからです。より純粋な鉄に近づいた証拠です。
小屋の外から、拍手が聞こえてきた。見物に来ていた村人たちが、喜びの声を上げている。
「すごいわ、本当にできたのね」
「異界の人は、本当に鉄の魔術師だったんだ」
鉄平は踏み板から降り、深く息をついた。汗が額から流れ落ちる。
——これがスタートです。まだまだ改善の余地はあります。
ゴードンが鉄平の前に立った。白い眉の下で、その目が輝いていた。
「認めよう。お前の知識は本物だ」
——ありがとうございます。
「だが、まだ終わりではないのだろう?」
——はい。次は、脱炭の工程を改善したい。それから、炉壁の材質も見直したい。やることはたくさんあります。
ゴードンは頷いた。
「わしに手伝えることがあれば、言え。五十年の経験が、少しは役に立つかもしれん」
その言葉は、この頑固な老職人が、鉄平を仲間として認めた証だった。
リーゼが、鉄平の隣に並んだ。
「ねえ」
——はい。
「あんたのこと、ちょっとだけ見直したわ」
——ありがとうございます。
「でも、ちょっとだけよ。調子に乗らないでね」
——はい。
リーゼの頬が、わずかに赤らんでいた。それが炉の熱のせいなのか、別の理由なのかは、鉄平にはわからなかった。
マーレンが、微笑みを浮かべながら近づいてきた。
「良いスタートね、テッペイ。これからが本番よ」
——わかっています。まだ、鉄喰らいに対抗できる鉄は作れていない。
「焦らなくていいわ。今日の成功は、村の人たちに希望を与えた。それだけでも、大きな意味がある」
希望。
その言葉を、鉄平は噛みしめた。
自分の知識が、誰かの希望になる。それは、製鉄所で働いていた頃には、あまり実感できなかったことだった。巨大な組織の中の小さな歯車。自分の仕事が、最終的に誰の役に立っているのか、見えにくかった。
でも、ここでは違う。
自分の手で鉄を変えることが、この村の人々の生活を変えることに直結している。その実感は、言葉にできないほど大きな充足感をもたらしていた。
——次は、もっと良い鉄を作ります。鉄喰らいに負けない、強い鉄を。
マーレンが頷いた。
「期待しているわ。みんな、あなたを信じ始めているから」
信じている。
その重さを、鉄平は肩に感じた。
裏切るわけにはいかない。この人たちの期待を、何としても実現しなければ。
鉄平は空を見上げた。見慣れない太陽が、異世界の空に輝いている。
まだ、始まったばかりだ。
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