第三章 炉の改良
夜明けと共に、鉄平は鍛冶場へと向かった。
村の通りには、既に起き出している人々の姿があった。水汲み、家畜の世話、早朝の農作業。見慣れぬ服装の異邦人を、彼らは好奇の目で見つめたが、声をかけてくる者はいなかった。マーレンから、村長が滞在を許可したことは伝わっているのだろう。
鍛冶場に着くと、既に煙突から薄い煙が上がっていた。扉を押し開けると、リーゼが炉の前で火の準備をしているところだった。
「早いわね」
振り返りもせずに、リーゼは言った。マーレンの心話がなくても、その声のトーンと態度から意味は推察できた。
鉄平は入口近くに立ち、リーゼの作業を観察した。
炉に木炭を積み、火打ち石で火を起こす。最初は小さな火種。それを息で煽り、徐々に大きくしていく。やがて炎が安定すると、リーゼはふいごに向かい、ゆっくりとしたリズムで送風を始めた。
炎の色が変化する。赤から橙へ、橙から黄へ。温度が上昇している証拠だ。しかし——
まだ足りない、と鉄平は思った。
鉄を効率よく加工するには、少なくとも一〇〇〇度以上の温度が必要だ。現状の炉とふいごの組み合わせでは、おそらく八〇〇度から九〇〇度程度が限界だろう。
しばらく観察を続けていると、マーレンが鍛冶場にやってきた。
「おはよう、テッペイ。よく眠れた?」
——おはようございます。はい、なんとか。
「リーゼにはもう伝えてあるわ。今日はあなたに、ここでの作業を全て見せるって」
リーゼはふいごの作業を続けながら、チラリと鉄平の方を見た。その目には、まだ警戒の色が残っている。
「見るだけよ。口出ししないでね」
マーレンが翻訳してくれた。鉄平は黙って頷いた。
午前中いっぱいをかけて、リーゼは鍛冶の全工程を見せてくれた。
鉄の塊を炉で加熱する。赤く焼けた鉄を金床の上に乗せ、槌で打つ。叩いては加熱し、加熱しては叩く。その繰り返しで、鉄は徐々に形を成していく。
リーゼの腕前は確かだった。槌の振り下ろし方、力の入れ具合、鉄を回転させるタイミング——全てが滑らかで無駄がない。父親から受け継いだ技なのだろう。
しかし、素材の問題は如何ともしがたかった。
不純物を多く含んだ鉄は、どんなに上手く鍛造しても、強度に限界がある。リーゼが作り出した鋤の刃は、表面は滑らかだが、内部には目に見えない欠陥が潜んでいるはずだ。使っているうちに、そこから亀裂が入り、やがて折れる。
「どう?」
作業が一段落したところで、リーゼが鉄平に問いかけた。挑戦的な目つきだった。
——技術は素晴らしいです。槌の使い方、温度の見極め方、全て高いレベルだと思います。
マーレンが翻訳すると、リーゼの表情がわずかに緩んだ。褒められて嬉しいのを、隠そうとしているようだった。
「でも、何か言いたいことがあるんでしょう」
——はい。問題は鉄そのものにあります。
鉄平は、リーゼが先ほど鍛造した鋤の刃を手に取った。
——この鉄には、炭素が多すぎる。それから、硫黄やリンといった不純物も含まれているはずです。これらが鉄の結晶構造を乱して、脆くする。
「結晶、構造……?」
——鉄は、目に見えないほど小さな粒が規則正しく並んでできています。その並び方を『結晶構造』と呼びます。不純物が入ると、この並びが乱れて、弱い部分ができてしまう。
リーゼは、困惑した表情で鉄平を見つめていた。当然だろう。原子や結晶構造の概念など、この世界には存在しないのだから。
「そんなこと言われても、私にはさっぱりわからないわ。それで、どうすればいいの?」
——二つの方法があります。一つは、製錬の段階で不純物を取り除くこと。もう一つは、鍛造の過程で炭素量を調整すること。
「製錬……それは、私の仕事じゃないわ。鉄を作るのは、奥の小屋でやってる別の作業よ」
——知っています。昨日、ゴードンさんに見せてもらいました。
リーゼの眉が上がった。
「じいさんの所に行ったの?」
——はい。あの製錬炉は、改善の余地がたくさんあります。特に、送風と温度管理。それを改良すれば、もっと純度の高い鉄が作れるはずです。
リーゼは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「じいさんはあの方法を、何十年もやってきたわ。簡単には変えられないと思うけど」
——説得できれば、やってみる価値はあると思います。
「あんたが?」
——はい。
リーゼは鉄平をじっと見つめた。その目に、かすかな興味が生じていた。
「……わかった。じいさんの所に案内してあげる。でも、私は口出ししないわよ。あんたが自分で説得しなさい」
ゴードンの製錬小屋は、昨日見た時と同じように、炉から薄い煙を上げていた。
リーゼが先に入り、何か声をかける。しばらくして、ゴードンが顔を出した。鉄平を見ると、白い眉の下で目を細めた。
マーレンが通訳に入り、鉄平は自分の考えを伝え始めた。
——ゴードンさん。お願いがあります。この製錬炉を、改良させてください。
ゴードンの表情が曇った。
「わしのやり方に、文句があるのか」
——いいえ。ゴードンさんのやり方は、長年の経験に基づいた確かなものだと思います。ただ、もう少し良くできる可能性がある。それを試してみたいのです。
「可能性、だと?」
——はい。まず、送風を改良したい。今のふいごでは、炉の中に十分な空気を送り込めていません。もっと効率の良いふいごを作れば、温度を上げられます。
ゴードンは黙って聞いていた。その目には、懐疑と興味が入り混じっていた。
——温度が上がれば、鉄鉱石からより多くの鉄を取り出せます。それに、不純物を燃やして取り除くこともできる。結果として、今よりも純度の高い鉄が得られるはずです。
「ほう」
ゴードンは顎髭を撫でた。
「口では何とでも言える。実際にできるのか?」
——やらせてください。失敗したら、元に戻します。
「失敗、か」
ゴードンは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「お前、本当に異界で鉄を作っていたのか」
——はい。十年以上。
「十年……ふん。わしはこの仕事を五十年以上やっておる。それでも、まだわからないことばかりだ。お前が十年で何を知っているというのか」
鉄平は正直に答えた。
——俺一人の十年ではありません。俺の世界では、何百年もかけて多くの人が製鉄の技術を磨き上げてきました。俺はその積み重ねを学んだだけです。
「積み重ね、か」
ゴードンの目に、何か思うところがあったようだった。
「……この世界にも、かつては高度な製鉄の技術があったと聞いている。『古代の文明』と呼ばれる時代に、今とは比べ物にならない鉄が作られていたと。だが、それは千年以上前に失われた」
鉄平は息を呑んだ。この世界にも、かつて高度な文明があったのか。
「わしの曾祖父が残した記録には、『鉄の山を作る大いなる炉』という言葉がある。何のことか、ずっとわからなかった。だが——」
ゴードンは鉄平を真っ直ぐに見つめた。
「お前なら、わかるかもしれん」
——鉄の山を作る大いなる炉……。
その言葉は、鉄平の脳裏にある映像を呼び起こした。高炉。巨大な炉に鉄鉱石とコークスを投入し、下から溶けた銑鉄を取り出す。日本の製鉄所で、毎日のように見てきた光景。
——もしかしたら、高炉のことかもしれません。俺の世界では、そういう名前の巨大な炉で鉄を作っていました。
「高炉……」
ゴードンはその言葉を、噛みしめるように繰り返した。
「いい響きだ。高く聳える炉、か」
——作れるかもしれません。時間はかかるでしょうが。
沈黙が流れた。リーゼは黙って二人のやり取りを見守っていた。マーレンは、翻訳を続けながらも、どこか緊張した面持ちだった。
やがて、ゴードンがゆっくりと口を開いた。
「いいだろう。やってみろ」
——本当ですか。
「ただし、条件がある。わしの炉を使うのは、わしの許可がある時だけだ。勝手に触るな」
——わかりました。
「それから——」
ゴードンは背後に掛けられていた、古びた革袋を手に取った。
「これを受け取れ」
中身は、道具だった。小さな槌。ヤスリ。火箸。いずれも使い込まれた、しかし手入れの行き届いた道具たち。
「わしの師匠が使っていたものだ。今は使わなくなったが、捨てる気にもなれなかった。お前に貸してやる」
——ありがとうございます。大切に使います。
ゴードンは鼻を鳴らした。
「感謝の言葉は、結果を出してからでいい。さあ、仕事に戻れ。わしもまだやることがある」
そう言って、ゴードンは炉の方へと歩いていった。その背中を見送りながら、鉄平は胸の内で決意を新たにした。
この老人の信頼を、裏切るわけにはいかない。
リーゼが、複雑な表情で鉄平を見ていた。
「あんた、じいさんに認められたわね。あの人が道具を貸すなんて、初めて見たわ」
——光栄です。
「ふん。まだ何も始まってないでしょ」
そう言いながらも、リーゼの声には、朝よりも柔らかい響きがあった。
「それで、最初に何をするの?」
——ふいごの改良です。材料を集めて、新しいふいごを作りたい。手伝ってもらえますか?
「……いいわ。暇だし」
全然暇そうには見えなかったが、鉄平は黙って頷いた。
こうして、異世界での製鉄改革が、静かに幕を開けた。
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