第二章 鍛冶師の誇り

鉄喰らいについての話を聞くため、鉄平はマーレンに連れられて村長の家を訪れた。


石造りの建物は、村の中では最も大きく、しかし質素な佇まいだった。入口の上に掲げられた紋章——交差する槌と麦穂——が、この村の成り立ちを物語っている。鍛冶と農業。二つの生業で支えられてきた共同体。


「村長はオルグスという名前。頑固だけれど、悪い人ではないわ」


マーレンが扉を叩きながら、鉄平に心話で伝えた。しばらくして扉が開き、厳しい顔つきの老人が現れた。広場で鉄平を見つめていた、あの村長だ。


オルグスは鉄平を無言で眺め、それからマーレンに何か言った。マーレンが答え、二人の間で短い会話が交わされる。やがてオルグスは渋々といった表情で体を横にずらし、二人を家の中へ招き入れた。


居間には、粗末だが丁寧に作られた家具が並んでいた。木の椅子。石のテーブル。壁には古い剣が飾られている——ただし、その剣は刃こぼれと錆で、もはや武器としての用をなさないことは明らかだった。


オルグスが椅子に腰を下ろし、マーレンと鉄平にも座るよう促した。テーブルの上に、粗い土器に入った水が置かれる。鉄平は軽く頭を下げてからそれを受け取り、一口飲んだ。冷たく、ほのかに鉱物の味がした。


「さて、この異界の人は何を知りたいのだ」


オルグスの言葉を、マーレンが心話で翻訳してくれる。


——鉄喰らいについて、詳しく教えていただきたいのです。いつ頃から現れ始めたのか。どれくらいの頻度で襲ってくるのか。彼らの能力の詳細は。


オルグスは深いため息をついた。窓の外を見つめるその目に、長年の苦悩が滲んでいた。


「鉄喰らいが現れ始めたのは、わしの祖父の代だ。最初は北の山脈の向こうから、小さな群れがぽつりぽつりと。だが年を追うごとに数が増え、今では——」


オルグスは言葉を切り、壁に飾られた古い剣を見上げた。


「あの剣は、わしの祖父が若い頃に使っていたものだ。当時の鉄喰らいは、まだ弱かった。鉄の武器でも、いくらかは傷を負わせることができた。だが今の奴らは違う。鉄に触れただけで、あっという間に錆びさせ、朽ちさせる。剣も、槍も、鎧も、何の役にも立たん」


——触れただけで、ですか。


「そうだ。奴らの体から発せられる何かが、金属を腐らせるのだ。魔法なのか呪いなのか、我々にはわからん。わかっているのは、鉄の武器を持って立ち向かえば、武器は壊れ、無防備になったところを喰われるということだけだ」


鉄平は腕を組んで考え込んだ。


腐食。金属が腐食するメカニズムは、地球の科学では比較的よく理解されている。鉄の場合、酸素と水の存在下で酸化鉄(錆)が生成される。この反応を加速させる要因としては、塩分、酸性物質、電気化学的反応などがある。


しかし、鉄喰らいの能力はそれらとは次元が違うようだった。触れただけで数分——いや、数秒で金属を崩壊させる。そんな腐食は、通常の化学反応では説明できない。


——魔法、か。


この世界には魔法が存在する。マーレンの心話がその証拠だ。であれば、鉄喰らいの腐食能力もまた、何らかの魔法的な作用なのかもしれない。


——オルグスさん。鉄以外の金属は、どうなんですか。銅とか、銀とか。


オルグスは首を横に振った。


「銅も、錫も、同じだ。鉄喰らいの前では、全ての金属が等しく朽ちる。唯一、少しだけ耐えられるのは——」


オルグスは席を立ち、部屋の隅にある古い箪笥を開けた。中から取り出したのは、小さな金属片だった。銀色に輝く、見慣れない質感の金属。


「これは、わしの曾祖父の代に、ある商人から手に入れたものだと聞いている。『古代の金属』と呼ばれていた。鉄喰らいに触れても、他の金属ほどは早く朽ちない。だが、これが何なのか、どうやって作るのか、誰も知らん」


鉄平は金属片を手に取った。


軽い。鉄より明らかに軽い。そして、表面の光沢から判断すると——


——これ、ステンレス鋼かもしれない。


「ステンレス?」


——鉄にクロムという元素を加えた合金です。表面に酸化被膜を形成して、錆びにくくなる。俺の世界では、台所用品や建材に広く使われています。


オルグスとマーレンが顔を見合わせた。鉄平の説明は、彼らにとって異国の言語のように響いたことだろう。


「その……ステンレス鋼というものは、作れるのか?」


——理論的には。ただ、クロムに相当する鉱物がこの世界に存在するかどうか。それから、十分な高温を出せる炉が必要です。簡単ではないですが——


鉄平は金属片をオルグスに返しながら、続けた。


——不可能じゃない。もし作れたら、鉄喰らいに対抗できる武器を作れるかもしれない。


沈黙が部屋に満ちた。オルグスの目に、かすかな光が宿ったように見えた。しかしその光は、すぐに曇った。


「仮にそうだとしても、我々にはそんな技術も、設備も、材料もない。この村の鍛冶場は、農具を打つのがやっとだ。武器など——」


扉が乱暴に開け放たれた。


振り返ると、赤毛の若い女が立っていた。十八歳くらいだろうか。鍛冶師らしい厚手の前掛けをつけ、腕には火傷の跡がいくつも見える。その目は怒りに燃えていた。


「村長、本当なんですか。異界の人が、鍛冶の技術を持っているって」


オルグスが何か答える前に、女は鉄平に詰め寄ってきた。


「あんたが、その異界人?」


マーレンが間に入ろうとしたが、女は構わずに続けた。


「さっき、鍛冶場で聞いたわ。うちの製鉄法に問題があるって言ったんだって? 鉄の質が悪いって?」


——そう言いました。事実ですから。


鉄平の心話に、女の表情が歪んだ。言葉は通じていないはずだが、態度から意図は伝わったらしい。


「ふざけないでよ。親父が死んでから、私が一人でこの村の鍛冶を守ってきたの。毎日、夜明けから日暮れまで火の前に立って、少しでも良い鉄を作ろうと——」


「リーゼ」


オルグスが静かに、しかし厳しい声で言った。


「お前の苦労は皆わかっている。だがこの者は、お前を侮辱しようとしたわけではない。落ち着け」


リーゼと呼ばれた女は、荒い息をつきながらも口をつぐんだ。しかし、鉄平を睨みつける目は依然として敵意に満ちていた。


「マーレン、通訳を頼む」


オルグスが言い、マーレンが頷いた。三者の間で、ぎこちない会話が始まった。


「リーゼ。この者は、自分の世界で鉄を作る仕事をしていたそうだ。鍛冶ではない。鉄そのものを作る、製鉄という技術だ」


「製鉄……?」


「詳しいことはわしにもわからん。だが、この者は我々の製錬法の問題点を指摘し、改善できる可能性があると言っている。そして——」


オルグスは一呼吸置いてから、続けた。


「鉄喰らいに対抗できる、新しい合金を作れるかもしれないとも」


リーゼの表情が、怒りから困惑へと変わった。信じられない、という顔だった。


「そんな……できるわけない。何百年もの間、誰も成し遂げられなかったことを、突然現れたよそ者が——」


——信じてもらえないのは仕方ないと思います。


鉄平は、マーレンを通じて言葉を伝えた。


——俺も、いきなりこんな話をされたら疑う。だから、証明します。まずは、今の製錬法を改善して、今よりも質の良い鉄を作ってみせる。それを見てから、判断してください。


リーゼは鉄平をじっと見つめた。その目に、かすかな迷いが生じていた。


「……本当に、できるの?」


——やってみないとわからない。でも、やる価値はあると思う。この村の人たちを、鉄喰らいから守るために。


長い沈黙の後、リーゼは深く息を吐いた。


「わかった。見せてもらうわ。でも、もし口だけだったら——」


——その時は、好きにしてください。


リーゼの唇が、微かに動いた。笑おうとして、思いとどまったように見えた。


「変なやつ。いいわ、明日の朝、鍛冶場に来なさい。私のやり方を見せてあげる。その上で、あんたの言う『改善』とやらを聞いてあげる」


そう言い残して、リーゼは踵を返して出ていった。


部屋に残された三人は、しばらく無言だった。やがてオルグスが、疲れたように椅子にもたれかかった。


「リーゼの父親は、五年前に鉄喰らいとの戦いで死んだ。村を守ろうとして、自ら剣を取って——」


オルグスは目を閉じた。


「あの子は、父親の跡を継いで鍛冶師になった。この村の鉄を、少しでも良くしようと、毎日懸命に働いている。お前の言葉が、あの子の誇りを傷つけたことは、わかっているな」


——はい。配慮が足りませんでした。


「だが」


オルグスは目を開け、鉄平を真っ直ぐに見つめた。


「お前の言うことが本当なら、それはあの子にとっても、この村にとっても、希望になる。我々は長い間、鉄喰らいの脅威に怯えながら生きてきた。いつか奴らが大挙して押し寄せてきたら、この村は終わりだ。だから——」


オルグスは立ち上がり、鉄平の前まで歩いてきた。そして、その肩に手を置いた。


「証明してくれ。お前の技術で、この村を救えることを」


鉄平は頷いた。


——やってみます。約束はできませんが、全力は尽くします。


オルグスの目に、初めて穏やかな光が灯った。


「それでいい。結果は天に委ねるしかない。だが、努力を惜しまぬ者を、天は見捨てないものだ」


その夜、鉄平はマーレンの家の一室を借りて休むことになった。


部屋は狭かったが、清潔だった。木の枠組みに藁を詰めた簡素な寝台。小さな窓から差し込む月明かり。壁には、乾燥させた薬草の束がいくつも吊るされている。


「何か必要なものがあれば、遠慮なく言ってね」


マーレンがそう言い残して部屋を出ていった後、鉄平は寝台に腰を下ろし、深い息をついた。


異世界。


まだ実感が湧かなかった。今朝まで、いや、数時間前まで自分は日本の製鉄所にいたのだ。高炉のトラブルに対応し、部下を避難させようとして——


田所は無事だったろうか。


あの最後の瞬間、彼の腕を掴んで走り出した。光に呑み込まれる直前まで、確かに彼の存在を感じていた。だが、その後のことは何もわからない。


自分だけがここに転移したのか。田所も、あるいは他の誰かも、この世界のどこかに落ちてきているのか。


考えても答えは出ない。今できることに集中しろ、と鉄平は自分に言い聞かせた。


明日からの計画を、頭の中で整理する。


まず、現状の製錬法を詳細に観察する必要がある。炉の構造、使用している原料、工程の手順。全てを把握した上で、改善点を洗い出す。


送風の改善は、比較的簡単に着手できるだろう。現状のふいご(鞴)は、おそらく送風量も圧力も不足している。より効率的な送風装置を設計できれば、炉内温度を上げられる。


次に、炉の内壁の材質。現状では、おそらく粘土を主体とした耐火材を使っているはずだ。高温に耐えられる材料を見つけられれば、さらに温度を上げられる。


そして、脱炭。銑鉄から炭素を取り除き、鍛錬に適した鋼にする工程。地球の歴史では、これが製鉄技術の最大のブレイクスルーだった。転炉法、平炉法、電気炉法——様々な方法があるが、この世界の技術レベルで実現可能なものは——


思考は、やがて眠りに溶けていった。


夢を見た。


高炉の夢だった。


燃え盛る炉の前に立ち、流れ出す溶銑を見つめている。橙色に輝く液体の鉄。千五百度を超える熱。その美しさと恐ろしさを、鉄平は愛していた。


「見ろ、あれが鉄だ」


隣に立っていた男が言った。白髪の老人。鉄平がこの会社に入ったばかりの頃、製鉄の基礎を叩き込んでくれた上司——榊原主幹の姿だった。


「鉄は、人類の歴史を変えた。青銅器から鉄器への移行で、文明は飛躍的に発展した。農業も、建築も、戦争も、全てが変わった」


榊原は、溶銑の流れを見つめながら続けた。


「だが、鉄は道具だ。使う人間次第で、良くも悪くもなる。鋤にもなれば、剣にもなる。人を生かす道具にも、殺す道具にもなる」


「どう使うべきなんですか」


若い鉄平が問うた。


「それを決めるのは、お前自身だ。技術者の仕事は、可能性を作ること。その可能性をどう使うかは、社会が決める。だが——」


榊原は鉄平の方を向いた。その目には、強い光が宿っていた。


「技術者にも、選ぶ権利はある。何を作り、何を作らないか。誰のために作り、誰のために作らないか。その選択を、決して他人に委ねるな」


夢の中で、炉の火が急に大きくなった。オレンジ色の光が白へと変わり、全てを呑み込もうとする。鉄平は目を閉じ——


目が覚めた。


窓の外は、まだ暗かった。しかし、東の空がわずかに白み始めている。夜明けは近い。


鉄平は寝台から起き上がり、窓辺に立った。


見知らぬ空。見知らぬ星。見知らぬ世界。


だが、鉄を作るという仕事は、変わらない。


「よし」


声に出して、自分を鼓舞した。


今日から、この世界で製鉄を始める。

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