製鉄メーカー異世界転生_鋼鉄の救世主 ~異世界転生した製鉄エンジニアが文明を再建する~

もしもノベリスト

第一章 炉心の終焉

高炉が死のうとしていた。


黒崎鉄平は、中央制御室のモニターに映し出された数値の羅列を睨みつけながら、背筋を這い上がる悪寒を振り払おうとした。炉頂温度三八七度。送風圧力〇・三八メガパスカル。溶銑温度一四九二度——いずれも許容範囲内だ。だが、彼の培ってきた十年の経験が、何かがおかしいと警鐘を鳴らし続けている。


「主任、羽口の六番と七番、ちょっと見てもらえますか」


振り返ると、若手オペレーターの田所が青ざめた顔でコンソールを指さしていた。その画面には、羽口周辺の熱画像がリアルタイムで表示されている。六番と七番の間に、本来あるべきでない赤い滲みが広がっていた。


「いつからだ」


「三分前からです。最初は測定誤差かと思ったんですが、どんどん広がって——」


鉄平は椅子を蹴るようにして立ち上がり、別のモニターに駆け寄った。高炉の断面図に重ねられた温度分布。内張りの耐火煉瓦が設計上耐えられる温度は一六五〇度。しかし赤い滲みの中心部は既に一七〇〇度を超え、なお上昇を続けていた。


「炉壁侵食だ」


その言葉を発した瞬間、制御室の空気が凍りついた。高炉の炉壁が溶銑に侵食される——それは製鉄所で起こりうる最悪の事態の一つだった。一五〇〇度を超える溶けた鉄が、外壁を突き破って流れ出したら何が起きるか。鉄平の脳裏に、研修で見せられた事故映像がフラッシュバックする。


「工場長に連絡。緊急停止の判断を仰げ」


「は、はい!」


田所が受話器に飛びつく横で、鉄平は素早くキーボードを叩いた。送風量を落とす。炉内圧力を下げる。高炉を眠らせる方向へ、可能な限り穏やかに持っていく。だがそれは、一度火を入れたら十五年は止めないことを前提に設計された巨大な炉を、わずか数分で制御下に置こうという、絶望的な試みだった。


「主任、工場長が直接来られるそうです。それと——」


田所の声が途切れた。その視線の先で、モニターに映し出された温度分布図が、突如として真紅に染まった。


警報。


耳を劈く高音が制御室に響き渡った。同時に、床が微かに揺れる。鉄平の全身に鳥肌が立った。この揺れは、高炉内部で何かが崩落したことを意味している。


「田所、ここを離れろ」


「え?」


「今すぐだ。非常口から外へ出て、できるだけ遠くへ——」


次の言葉は、凄まじい轟音にかき消された。


天井の照明が点滅し、コンソールの画面がノイズに覆われる。鉄平は咄嗟に田所の腕を掴み、出口へと引きずるように走り出した。背後で何かが破裂する音。コンクリートの床を突き破って噴き出す蒸気。そして——


光。


視界を焼き尽くすような白い光が、世界を呑み込んだ。


鉄平は自分の体が宙に浮いていることを感じた。熱。音。重力。あらゆる感覚が渾然となって溶け合い、意識の輪郭が曖昧になっていく。


最後に彼が考えたのは、驚くほど日常的なことだった。


——今朝、コーヒーメーカーの電源、切ってきたっけ。


そして、闇が全てを呑み込んだ。


目を開けると、空があった。


見慣れない空だった。日本の空ではない。雲の形も、光の色も、何もかもが違う。鉄平はしばらくの間、その異質な蒼穹を見つめ続けた。


意識が徐々に輪郭を取り戻していく。背中の下に感じる湿った土の感触。頬を撫でる風の冷たさ。遠くから聞こえる鳥の声——いや、あれは本当に鳥なのだろうか。聞いたことのない、不思議な旋律だった。


「……生きてる、のか」


声を出してみると、喉の奥が焼けつくように痛んだ。上体を起こそうとして、全身の筋肉が悲鳴を上げる。それでも何とか肘をついて周囲を見回すと、そこは鬱蒼とした森の中だった。


巨大な樹木が、空を覆うように枝を広げている。見上げなければ樹冠が見えないほどの高さ。幹の太さは、鉄平が両手を広げても到底抱えきれないほどだ。下生えには見たことのない形状の草花が茂り、木漏れ日を浴びて微かに発光しているようにさえ見えた。


「どこだ、ここは」


立ち上がろうとして、膝が折れた。足元を見ると、作業服は煤けてところどころ焼け焦げている。靴は片方が脱げていた。ポケットの中を探ると、スマートフォンは見つからず、社員証だけが残っていた。


『大都製鉄株式会社 黒崎鉄平 製銑部生産技術課』


プラスチックのカードは、端が溶けて歪んでいた。


「爆発、したんだ。高炉が」


記憶を辿る。炉壁侵食の兆候。緊急停止の判断。そして、あの白い光——


田所は無事だったろうか。工場長は。他の作業員たちは。


考えても答えは出ない。今の自分にできることを考えろ、と鉄平は自分に言い聞かせた。まず現状を把握する。次に、人里を探す。それから——


足音が聞こえた。


咄嗟に身を伏せようとしたが、体が言うことを聞かない。膝をついたまま音のする方向を見つめていると、木立の間から人影が現れた。


二人組だった。一人は中年の男で、粗末な麻の服を着て、背中に大きな籠を背負っている。もう一人は十代半ばほどの少女で、男と同じような服装をして、手に弓を持っていた。


彼らもまた、鉄平を見て足を止めた。


数秒間、沈黙が森に満ちた。鉄平は必死に言葉を探した。英語か。それとも——いや、そもそもここがどこなのかもわからない。


「あの——」


先に口を開いたのは、中年の男の方だった。その言葉は、鉄平の耳に入っても全く意味を成さなかった。聞いたことのない言語。しかし、その声音には明らかな驚きと警戒が含まれていた。


少女が弓に矢をつがえる。鉄平は両手を挙げた。


「待ってくれ。俺は、敵じゃない」


言葉が通じないことはわかっている。それでも、声のトーンや身振りで、敵意がないことを伝えなければならない。鉄平はゆっくりと立ち上がり、両手のひらを見せた。


男が何か言った。少女が眉をひそめて答える。二人の間で短い言葉のやり取りがあり、やがて少女が弓を下ろした。完全に警戒を解いたわけではないようだが、すぐに射殺すつもりはないらしい。


男が鉄平に向かって手招きをした。ついて来い、ということだろうか。


選択肢はなかった。鉄平は足を引きずりながら、二人の後について歩き始めた。


森を抜けるまでに、どれくらいの時間がかかっただろう。太陽の位置から推測すると、おそらく二時間ほど。鉄平の体力は限界に近づいていたが、立ち止まるわけにはいかなかった。


やがて木立が途切れ、視界が開けた。


眼下に広がっていたのは、小さな集落だった。数十軒ほどの建物が、緩やかな斜面に点在している。茅葺き——いや、あれは何の素材だろう。見たことのない青みがかった植物で屋根が葺かれている。中央には広場があり、その奥に煙突から煙を上げている建物が見えた。


煙の色と匂い。


鉄平は立ち止まった。


あれは、鍛冶場だ。


石炭を燃やしているのではない。匂いが違う。おそらく木炭。煙突の形状と高さから推測すると、送風装置も原始的なものだろう。それでも間違いない。あそこで誰かが、鉄を打っている。


男が振り返り、何か言った。少女が鉄平の腕を取り、急かすように引っ張る。村へ下りるのだ。


石畳の——いや、これも見たことのない素材だ——道を歩いて村の中へ入ると、あちこちから視線が集まってきた。老人。子供。家畜の世話をしていた女。皆が作業の手を止めて、異様な格好をした見知らぬ男を凝視している。


鉄平は彼らの服装や持ち物を観察した。金属製品が少ない。農具の多くは木や骨で作られているようだった。鉄器があるとすれば、あの鍛冶場で作られているのだろう。


広場に着くと、村人たちが集まってきた。十人、二十人、三十人——気づけば鉄平は、百人近い人々に取り囲まれていた。好奇心と警戒心が入り混じった視線の中、ひときわ大柄な老人が前に進み出た。


「……ラ・クティム・ヴァル・エスタ」


老人が厳かな声で何かを言った。質問だろうか。鉄平は首を横に振った。


「すみません。言葉がわからないんです」


老人の眉が上がった。鉄平の言葉もまた、彼らにとっては未知の言語なのだろう。


困惑が広がる中、一人の女性が人垣を割って前に出てきた。四十代くらいだろうか。白髪交じりの髪を後ろで束ね、他の村人とは違う、少し上等そうな服を着ている。首には、翡翠色の石をあしらった首飾り。


女性は鉄平の前に立ち、じっとその目を覗き込んだ。


不思議な感覚だった。視線が交わった瞬間、頭の中がほんの少しくすぐられるような。そして——


「あなた、遠くから来たのね」


鉄平は目を見開いた。女性の唇は動いていない。なのに、声が聞こえる。


「驚かないで。これは心話。あなたの頭の中に直接語りかけているの」


テレパシー、ということだろうか。鉄平は混乱しながらも、頭の中で言葉を紡いでみた。


——聞こえますか。


女性が微かに頷いた。


「ええ、聞こえるわ。言葉の壁を超えて意思を伝える術。私はこの村の癒し手、マーレン。あなたの名前は?」


——黒崎、鉄平です。


「クロサキ・テッペイ」


女性——マーレンは、その名を舌の上で転がすように繰り返した。


「不思議な響き。やはり、とても遠い場所から来たのね。あなたの服も、持ち物も、この世界の物ではない」


——この世界、ではない?


「そう。あなたは異界の人。別の世界から、何らかの理由でこの地に落ちてきた。稀なことだけれど、伝承には記録があるわ。大きな災厄があったのでしょう?」


鉄平は、マーレンの言葉の意味を咀嚼した。別の世界。異界。つまり、自分は——


——ここは、日本ではない。地球でもない。そういうことですか。


「チキュウという言葉は知らないわ。でも、あなたの考えの残響を聞く限り、そういうことなのでしょう。ごめんなさいね、帰る方法は私にもわからない」


鉄平は深く息を吸い込んだ。現実を受け入れるのに、少し時間が必要だった。


異世界転生。ライトノベルや漫画で散々読んできた設定だ。まさか自分が当事者になるとは思わなかったが、今ここで起きている現実を否定しても仕方がない。鉄平は頭を切り替えた。現状を把握する。生き延びる方法を考える。それだけだ。


——俺を、助けてくれますか。


マーレンは少し驚いたような顔をした。


「落ち着いているのね。多くの異界の人は、この現実を受け入れられずに取り乱すものだけれど」


——取り乱しても状況は変わりませんから。それより、この村のことを教えてほしい。俺に何ができるか、考えたいので。


マーレンの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「面白い人。いいわ、村長に口添えしてあげる。しばらくここに滞在して、言葉を覚えなさい。あなたが何者で、何ができるのか、それから判断しましょう」


マーレンが振り返り、村長らしき老人に何かを告げた。老人は厳しい表情を崩さなかったが、最終的には渋々といった様子で頷いた。


「しばらくの滞在は許可されたわ。ただし、村の規則は守ること。問題を起こせば、追放されることになる」


——ありがとうございます。ご迷惑はかけません。


マーレンが鉄平の手を取り、村人たちの間を通り抜けて歩き始めた。向かう先は、あの煙を上げていた建物——鍛冶場だった。


鍛冶場に足を踏み入れた瞬間、懐かしい熱気が鉄平を包み込んだ。


炉の火。鉄を打つ音。焼けた金属の匂い。製鉄所で過ごした十年間、毎日のように浴びてきた空気。それが、この異世界にも存在していた。


「ここは、村の鍛冶場。農具や生活道具を作っているわ」


マーレンが壁際で作業を見守っていた鉄平に説明してくれた。鍛冶場の中央には、思っていたよりも大きな炉があり、一人の老人がその前で何かを打っていた。白い髭をたくわえた、痩せた体つきの男。しかし、槌を振る腕には確かな力強さがあった。


「あの人が、この村の鍛冶師。名前はゴードン」


鉄平は、ゴードンの作業を注視した。


炉の中で熱せられているのは、小さな鉄の塊だった。色から判断すると、おそらく八〇〇度前後。本来なら一〇〇〇度以上に加熱したいところだが、この炉の構造では難しいだろう。送風は、炉の横に設置された革製のふいごで行われていた。若い男が必死にふいごを動かしているが、送風量は明らかに不足している。


ゴードンが鉄の塊を炉から取り出し、金床の上に置いて槌で打ち始めた。その動きは熟練していたが、鉄平の目には問題が見えた。


温度が足りない。


八〇〇度程度では、鉄は十分に軟らかくならない。無理に打てば、内部に亀裂が入る。ゴードンもそれをわかっているのか、打撃は慎重で、一撃ごとに鉄の状態を確認している。効率は決して良くない。


さらに気になったのは、鉄の質そのものだった。


あの黒っぽい色合い。表面に浮かぶスラグの筋。鉄平の経験からすると、あれは炭素含有量が高すぎる銑鉄——いや、不純物が多すぎてそれ以前の問題かもしれない。あのままでは、どんなに上手く打っても、すぐに折れるか錆びる粗悪な製品にしかならない。


——あれは、製鉄ではなく精錬の問題だ。


鉄平の頭の中で、技術者としての思考が動き始めていた。


「何か気づいたの?」


マーレンが問いかけてきた。


——あの鉄、質が悪い。不純物が多すぎます。原料を溶かす工程に問題があるんじゃないかと。


「原料を溶かす工程?」


——この村では、鉄をどうやって作っているんですか。鉱石から取り出す方法を、教えてもらえますか。


マーレンはしばらく考え込んでから、ゴードンに何か話しかけた。老いた鍛冶師は作業の手を止め、怪訝そうな顔で鉄平を見た。マーレンがさらに何か言うと、ゴードンは槌を置き、鍛冶場の奥へと歩いていった。


「ついて来てほしいそうよ」


マーレンと共に、鉄平はゴードンの後を追った。鍛冶場の裏手には、小さな小屋があった。中に入ると、そこにはもう一つの炉——おそらく製錬用の炉があった。


たたら製鉄。


鉄平の脳裏に、その言葉が浮かんだ。日本の伝統的な製鉄法。砂鉄と木炭を粘土製の炉に入れ、ふいごで送風しながら加熱し、鉄を得る。この異世界の製鉄法も、基本的な原理は似ているようだった。


ゴードンが炉の前で、製錬の工程を身振り手振りで説明し始めた。マーレンが心話でその内容を鉄平に伝えてくれる。


「この炉に、山から取ってきた鉄石と、森で焼いた木炭を入れる。三日三晩、火を絶やさずに焚き続けると、底に鉄の塊が沈む。それを取り出して、あとは打って形にする——そういう説明ね」


鉄平は炉の構造を仔細に観察した。内壁の材質。送風口の位置と大きさ。炉床の形状。見れば見るほど、改善の余地が目についた。


——マーレンさん。ゴードンさんに聞いてもらえますか。この方法で作った鉄は、すぐに錆びたり、折れたりしませんか。


マーレンが通訳すると、ゴードンの表情が曇った。老人は何か言い訳がましいことを言い始めたが、その反応自体が答えだった。


——やっぱり。この製錬法では、鉄の中に炭素や不純物が残りすぎるんです。だから脆くなる。


「あなた、この技術に詳しいの?」


——俺の世界では、鉄を作る仕事をしていました。


マーレンが目を見開いた。


「鉄を作る……それは、とても希少な技術よ。この世界では、鍛冶師は尊敬される職人だけれど、製鉄の知識を持つ者はほとんどいない。あなたは——」


その時、鍛冶場の外から悲鳴が聞こえた。


三人は顔を見合わせ、急いで外に出た。村の広場に、数人の男たちが駆け込んでくるところだった。その中の一人が、血まみれの体を引きずっている。


「襲われた!」


誰かが叫んだ。マーレンの心話が、その内容を鉄平に伝える。


「北の街道で、魔獣に襲われたらしいわ。商隊の護衛だった人たちが——」


鉄平は、運び込まれた負傷者の傍らに駆け寄った。男の腹部に、大きな裂傷がある。そして、その傷を覆うように当てられていたはずの金属製の防具が——


——腐っている。


鉄平は目を疑った。金属が錆びるのは当然のことだ。しかし、これは錆びているのではない。まるで酸に浸けられたかのように、金属が溶け、崩れ、ぼろぼろに朽ちている。わずか数時間でこんな状態になるはずがない。


「鉄喰らい」


誰かが呟いた。その言葉を、マーレンが鉄平に伝える。


「北から来る魔獣の群れ。彼らは金属を腐食させる能力を持っている。だから、鉄の武器が通用しない。この村も、いずれ——」


マーレンの声が途切れた。村人たちの顔に、深い恐怖と絶望が刻まれていた。


鉄平は、崩壊した金属片を手に取った。


——これは、普通の腐食じゃない。何らかの化学反応、いや、もっと根本的な……。


彼の頭の中で、無数の仮説が渦を巻いていた。そして、その渦の中から、一つの可能性が浮かび上がってきた。


——もし、腐食に耐えられる合金を作れたら。


鉄平は立ち上がり、マーレンを見た。


——教えてください。この「鉄喰らい」について、もっと詳しく。

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