異邦人
江賀根
異邦人
一つ前の駅で、斜め向かいに座っていた高校生が下車したことで、乗客は俺一人になった。
俺が高校生の頃は、多くの学生でいつも賑やかだったが、最近は帰省するたびに車内が寂しくなっている。
そもそも経営は大丈夫なのだろうか。
乗車する第三セクターについて調べると、毎年数億円規模の赤字、近隣自治体の助成金も限界に近い、ということが記されていた。
もしかすると、次に帰省するときは廃線になっているかもしれない。そうなると、JRを降りた後はタクシーしかなく、旅費が嵩張ることになる。
そんなことを考えているうちに、電車が俺の降車駅に到着するというアナウンスが流れた。
交通系ICカードには対応していないため、俺は運転士に直接切符を手渡して電車を降りた。
ホームに降り立つのは2年ぶりだったが、相変わらずの景色で、特に感慨はなかった。
ホーム沿いの階段を降りて、無人になって久しい駅舎へ入る。
すると、左手にある券売機の前に人影があった。
こんな田舎では珍しい外国人の若い男女だった。
見たところ西洋系で、おそらくカップルだろう。
子供のころからの記憶を遡っても、この界隈で外国人を見かけたことはほとんどなかった。
あまりジロジロ見ても失礼だと思い、視線を前に戻して通り過ぎようとしたが、こちらに気付いた二人が、俺を凝視してきた。
明らかに困っている顔をしており、何かを訴えている。
英語が話せない俺は、正直関わりたくはなかったが、ここまで凝視されると無視できない。
俺は足を止めて、二人を見た。
こちらをじっと見つめる二人。
男女とも、西洋人然とした大きな瞳に高い鼻で、とてもきれいな顔立ちをしている。
身長は決して低くはないが、それほど極端に大きくもない。
無言で見つめあう時間が続いた。
「…メ、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」
俺は、必死に学校で習った英語を思い出し、言葉を絞り出した。
しかし、二人はより一層困った表情になった。
俺の発音が悪すぎるのか。それとも英語圏じゃないのか。
だが、よく考えてみると、そもそも英語で返されても俺は理解できない。
この状況からして、切符の買い方がわからないのだろう。
俺は券売機を指さし、身振りで「これか?」と伝えた。
すると、わずかながら安心した表情になり、二人が頷いた。
こうして俺は、身振りだけで切符の買い方を教えることになった。
そもそも、彼らがどういう経緯でここにいるのかが気になったが、それを聞くことは到底できそうになかった。
まずは、彼らの行き先を確認することからだ。
券売機の横に貼ってある運賃路線図を使うことにした。
路線図上の「当駅」と書かれた部分を指さし、続けて地面を指さして「ここのことだ」と伝える。
なんとか理解できたようで頷く二人。
それから「あなたたちは、どこまで行くのか?」を確認するために、二人を指さしてから、路線図の駅を指さした。
まずは上り方向の隣の駅。——反応はない。
続いて、もう一つ隣の駅を指さしたが、やはり反応はなかった。
さらにもう一つ隣の駅を俺が指さそうとしたところで、男性が自ら一つの駅を指さした。
それは、8駅先の終点だった。
——本当に、わかっているのだろうか。
しかし、これ以上は確認しようがない。
終点付近にはJRの駅や交番もある。
とりあえず、そこまで行けばなんとかなるだろう。
俺は気持ちを切り替えて、切符の買い方を教えることにした。
路線図によると、大人片道で420円となっていた。
420円の文字と券売機の投入口を交互に指さし、「ここにお金を入れる」と伝えるが、二人はまた困った表情になった。
意味が通じていないのだろうか。
俺は、自分の財布を取り出して、お金を入れる仕草をしたが、二人の表情は変わらなかった。
まさか、お金を持っていないことはないだろう。
しかし、これまでやり取りに必死で気づかなかったが、改めて二人を見ると、身につけているものが随分くたびれていた。
女性のブラウスは、元は白だったのだろうが、すっかり黄ばんでいて、男性のジャケットもかなりヨレていた。
それを見て、俺の中にある疑念が浮かんだ。
——まさか、密入国者か?
しかし、この近くには海はない。
いや、海から直接来たとは限らない。
どこからか逃げてきた可能性もある。
見たところ、これといった荷物も持っていなかった。
このまま走って逃げてしまおうか、という考えが一瞬浮かんだ。
しかし、大きな瞳で縋るように俺を見つめる彼らが、俺には悪い人間に見えなかった。
万が一、密入国者だったとしても、何も知らない俺が罰せられることはないだろう。
俺は財布から千円札を取り出すと、420円の切符を二枚購入して二人に手渡した。
そして、困惑の表情を浮かべている二人に対して、「大丈夫」という意味を込めて、俺は笑顔で頷いた。
二人は理解したようで、ぎこちなく俺に頭を下げた。
次の電車は約20分後だった。
時刻表と壁の時計を示してそれを伝えると、俺は二人をホームへ誘い、ベンチに腰かけるよう促した。
そして、自分自身を電車に見立てて、やってくる方向や停車位置を身振りで伝えた。
そんな俺の動作が可笑しかったのか、そのとき初めて二人の表情が緩んだ。
これで、もう十分だろう。
彼らがちゃんと乗車できるのか、多少の気がかりもあったが、これ以上深入りをしたくないという気持ちが勝り、俺はその場を離れることにした。
最後に俺が手を振ると、彼らは俺に向かって何度も頭を下げた。
俺は駅舎を抜けて表の通りへ出ると、実家に向かって歩き始めた。
子供のころは、様々な店が並ぶ通りだったが、今はすっかり寂れている。
そんな駅前通りを歩きながら、俺の頭からはさっきの二人のことが離れなかった。
彼らはなぜこんなところに居たのか。
何か後ろめたい事情を抱えていたのか。
そんなことを考えながら、通りの角を右に曲がったときだった。
——パトカーだ。
数十メートル前方に、停車中のパトカーが見えた。
その横で警官と女性が話をしている。
もしや、さっきの二人に関係があるのでは、という考えが頭をよぎり、途端に鼓動が速まった。
パトカーに近づくうちに、周辺にガラスの破片が散乱しているのが見えた。
「ああ、気をつけて下さいね」
俺に気づいた警官が声を掛けてきた。
見ると、目の前の建物は何かの店舗跡のようで、ショーウィンドウのガラスが派手に割れていた。
「どうしたんですか?」
「空き巣よ」
尋ねた俺に対して、警官ではなく、隣の女性が答えた。
「ここで昔、洋品店をしてたのよ。もう何年も前にやめちゃって、そのままにしてたんだけど。そしたら無理やりシャッター開けてガラスまで割られてびっくりよ」
さっきの二人のことが頭に浮かぶ。
——まさか。
「何か盗られたんですか?」
「いや、大したものは置いてなかったんだけど。ただ、ここにあったマネキンがなくなってるのよ」
そう言って、女性はガラスの割れたショーウィンドウを指さした。
「マネキンですか?」
「そう、この中に男性と女性のマネキンがあったんだけどなくなってるの。なんでマネキンなんかを。まあ、そろそろ処分しなきゃいけなかったから、かえって助かるんだけど」
そう言って女性は一人で笑った。
「駅の方から来られたんですか?」
女性が話し終えたところで、警官が俺に尋ねてきた。
「…はい」
「ここに来るまでに、怪しい人物や車を見ませんでしたか?」
俺は一瞬考えてから答えた。
「いえ、見てませんね」
「そうですか。まあ、マネキン持って歩いていたら、さすがに目立ちますよね」
「そうですね」
そこまで話すと、俺は「このあとがあるので失礼します」と言って軽く頭を下げて、その場を後にした。
しばらく歩くと、前方に踏切が見えてきた。
俺が近づくと、見計らったように警報音が鳴り始め、遮断機が行く手を阻んだ。
右側から、徐々に走行音が近づいてくる。
俺は電車を直視することを避けて、視線を地面に落として通過を待った。
そして、俺の前を通り過ぎる瞬間、正面からの夕陽によって、電車の影が地面に映し出された。
その中に二つの人影が見えた。
俺は思わず顔を上げたが、一両編成の電車は既に過ぎ去っていた。
電車はどんどん小さくなっていき、やがて見えなくなった。
電車が視界から消えたあとも、俺はしばらくの間、線路を眺め続けていた。
異邦人 江賀根 @egane
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