『今彼と前の彼と前の前の彼』
香森康人
今彼と前の彼と前の前の彼
ある女の子、愛衣子(あいこ)、と付き合ったことのある男達3人が語り合っていた。
今の彼氏を今君としよう。前の彼氏を前君、前の前の彼氏を前々君とする。
よせばいいのに、誰が一番愛衣子に愛されていたかで言い争いをしているのだ。
今君が言った。
「それは当然俺だろう。なんといっても、いま付き合ってるんだからな」
前君が手を振る。
「いやいや、別にいま付き合ってるからって一番愛されているとは限らないよ。女でも結構あるんだぜ、暇だから男と付き合うこと。一番愛されてたのは俺だよ」
今君が前君に言う。
「なぜ一番だと?」
「だってよ、愛衣子さ、俺といるときが一番幸せだって言ってたぜ」
「それは俺も言われたよ」
今君と前々君が声を合わせて言った。立っていた前君はおとなしく座った。
前々君が鼻で笑う。
「お前らには申し訳ないがな、俺が一番に決まってる。俺は愛衣子の最初の彼氏だからな。つまり愛衣子の初めては全部俺が奪ってやったというわけさ」
今君と前君ははってして前々君を見て、それから悔しそうに歯ぎしりした。
「初めてって、具体的になんだよ」
今君が前々君に食いかかる勢いで言う。
「そりゃあ、バイクの2人乗りから、ハタチの酒とかな」
「それだけか?」
前々君はチラリと今君を見て、ニヤリと笑う。
「それ以上俺に言わせるなよ。愛衣子が可哀想だろ。男と女が揃えばやることなんて一つしかないじゃないか」
今君はキーっと言って、シャツの袖を噛んだ。
「そんなことは愛されてるとは無関係だ」
前君が冷静に言った。
「何を!」
前々君が声を荒げる。
「愛衣子からしたら、ただ新しい驚きがあっただけで、別に前々君のことを好きかどうかなんて無関係だよ」
「そんなバカなことあるか」
前々君が叫ぶ。前君は冷静な口調を崩さない。
「むしろ一人目の彼氏で失敗して、二人目はもっと優秀で愛せる男、俺だな、を選んだと考えるのが実に自然だよ。愛だって所詮必要なのは訓練さ。はじめは失敗して、次から上手になるもんだぜ」
「そんなことはない! 女は最初を大事にするんだ! 俺が・・・・・・」
前君が素早い動きで前々君の口を塞ぐ。
「それは差別だぜ。最初を大事にするのは女だけじゃない、男もだ」
「やかましいわ」
2人の声がまた揃う。
前君は気を取り直して話し続ける。
「それにだな、3年前に俺が愛衣子と付き合い始めたときだが・・・・・・」
「おいちょっと待てよ」
前々君が口を挟む。
「お前が付き合い始めたのは2年前だろ? 悪い冗談やめろよ」
前君は意味がわからないというように首を傾げる。
「3年前で間違いないが、それが何か?」
前々君は唖然として言う。
「俺が愛衣子と別れたのは2年前だぜ。どういうことだよ?」
一瞬の沈黙。それから瞬時に前君の顔が真っ赤になって立ち上がる。
「お前だったのか! 怪しいと思ってたんだ! 愛衣子に変なちょっかいだしやがって!」
前君は前々君に掴みかかった。
「待て待て、どっちかと言うと浮気されたのは俺だぜ?! どっちかと言うとキレるのは俺の方では?!」
前君は、ハッとして我に返る。
「まあたしかに一理あるな」
意外と物分かりがいい。
「ちょっといいか」
蚊帳の外だった今君が手を挙げる。
「ここまで引っ張ってきて悪いが、俺が議論を終わらせようと思う」
「なんだ?」
また2人の声が揃う。
「俺この前、愛衣子のご両親に紹介された」
前君と前々君が固まる。口があんぐりと開いている。
「マシで?」
「マジだよ、マジマジ。高いワインとかご馳走になってついでにお父さんとか言っちゃったぜ」
前君と前々君は悔しそうに頭を抱えて苦悶の表情を浮かべる。
「お前らはご両親に紹介されたのか? ん?」
今君が勝ち誇った顔で2人を見る。それから一度大きく頷く。
「ま、俺の勝ちだな。愛衣子の最後で永遠の愛を射止めたのはやっぱり俺で決まりだ」
前君は、しかし、まだ諦めんぞという顔で今君を見る。
「夜の方はどうなんだ?」
「えっ」
今君の目が急に泳ぎ始め、やたら上ずった声で返事する。
「それは順調だよ」
「だから具体的にどうなんだ? 正直に言え。俺は一度もウソをついてないぞ」
前君に睨まれた今君は観念したのか、がっくりと頭を落とした。
「実は、ないんだ」
「えっ?!」
しつこいようだが2人の声が揃う。
今君は泣きそうな声を出した。
「いっつもはぐらかされて、結局いまだにお預けにされてる」
前々君は信じられないという顔をする。
「夜の経験もなく結婚かよ・・・・・・」
前々君が大きく手を打った。
「お前、年収は?!」
「800万ほど」
「金だ!」
再び声が揃う。
前々君は頭を抱えてうめいた。
「あの純粋だった愛衣子が、まさか金で男を選ぶとは。まあでも、あいつもいい年だし焦ってたんだろうな。責められんよ」
前々君と今君が苦しんでいる中、ふふふと低く不気味な笑い声が地の底から湧いてくるように前君の口から漏れてきた。
「何がおかしい?」
今君が訊いた。前君はガタンと椅子をひっくり返して立ち上がる。
「やっぱり愛衣子に一番愛されてたのは俺だぜ! なんてったって、愛衣子のやつ、俺との夜の時なんかぎゃあぎゃあ騒いでたからな」
前々君が、前君に負けないくらいの勢いで立ち上がる。
「マジかよ?!」
「マジだよ。よく声枯らしてたぜ」
前々君はガクンと項垂れて座り込む。
「お前はとうだったんだ? 前々君よ」
「静かだった」
前々君は、今にも死にそうな声を出した。
前君は豪快に笑う。
「これで分かったろ。愛衣子に一番愛されてたのは俺なのさ! なんてったって、夜の相性に勝るものはないんだからな」
「そんなに仲良かったならなんで別れたんだよ」
今君がいう。
「それは、まあ俺の浮気だが」
「クソだな」
今君と前君が取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「ちょっと静かにしろ!」
前々君が大きな声を出した。
「どうした?」
不思議と声が揃う。
「愛衣子からラインが届いた」
今君が慌てて椅子に座り直して姿勢を正す。
「なぜ前々のお前にラインが来るんだ? 今の彼氏は俺だぞ」
「知るか」
「取り敢えず音読してみろ」
前々君は、大きな声で朗読した。
「前々君へ、私、今まで何人かの人と付き合ったけど、やっぱりあなたのことが一番好きなの」
前々君の表情がパッと明るくなる。まるで天から光がさしたようだ。一方、真っ青になる今君。
「待て、もう一通ライン来た」
前々君がまた読み上げる。
「今の彼氏がヒモ男で私のお給料全部使っちゃうのよ。だからお金貸してほしいんだ。百万円」
3人は顔を見合わせた。
「よかったな! お前が一番だよ」
「いやごめんだわ」
3人はそれから随分楽しく酒を酌み交わし、大層深い縁を結んだそうな。
終わり
『今彼と前の彼と前の前の彼』 香森康人 @komugishi
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