第7章. 運命は変えるためにある(1)

 白金の装飾が繊細に飾られた扉の向こう。

 高く壮大な紺碧の天井が広がっていた。


 その下には、帝国を象徴する赤い薔薇。

 そして白金の巨大な有翼獣像が、空へ向かって前足を高く掲げている。


 黄金の燭台と、燦爛さんらんたるシャンデリア。

 夢のように華やかな光が揺らめき、舞踏会の会場を照らしていた。


 化粧品と香水の匂いが漂う中、華やかな服を纏った貴族たちが賑やかに談笑している。

 欲望と、それを満たそうとする貪欲さが渦巻く空気――。


 その喧噪を裂くように、上級従者の澄んだ声が響き渡った。


「アルブレヒト・ルイス・ヴァルトヴィン・フォン・ローゼンハイト殿下――!」


 瞬間、場内は水を打ったように静まり返る。

 視線が一斉に、入場口へと注がれた。


 今回の内戦の勝利者。

 彼がやがて帝国の皇太子となることを、誰もが知っていた。

 そして病に蝕まれた皇帝が逝けば――、その座に就くことを。


 舞踏会の夜にもかかわらず、煌めく軍服に身を包んだアルブレヒトが、ゆっくりと歩を進める。

 赤色に金の装飾が映える帝国礼装の軍服。


 腰まで届く白金色の髪は一つに結われ、背に垂れていた。

 冷たい青紫の瞳は、今夜さらに鋭さを増し、氷のような冷気を帯びている。


 ――視線がかすっただけで、貴族たちの体が震える。


 これまで卑しい出自の皇子と蔑まれてきた彼を、誰一人として直視できなかった。

 アルブレヒトは構わず進む。


「……!」


 彼には婚約者もパートナーもいない。

 “すぐに粛清しゅくせいされる卑しい皇子”――そう見られていたせいで、縁談すら結ばれなかったからだ。


 今さら慌てて駆け寄るハイエナたちに、手を差し伸べる必要などない。


 深々と頭を下げては顔を上げる貴族たち。

 その瞳に宿るのは、馴染み深い恐怖。

 アルブレヒトはそれを冷ややかに見定めながら、壇上へと歩を進めた。


「リューネの日を迎え、今年も帝国に祝福を授けてくださった偉大なる創造神そうぞうしんシャダイに感謝を。

 そして本日この場に集った皆に、心からの歓迎を告げよう。


 ――今宵は心ゆくまで楽しむがよい」


 澄んだ声が、堂内を満たす。

 大きな拍手が湧き起こり、儀礼的な挨拶を終えたアルブレヒトは壇を降りた。


 軍服を纏った彼の腹心たちが輪を作って待っている。

 弛みきった貴族たちとはまるで異なる存在。肥え太った鶏の群れに紛れた鷹のようだった。


 彼らは胸に右手を当て、恭しく頭を垂れる。


「お越しになりましたか、殿下」


「バルデマー」


 黒髪の鋭い目を持つバルデマー・ハインホルツ侯爵が一礼する。

 続いて銀髪の男が口を開いた。


「人々の怯えた表情が見ものですな。まるで、これから素晴らしい余興が待っているかのようだと、噂が広まっているようです」


「おい、フランツ!」


 茶髪の男が慌てて肩を掴んで制する。

 だがアルブレヒトは片手を軽く上げただけだった。


「構わぬ、マティアス。……今日の『メインディッシュ』は、ここにいる全員が分かっているだろう」


 唇に冷笑が浮かぶ。

 二人の青年もそれに応じて笑みを返した。


 長身の銀髪の美丈夫フランツ。

 小柄ながらがっしりした体格のマティアス。


 性格も出自も違う二人は、不思議なほど仲の良い友人として知られていた。


 貧しい男爵家出身のフランツ。

 平民出身のマティアス。


 共通するのはただ一つ――貧しさを克服しようと軍に入り、アルブレヒトを主君として選んだこと。


 違うのは女関係だった。

 婚約者と結婚間近のマティアスと、稀代の女たらしとして悪名高いフランツ。


 そのせいで今夜も、マティアスは彼の悪癖を阻止すべく目を光らせていた。


「エーリヒは?」


「こちらに向かっていると連絡が」


「……それにしては遅いな」


 本来なら誰よりも早く彼の側にいるはずの親友が見えないことに、アルブレヒトの眉間がわずかに寄る。


 やがて人々の波が割れ、エーリヒが姿を現した。

 ――だが、その隣には一人の女性がいた。


 鮮やかな赤髪。

 見覚えはなくとも、すぐに分かる。オブロフの使節――例の女だ。


 優しいエーリヒが置いて来られなかったのだろう。

 アルブレヒトの眉が険しく吊り上がる。


 一年の半分が冬というオブロフの民だけが持つ、雪のように白い肌。

 その肌を、波打つ赤髪がいっそう際立たせていた。


 ……雪原に咲いた赤い薔薇。


 光を受けて煌めくその瞬間、胸がかすかに高鳴る。

 アルブレヒトは思わず息を呑み、すぐに首を振った。


「おお……!」


 フランツが口笛を吹く。


「エーリヒの隣にいるのが、オブロフの使節ですか。驚きました……あんな美しい女性だったとは!」


「思ったより若いな。年齢は?」


 バルデマーの問いに、灰色髪の男が眼鏡を押し上げながら答えた。


「エカテリーナ・アースナヤポリャーナ・イリィチャ。二十二歳。終身統領オレスキーが認めた唯一の娘で、オブロフ社交界の女王とも呼ばれている」


「ふむ……神も時に本気を出すらしい」


 フランツの視線は、舞踏会の光に照らされる赤髪に釘付けになる。


「……こんな女性がオブロフにいたとは」


「フランツ、頼むから外国の使節に手を出すなよ」


 心配そうにマティアスが低く釘を刺す。

 だがフランツは肩をすくめ、狩人のような笑みを浮かべた。


「無視する方が失礼だろう? これだけの存在感だ」


「……」


 アルブレヒトの冷たい声がそのやり取りを断ち切った。


「フランツ」


「も、申し訳ございません、殿下」


「使節にだらしない姿を見せるな」


 そう告げられた直後、エーリヒが女性を伴って到着する。


「遅れて申し訳ございません、アルブレヒト殿下。事情があり、パートナーであるイリィチャ令嬢を同伴しました」


 女性は優雅に裾を摘み、帝国式の礼を取った。


 ……わざと引き離そうとしたのに。

 ヒルのように離れず付いてくるとは。


 アルブレヒトの眉間がさらに深く寄る。

 やはり気に入らない。


 短い沈黙ののち、彼は冷たく口を開いた。


「そなたが今回、オブロフからの使節か。噂は耳にしていた」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る