第5章. 初めての出会いと決心(3)

 現れた女性たちの中で、誰が最も高い身分かは一目で分かった。

 私にはない 凛とした気品が光のように溢れ出ていたから。


 誰だかも、すぐに分かった。あの完璧な純度のプラチナブロンドを見間違えるわけがない。


 エーリヒは中央に立つ女性の前に進み出ると、片膝をついて恭しく頭を下げた。


「白金の聖獣とローゼンハイトの栄光を。皇女殿下に、ご挨拶申し上げます」

「……久しぶりです、エーリヒ。立ってください」

「はい」


 静かで美しい声。華奢な身体に流れるようにかかるプラチナブロンドが、そよ風に揺れる。

 上体を起こすエーリヒを見つめていたスミレのような瞳が、私へと向けられた。


「初めてお会いする方ですね。エーリヒ、この方は?」


 帝国式の、あの退屈な礼儀作法に従うなら、私はエーリヒに紹介を任せて、ただ丁寧にお辞儀をするべきだ。

 両手でドレスの裾をつまみ、軽く膝を曲げて、頭を垂れた。


「今回、オブロフの使節としてお越しいただいた、イリィチャ令嬢でございます」

「高貴なる白金のローゼンハイトの栄光を、四皇女殿下に。

 ――ご挨拶申し上げます。エカテリーナ・アースナヤポリャーナ・イリィチャと申します」


 そう。彼女は帝国の四皇女にして、七皇子アルブレヒトの唯一の同腹の姉。

 アーデルライド皇女。

 皇女は微かに感嘆の息を漏らした。


「オブロフから来たという使節がそなたでしたか。女性だと聞いてはいましたが……想像していたより、ずっとお若いのですね。

 遠路お越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、帝国で良き時を過されますように」

「温かいお言葉に、深く感謝申し上げます。皇女殿下」


『使節として来てくれてありがとう』という言葉を、わざわざ口にするのは――

 アーデルライド皇女が皇族の中で唯一、心から七皇子を案じる人だからだろう。


「顔を上げなさい」と穏やかに促されて、私はゆっくりと頭を上げた。

 ……そして、息を飲み込む。

 今まで、自分の顔が醜いなんて思ったことはなかったのに。


 ――これ、現実? 天使とか伝説のエルフとかじゃなくて? その上、どこかに淡い哀愁を漂わせるなんて反則だ。

 ちょっと本気で惚れそうなんだけど…… あれ? 思考が稲妻みたいに頭を駆け巡った。


 ……確か、聞いたことがある。

 アーデルライド皇女は、アルブレヒト皇子とよく似ていると。


 ――まさか、あの肖像画が詐欺ではない可能性もあるってこと!?

 突然、皇子の顔がすごく見たくなっちゃった。


「イリィチャ令嬢をご案内していたのですか、エーリヒ?」

「はい。令嬢が帝国へいらっしゃるのは初めてだとおっしゃるので、このようにご案内しております」

「そうなんですね」

「皇女殿下は、散歩中でいらっしゃいますか?」

「ウンターハウゼン伯爵夫人のお見送りを終えたところでした」


 エーリヒと向き合って微笑むその表情には、どこか切なかった。


「もう少しお話ししたいところですが、先約があります。

 短い時間でありましたが嬉しかったです、イリィチャ令嬢。いずれまた、ゆっくりお話しできる機会がございますように」

「光栄に存じます、皇女殿下。リューネの日に再びお目にかかることを願っております」

「そうですね。――エーリヒ」

「はい、アーデルライド殿下」

「どうか、イリィチャ令嬢を丁寧にご案内してください」

「もちろんです」


 私とエーリヒに向かって、皇女はほんの少し微笑みを向けた。

 そして侍女たちと去っていった。

 気高く、しかしどこか悲しげに。

 後で一度、調べてみようか。そんなことを考えながら、振り返る。


 皇女はすでに席を立ったのに、エーリヒはまだ片膝をついたまま、深く礼を捧げていた。

 ……表情は見えない。

 だけど、どうしてだろう。私は、彼がどんな表情をしているのか、なんとなく分かる気がした。


 そっと、自分の唇に指を添える。

 ふう――ん、これは、ねえ……。



 ――そしてその様子を、遠くから静かに見つめている一人の男がいた。





 ***



 文字通りの、それは偶然だった。


 支離滅裂な書類の山にイライラを押し殺しながら、アルブレヒトは思った。

 ――このままじゃ、即位前に神経がすり減り、ヒステリーを起こしそうだ、と。


 彼は執務室から出て、やみくもに廊下を歩く。


「国をここまでめちゃくちゃにしておいて、よくもまあ統治者ヅラできたものだ……、クズどもが」


 貴族も王族も同じ。

 義務は果たさず権利だけを貪る者ばかりで、この国を腐らせてきた。

 患部は、切除しなければならないが、その患部があまりにも広すぎる。

 下手にすると、国という『患者』そのものが死にかねない。


 ――それが、今のアウフェンバルト帝国だ。


「クズばかりで、有能で信頼できる人材が足りなすぎる」


 ため息をつき、アルブレヒトは二階のバルコニー欄干に腕を預ける。

 四日後、リューネの日。形式的とはいえ、皇太子となることが公に発表される予定だ。

 これからも、休める日など一日もないだろう。


 ……エーリヒでも側にいてくれたら良かったのに。

 あのイライラする使節に会いに行くと聞いたから、もう少しで戻ってくるだろう。


 休む暇もなく、走ってきた。でも、まだ安心なんてできない。

 これからが本当の始まりだから。

 だらけた午後の陽射しだ。アルブレヒトは、悲鳴を上げる身体に、無理やり力を込めた。


 親友はアルブレヒトが壊れてしまうのではと心配している。

 だが、それは違う。

 走り続けなければならない。そうしなければ、逆に……、倒れてしまう気がする。


「……だから、止められない」


 ――そう呟いた、その瞬間だった。


 風に乗って、声が届いてくる。アルブレヒトはぱっと顔を上げた。


「……姉上の声? それに、エーリヒ……?」


 距離は遠く、木々が視界を遮る。だが、完全には見えないわけではない。

 木々の隙間から、女性たちのドレスの裾が円を描いてふわりと回る。

 話を終えたのか、体を返し、遠ざかっていく。


 ――同時に、大きな風が吹き抜けた。思わず、アルブレヒトの瞳が見開かれた。


 サーッという風の音とともに、大きく揺れる木の枝の向こう――。

 地面に平伏するエーリヒ。その隣で、風に波打つ鮮やかな赤髪が揺れる。


 あまりの鮮烈さに、気づけば目を奪われていた。

 アルブレヒトが知る者の中には、あんなにも印象的な赤い髪の女性など、他にいないのに。


「今、エーリヒと一緒にいるような人なら、まさか――?」


 城入りの報告はすでに受けている。

 だから気に入らないのに、招待状を送った。


 だが、見えたのは赤い髪だけ。

 アルブレヒトは顔を確認しようと身を乗り出すが、枝葉が再び視界を塞ぐ。

 葉の隙間から、赤い色がかすかにちらちらと見えるだけだ。


 アルブレヒトは、一歩踏み出しかけて、足をとめた。

 立ち上がったエーリヒと、その隣の赤髪は並んで建物の中へと消えていった。


「オブロフの使節か……」


 考えれば考えるほど、胸の奥がざわつく。何かが引っかかっている感じ。

 けれど、はっきりとは掴めない。

 陽射しの下で、耳元を打つ風の音が激しい。


 その音が、まるで体の奥深くまで届くような気がした。

 アルブレヒトは、その感覚に唇を噛み、そして離した。

 静かに体を向けるその視線は、冷たさの奥に、説明のつかない熱を秘めていた。

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