第5章. 初めての出会いと決心(2)
そうだよね。帝国はつい一ヶ月前まで内戦中だったから。三分の一近い貴族が命を落とし、
実際の貴族の数を考えたら、膨大な数字だね。七皇子が予想外の勝利を収めたせいだ。
――そして七皇子アルブレヒトの側には、この男がいたのね。
……だから、エーリヒがエルかもしれないと思ってたのに。
もしかしたら、その後エルの病気が治ったかもしれないと、そう思っていたから。
……はぁ、またエルのことを考えちゃった。私は心の中で首を振った。
「時間が経てば、また人も増えるでしょう」
「じゃあ、今を楽しまないといけないですね。人が増えたら、気楽に見学はできないでしょうから」
「はい、確かにそうかもしれません」
驚くほど飾り気のない、低く落ち着いた笑い声が心地よい。私は彼の横顔をちらりと盗み見る。
――七皇子の最も信頼される『剣』。
包容力、忍耐力、的確な判断力を持つ内戦の功臣。皇子の唯一無二の親友。
……不思議な男。
普通なら、無礼な使節など相手にしない立場。それなのに……、最初から変わらず丁寧で優しい。
気遣いすら忘れない。
今も、あの紺色の瞳に、優しい感情が浮かんでるのが、見える。
もちろん、全部演技かもしれない。でも、私が見抜けないほどの演技だとしたら、最初からこの人は騎士じゃなくて、俳優をやってるのだろう。
見れば分かる。愚直で、正直で、まっすぐな人。だからこそ、あのアルブレヒト皇子が唯一心を許したのだろう。
――じゃあ、私はどうすればいい?
私は今もずっと、激しく葛藤している。父に逆らってでも、この人、エーリヒを救うのか? それとも……。
「イリィチャ令嬢はリューネの日について、ご存知ですか?」
「オブロフの収穫祭に似た日だと聞いています。帝国では、毎年皇城で盛大な舞踏会が開かれますよね?」
「はい。新年舞踏会と並ぶ格式で、今回はご存知の通り、アルブレヒト殿下の戦勝記念も兼ねます」
「楽しみですね」
「実は、私は舞踏会にほとんど参加したことがなく、急にパートナーを探さねばならず…… 令嬢が申し出てくださって助かりました」
――望んで引き受けたわけではないのに。それでも、自然に気遣いの言葉をくれる人だ。
私が今、何を考えてるかなんて分かるはずがないのに。
「私こそ、よろしくお願いします。……あ、礼服の件で相談が。女性のドレスに男性の礼服を合わせるのが基本ですけど、時間に余裕がありませんね」
「令嬢がお召しになるドレスを、事前に教えていただければ、なるべく合わせます」
――会話を続けながらも、私は心の奥で問い続ける。どうすればいい?
「ドレスは、用意してあるんです。でも……、ここに来てから乗馬ができなくて。少し太ったかもしれなくて心配です」
悪女ごっこでからかいながら食べる食事って、どうしてあんなに美味しいんだろう?
小さなため息を添えて言うと、エーリヒの瞳ふっと光が宿った。
「イリィチャ令嬢は、乗馬がお好きなのですか?」
「もちろんです! オブロフ人ですもの!」
「そういえば、最高の品種として知られる『カランデケ』も、オブロフが原産でしたね。アルブレヒト殿下も一頭、お持ちです」
「まあ! 七皇子殿下が、カランデケを?」
カランデケは極地から砂漠まで駆ける名馬。純血は大邸宅と同じ価値を持つ。何千キロも走るほど強健でありながら、美しくて温順だ。
「殿下は乗馬を愛され、その黒馬を大切にされています」
「黒馬……? てっきり白馬かと」
肖像画でしか見たことないけど、プラチナブロンドの髪に青い瞳って、まさに典型的な王子様なんだよね。だから黒馬とはなんだか似合わない気がするの。
黒馬に乗る白金の髪の王子様なんて、ビジュアル的にかなり違和感があるよね?
エーリヒがふっと笑った。
「白馬が似合うという先入観を嫌われるのかもしれません」
私だけがそう思ったわけじゃなかったのね、やっぱり。
私は首筋を触る。高く上がった襟の内側で、丸い真珠の感触が伝わってくる。その感触は、今日は特に大きく感じられた。――父からもらった、防御
「エーリヒはどうですか?」
「私の馬は茶色の健康で温順な子です。クローバーが好きなので、クレ(クローバー)と名付けました」
「素敵な名前ですね! いつかクレを会ってみたいです。皇子殿下の馬と一緒に」
「もちろんです。次回一緒にいかがでしょうか」
「お誘いいただけるのを楽しみにしています」
――『次回一緒に』と自然に未来を口にするあなたは、知ってるのか? 三日後に死ぬということを。
エーリヒが命を落とすのはリューネの日、爆弾から皇子を守るため。テロを企てるのは、今牢獄に囚われている三皇子だ。
彼の瞳を見つめながら、私は再びエルを思い出しちゃった。
……もうやめよう。ずっとエルとエーリヒを重ねて見るのは、エルにも、エーリヒにも失礼だし。
それに、エーリヒ本人も魅力的な男性だから。
――やっぱり、私は温柔で優しい男が好みのようだ。
だから、私は決心した。
――この人を、救う。
その瞬間だった。
小走りの足音と、わずかな衣擦れの音。視線を向けると、若い従者が銀盆を抱えてこちらへと駆け寄ってくる。
「イリィチャ令嬢、殿下よりお届け物です」
銀盆の上には、白い封筒。名前を確認すると、間違いなく私宛だった。
指先に伝わる高級紙の質感と、帝家の紋章、――白金の翼角獣だ。
「これは……」
封を切った瞬間、整った文字が目に飛び込んできた。
《リューネの日、戦勝記念舞踏会へのご招待》
送り主の署名は、アルブレヒト・ルイス・ヴァルトヴィン・フォン・ローゼンハイト。
「殿下直々のご招待状ですか」
エーリヒが小さく微笑む。私がここに来たこと、もう報告が行ってるのね。
文字は一筆の乱れもない端正な書体。しかし、一画一画に込められた力は、不思議と胸の奥をざわつかせる。
均一な筆圧で書かれた署名は、流れるように滑らか……。なのに、どこか視線の重みを宿していた。
まるで、薄い紙一枚を隔てて、今この瞬間も彼の瞳が私を追いかけているような、感覚。
私はそれを開き、ふっと笑みを漏らした。形式的でありながら、ちゃんと許可ももらった。
……では、動きましょうか。
「こうして直々に招待状までお送りいただけるなんて……。感謝しなくてはなりませんね。舞踏会が、本当に楽しみです!――あの、エーリヒ?」
「はい」
「舞踏会場に事前に行ってみることはできますか?」
まず会場を確認しないと――。
しかし、エーリヒは少し困ったような顔をした。
「大舞踏会場は特別な日にしか開放されないと聞いています。私がイリィチャ令嬢をご案内できるかどうかは……」
「お願いします。中には入れなくても構いませんから、外側だけでも見たいんです」
「外側ならご案内できそうです。承知いたしました。それでは参りましょうか?」
「ありがとうございます!」
差し出された手の上に、私は軽く手を重ねた。手袋越しのぬくもりが、胸の奥をくすぐった。
――同時に、秒針が動く音が聞こえる気がした。死に向かうカウントダウンの。
歩き始めて、ほんの数歩。
向こうから若く落ち着いた声が近づいてくる。上品さが滲む、澄んだ声だ。
爵位の高い人たちのようだ。挨拶すべきか迷ってエーリヒを見上げたが、開きかけた唇はそこで止まった。
……どうして、そんな顔をしているの?
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