1 安堂ミラ
ミラの朝はとってもたいへんだ。
七時きっかりには起き、制服に着替え、歯をみがいて顔を洗った後、ひどいくせ毛の髪の毛をまとめるために、長い時間をかけて編みこみにしなければならないからだ。
鏡にむかって髪を編みこんでいるミラは、色白で、丸顔、目がくりっと大きな女の子。
周囲の人たちはそんなミラのことをかわいいといってくれるが、ミラは自分の顔がきらいだった。
だって、この顔のせいで、必要以上に子どもに見られ、同級生の男の子たちからもナメられてしまう。だから、せめて髪型くらいはキッチリとキメねばならない。
それが、ミラの強気の見せどころなのだった。
「やあ、ミラ、おはよう」
「おはよう、パパ」
パパが洗面所に入ってきて、ミラとならんで鏡の前でひげをそる。それから、パパはネクタイを直し、ミラはブラウスの襟のリボンをキュッとととのえるのだった。
二人がそろってダイニングへいくと、ママが朝食の用意をしていた。
厚切りトーストとフルーツ入りのヨーグルト、ベーコンエッグ、野菜ジュース。かたわらでコーヒーメーカーが湯気を立てている。
「今朝の朝食もおいしそうだね」
パパが言った。
「うふふ。パパには気合いを入れて仕事してもらわないとね。ミラはしっかりお勉強よ」
ママはちゃっかりそう言って、パパのコーヒーカップに、コーヒーをそそいだ。そしてミラにはホットミルクだ。
いつもの安堂家の、平和な朝のひとときだった。
そのとき、テレビに見たこともない男が一人うつり、手にしていたスプーンがくにゃりと曲がった。
「あら、なつかしい。ウリ・ゲラーよ」
ママが言った。
「ほんとうだ。わたしも小さかったとき、これを真似して、スプーンが一回だけ曲がったことがあるよ」
パパも興奮ぎみにいった。
「だれ? ウリ・ゲラーって?」
ミラがたずねると、パパがこたえた。
「有名な超能力者だよ。スプーンを持つだけで曲げてしまうんだ」
「ほんとに?」
ミラはびっくりしてさけんだが、すぐにうたがわしくなって、「超能力マジックなんじゃないの?」と言った。
「いやいや、そんなことあるものか。ほんとうの超能力だよ」
パパはそういうと、目の前のスプーンをにぎって、「曲がれ、曲がれ」と言いだした。
ミラも真似してみたが、とうぜんのことながら二人のスプーンは曲がらなかった。
だが、じつのところ、ミラの髪にとめたヘアピンが、すべて折れ曲がっていたのだが、そのことにはだれも気づかなかったのである。
ミラはしたくをすませると、お気に入りの通学かばんを背負う。それはダークキャメルの色の横型ランドセルで、ヨーロッパタイプの革製のものだ。
そうして学校へとむかう。
教室に入るのは、毎日一番だ。それからバラバラと、クラスの子たちがあつまってくる。
一時間目の授業を知らせるチャイムが鳴り、先生が入ってくると、ミラは号令をかける。
「起立、礼、着席」
そう、ミラはこれでも六年C組の学級委員長なのだ。
背は小柄だけど、勝ち気で、しっかりものだ。学校を休んだことも一日もない。とても模範的な生徒である。
授業中もまじめで、ほかの生徒がないしょ話をしたり、タレントやアニメの似顔絵を描いてるときも、ミラは耳をそばだてて授業をきいている。
勉強をするのは自分のためだ。ミラはそう思っている。
1時間目の国語の時間が終わり、15分の休み時間になると、ミラはお気に入りのミステリー本を取り出して読み始めた。かっこいい女探偵が活躍する、ワクワクするような推理小説だ。
ところが、小説の世界に入りかけたミラに、クラスの女の子が呼びかけてきた。
「ねえねえ、安堂さん。いっしょに『こっくりさん』しようよ」
ミラのクラスでは、なぜかいま、『こっくりさん』が流行っている。
漢字で書くと『狐狗狸さん』という。
なんでもキツネかなにかの霊をよびだして、恋愛相談や悩み相談にこたえてもらうということだが、ミラはこの手の「うさん臭い話」が大きらいだった。
霊なんて、この世にあるわけがない。じつにバカバカしい話だ。そんなことを本気で信じているクラスメイトが、とても子どもっぽく感じられる。
だいいち、ミラには悩みなんてなかった。恋愛の「れ」の字にも興味がなかった。
――すくなくとも、この日までは。
「わたしはやらないわ」
ミラは短くこたえた。ふたたび本を手にとる。
それを見ていたクラスメイトが、あきれたため息をついている。
「やっぱりねえ。安堂さんをさそってもムダだと思ったわ」
「つき合い、悪いわよね」
「超すましてる、って感じ」
「彼女、お固いのよ。なんせ、学級委員長サマだもん」
そんな陰口がきこえてくる。
だけどミラは気にしない。
クラス替えがおわって五月になったばかりというのに、クラスの女の子たちはおのおの仲よしグループをつくって、休み時間になるたび、こっくりさんをやっている。その周囲に、ほかの女の子たちも人垣をつくっては、きゃーきゃーと、黄白い声でさわいでいた。
ミラにとっては、そんな嬌声も読書のさまたげだが、そこのところはがまんであった。
ようやく学校がおわると、張りつめていた気分がすこし楽になる。
なにしろ学級委員長であるだけに、学校内では弱みを見せられない。
クラスメイトが遊びにいく相談をしあったり、女の子同士でお化粧をしあったり、あるいはクラブ活動をしたりと、思い思いの放課後をすごしているなか、ミラはまるで急用でもあるかのような勢いでクラスを飛び出していく。
そして、山稜公園わきの帰り道を、いつもどおり一人で歩いていた、そのときだった。
ふと、公園のブランコにすわりこんでいる男性の後ろ姿を見つけた。
(大の大人がブランコだなんて、へんなの)
そう思ったつぎの瞬間、ミラはとんでもないことに気がついた。その男の姿は、パパにそっくりなのだった。
そして、今朝「いってきます」とミラに手をふったときのパパと、背広の色や形もおなじだったのだ。
「パパ!?」
思わずミラが大声をだすと、男は弾かれたように立ちあがり、猛然と走りさった。
ミラも走って男を追いかけたが、すぐに姿を見失ってしまった。
「……わたしの気のせい……だよね」
きっと気のせいだ、とミラは自分に言いきかせた。
そう。自慢じゃないが、ミラの家庭はうまくいっている。
パパはハンサムでやさしくて仕事熱心な、大手新聞社の記者だ。
ママは絵に描いたような専業主婦で、ケーキ作りがとても上手だ。
二人とも、やさしすぎてちょっと頼りないかな、と思うところもあるが、けっしてミラにうそをついたりはしない。ミラがよびかけているのに、あんなふうに逃げたりはしない。
(見まちがいだとは思うけど、パパが帰ってきたらきいてみよう)
ミラはそう思いながら、家に帰った。
「ただいま」
「ミラ、お帰りなさーい」
ママがいつものようにキッチンから声をかけてくる。
ミラはちょっと迷いながら、リビングに通学かばんをおき、ママにたずねた。
「あのさ。最近、パパの様子がおかしいとか、そんなことはないかな?」
ママは「うーん。」とうなりながら天井を見上げていたが、
「ないわ」
と、アッサリこたえた。
「……だよね」
「どうしたの? なにかあったの?」
「ううん、なんでもない」
ママはしばらく不思議そうな顔をしていたが、
「ミラ、元気がないみたいよ。きょうはママがケーキを焼いてあげましょうか。新しいオーブンの調子、とってもいいのよ」
そういうと、ママは鼻歌を歌いながら、薄力粉とベーキングパウダーをふるいにかけ、卵黄と砂糖を泡立てた。冷蔵車からバナナをとりだすと、ミキサーでバナナペーストをつくり、泡立て器でメレンゲをつくる。ヘラで材料をかき混ぜ、とろりとしたおいしそうな生地が完成すると、ママはそれをまるい型に流しこんでオーブンに入れた。
ママはケーキだけじゃなく、オーブン料理がとっても得意だ。大げさにいえば、オーブンを愛していると言ってもいいかもしれない。それだから、以前に使っていたオーブンがこわれたときには、三日間も熱をだして寝こんだほどだ。
ミラが、そんなことを思いだしながら、ダイニングテーブルで宿題をかたづけていると、ふんわりと、いい匂いがただよってきた。
ミラのお腹がぐるる、と鳴った。
「あら熱がとれるまで、ちょっと待っててね」
ママは笑いながら、夕食の準備にとりかかる。
ミラは宿題をかたづけ、着替えをすませた。
一段落して時計を見ると、六時半になっている。
ミラとママはケーキにホイップクリームをぬったり、バナナをかざったりしながら、パパの帰りを待った。
七時ちょうどに、パパは帰ってきた。
「ただいまあ」
いつもどおり、のんきな声が玄関からきこえ、しばらくすると部屋着姿に着替えたパパがリビングに入ってくる。
「おっ、これはうまそうなケーキがある。」
パパはにっこり笑うと、リビングのソファーに寝そべり、のんびりと野球中継を見はじめた。
ミラは深呼吸をし、思いきってパパの横顔に話しかけた。
「パパ、きょう、山稜公園にいってなかった?」
「いや、いってないよ」
パパはテレビを見たままでこたえた。
「……ほんとうだよね?」
「うん、ほんとうさ」
「さあさあ、そろそろ晩ごはんにしましょう」
ママがそう言って二人を呼んだので、ミラとパパの会話はそれでおわった。ミラはすっかり安心して、夕食とケーキをたいらげた。
だけど――。
翌日、ミラのパパは忽然と消えてしまったのだ。
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