第3章 生産管理の魔法
「これは……魔法だわ」
そう呟いたのは、院長ではなかった。 お忍びで孤児院への寄付を持ってきた、領主の娘、ソフィアだった。 金髪をフードで隠し、質素な服を装っているが、その立ち居振る舞いから貴族であることは一目瞭然だった。
彼女は、私が試作品として作った肌着(タンクトップのようなもの)を手に取り、震えていた。
「いいえ、魔法じゃありません。ただの羊毛です」
私は淡々と答えた。 今の私は、薄汚れた孤児の一人に過ぎない。だが、製品に対する説明責任(アカウンタビリティ)はある。
「ただの羊毛で、こんなに魔力を保持できるはずがないわ! 私が着ている最高級の絹でさえ、魔力保持率は40%程度よ。でもこれは……手にしただけで魔力が循環するのがわかる。推定保持率は90%以上……ありえない」
ソフィアは布に顔を埋め、深呼吸をした。 貴族としてあるまじき行為だが、その気持ちはわかる。 魔力が循環するということは、生命力が活性化するということだ。 質の良い寝具に入った時のような快感が、脳髄を刺激するのだ。
「誰が作ったの? どこのドワーフの名工?」
「僕です」
「……は?」
ソフィアは私を見下ろした。 身長百二十センチの、栄養失調気味の少年。 信じられないという顔だ。
「嘘はおっしゃらないで。こんな子供に――」
「素材は北の丘で採れた羊毛。洗浄温度は40度。手作業によるカード処理を三回。紡績はZ撚り。織り密度は経60本、緯50本。仕上げに木づちによる叩き加工で風合いを出しました」
私がすらすらとスペック(仕様)を読み上げると、ソフィアは口を開けたまま固まった。 専門用語の意味は分からないだろうが、その「異常な具体性」が真実味を持たせたようだ。
「……名前は?」
「アルカスです」
「アルカス。あなたを私の専属職人として雇いたいわ。王都の屋敷に来て」
魅力的な提案だ。 温かい食事と寝床、そして最新の設備が手に入るかもしれない。 だが、私は首を横に振った。
「お断りします」
「なっ……! なぜ? 一生遊んで暮らせるだけの報酬は出すわよ」
「僕一人だけが良い服を着ても、意味がないからです」
私は後ろに控えている孤児たちを振り返った。 みんな、ボロボロの服を着て、寒さに震えている。 私一人が抜ければ、この子たちは冬を越せないかもしれない。 それに、工場長としての血が騒いでいた。 たった一人の職人芸(クラフトマンシップ)で終わらせてはならない。 必要なのは「産業」だ。
「僕はここで、この布を量産します。院の子供たち全員に行き渡るまで。そして余剰分を売って、この院の運営費にします」
「量産? こんな国宝級の布を?」
「国宝? いいえ、これはただの『B級品』です。設備が古すぎて、私の基準では出荷判定ギリギリです」
私は足元の織機を蹴った。 ソフィアは呆然とした後、くすりと笑った。
「B級品、ね……。面白いわ。あなた、商人としての才覚もあるようね」
彼女は懐から革袋を取り出し、テーブルに置いた。 重厚な金属音が響く。
「これは前金よ。その『B級品』とやらを、私が買い取る。ただし条件があるわ」
「条件?」
「次の冬までに、領内の民全員に行き渡るだけの量を作ること。もし出来なければ……あなたを王都に連れ去って、私の着せ替え人形にするわ」
魔性の笑みだった。 だが、納期(デッドライン)を切られるのは嫌いじゃない。 むしろ燃える。
「契約成立ですね。……では、追加の条件を。織機をあと五台、それと近隣の村から綿花を買い付けるルートを確保してください。あと、子供たちの食事を改善したい」
「強欲ね。……いいわ、手配しましょう」
ソフィアが去った後、私は革袋の中身を確認した。 金貨が十枚。 この辺境では見たこともない大金だ。
「さて、忙しくなるぞ」
私は院の子供たちを集めた。 年長の子供は十人。彼らが私の最初の「従業員」だ。
「いいか、これから君たちに仕事を教える。ただの仕事じゃない。世界を変える仕事だ」
子供たちは不安そうに顔を見合わせている。
「まずは『カイゼン』だ。作業場を片付けるぞ。床に落ちた綿埃は、製品の敵であり、君たちの肺の敵だ」
私は前世の記憶にある「トヨタ生産方式」と「繊維工場の管理マニュアル」を脳内で検索し、この異世界向けに翻訳し始めた。 工程を細分化し、誰でも一定の品質が出せるように治具(ガイド)を作る。 熟練工の勘に頼らず、システムで品質を担保する。
「アルカス、そんなことして何になるの?」
年長の少年、カイルが不満そうに言った。
「何になるか?」
私は織り上がったばかりの布をカイルに投げ渡した。 彼はそれを受け取り、一瞬で目を見開いた。
「うわっ……なんだこれ、すげえ温かい!」
「それを、君が作るんだ。君の手で、妹や弟たちを温めてやるんだ。できるか?」
カイルは布を強く握りしめ、力強く頷いた。 「やる。やらせてくれ!」
その日、孤児院の地下室は、世界初の「近代繊維工場」へと生まれ変わった。
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