〇〇〇〇〇〇〇之変

亜夷舞モコ/えず

〇〇〇〇〇〇〇之変

 京の空は、厚い雲に覆われている。

 雲の下は、まるで夜のごとき暗さを持ち、何もかもを覆い隠す。それは空のお天道様の目を遠ざけ、空を飛ぶ鴉でさえもこちらの動きは気づきもしないだろう。

 俺は、静かに雲の下を駆け出した。

 誰にも見つからないように。

 向かうのは、一人の男のもとへ。

 それは我が家族を殺し、殺人という大罪を今も暴かれることなく、のうのうと生き続ける男。それは常に何かを人から奪い続ける男であった。そして、今の仕事ですらも奪い取って、就いたものであったと聞く。

 俺は男を憎んでいた。

 そいつを殺すことだけを、ずっと願って生きてきたのである。

 


      ◆


 

 今日の空は、いつもと変わらなかった。

 厚い雲の下は、どこまでも続く暗闇であって何もかもを覆い隠していた。人々の罪を隠し、生き様を隠し続ける。空の上、鳥の目で眺めたところで、その下で蠢くものには誰も見向きもしないのだ。

 誰も、その下で起こることに気づかない。

 誰にも気づいてはいない。

 神や仏があったところで、その視線は何の意味も持たないのである。

『もしも、ある男が一人の男を殺したとしても、誰も何も気づかないのだ』

 家族を皆殺しにした。

 けれども、その家族には、もう一人男がいたにも関わらす、それに気づくことができなかったとしても、そんなことは関係が無かった。たとえ、その男が下手人を探し復讐を願っていようとも。



     ◇



 その男が、とある屋敷にて下働きをしていると知ったのは、つい先日のことであった。まるで神仏が味方をしてくれたとでもいうような、偶然の出来事である。

 通りで、ふと聞こえたのだ。

「――家のあれは、あんな風にガサツな男だったかい?」

「ああ、あれは最近人が変わったんだよ。どうにも前の男が、どこかに行っちまったらしくて。新しく――というのが入ったと……」

 会話をしていた彼らは、人ごみの奥へ消えていった。

 空を厚い雲が通り過ぎていく。

 会話は、ざわついた通りにしばしばかき消されてしまったが、それでも下手人の男の名前だけは、どうにか聞きとれた。

 いや、聞こえたというのも正しくはない。

 記憶の奥底に根付いた名前に、どうにか反応できたとでも言おうか。頭の奥の肉にこびり付いた黒いおりのようなものが激しく震えるような感覚に陥ったのだ。

 俺はそれを殺さなければならない。



     ◆



 その男が、どこかに住んでいるものであったかを知るのは、ずいぶんと後になってのことであった。まるで奇跡であるかのような、偶然というには、あまりにでき過ぎた偶然の物語であった。

 近くで、ふと声が聞こえた。

「あの通りで、不思議な男を見つけたんだ」

 不思議な男!

 この言葉だけで、こちらには男の風体が容易に想像できた。以前に見かけた「あの男」なのだと理解できた。

 ああ、あれが京の中をうろついている。

 腰の得物に手をかけながら、それはずっと歩いているのだろう。どこまでも、どこまでも追いかけ続ける、あの男だ。

 空は、厚い雲に覆われている。

 今日もどこかにあの男は隠れていて、虎視眈々と命を狙っているのだろう。

 こちらもすっと背筋に汗が流れ落ちる。

 ちょうど雲が切れ、光が差し込む。

 そんな最中、光の中にギラリと光る何かを見たそんな気がした。

 


     ◇


 

 歩き続けていた。

 代り映えもしない世界の中、俺はずっと探して歩く。

 それがいる場所は知っている。

 だが、殺しを行うこと、それが正しいことであるのかを俺は知らない。


 

     ◆


 

 探し続けていた。

 ずっと同じ世界の中、いるはずのない男を探している。

 目を皿のようにして疑っている。

 だが、現実の中で、そんなものがいるはずがないことだけを、こちらは知っている。


 

      ◇


 

 俺は、その男の姿を捉え、腰の太刀へと手をかける。刃を引き抜き、男の背中から一気に振り下ろした。

 くぐもった叫びを上げて、こちらを振り向いた。

 何か起こったのか、そんなこともわからないとでもいうように見開いた目でこちらを見ていた。

 その目から察するに、彼にはこちらが誰なのかも覚えていないようだった。こちらは、あれから幾分か年を取った、分からないのも無理はない。だが、それ故に後悔はあった。

 名乗り、罪を問い、そうした後に殺すべきであったと思った。

 だが、振り落とした太刀は、もう男の背の肉を断ち切り、残る命は幾分もない。

 もういい、諦めよう。

 すべての思考を捨て、男の首を跳ね飛ばした。


 

      ◆



 男の首が、雲の切れ間から零れ落ちた。

 一瞬の出来事に、思考が止まる。

 何が起こった?

 そこから、ようやく考えが動き始める。

 ああ、中の男が、誰かを殺したのだと分かった。誰かを殺すべく意味を持った男が、中にいた男を殺したのだ。

 動くはずのない絵の中にありながら、男は人を殺す物語を持っていた。

 試しにこちらは厚い雲を手で払ってみる。

 雲が割け、男は確かに血濡れた太刀を持っていた。


 

     ◇


 

 金色の雲が静かに割け、一人の男がこちらを覗いていた。

 










 

『洛中洛外図屏風之変』・終

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