新米冒険者
岩陰に必死に身を隠す少女。
腰に掛けた刀を抜くこともできずに、無力な子供のように座りこんでいる。
青が混じった黒髪を後ろで束ねていて、現代では珍しい和服を身にまとっていた。外国人がイメージする侍、といったらわかりやすいだろうか。呼吸は荒く、目は血走って落ち着きなく動いている。
彼女は「
◆
最初に感じたのは、異臭。
腐った肉に消毒液をかけたような、鼻にツンと来る嫌な臭い。人よりかはこのダンジョンに詳しい彼女だが、こんな香りは嗅いだことがなかった。ふと気になってしまい、香りがした方向へと歩いて行った。
それが、間違いだった。
一際大きな木によりかかるようにして、冒険者が眠っている。瞳孔は開ききって、腹につけられた傷口は防具の上からでもわかるほどに大きい。土のような色をした肌には、血が通っていなかった。
(この人、し、しんで)
彼女は、芥と同じ新米冒険者。
ダンジョンには潜り始めたばかりで、人死になんて見たことがない。そもそも現代社会で生きていると生死を意識することなんて無いし、死体を見るのなんて尚更だ。
「ひ、ひぃっ」
彼女は、自分でも面白いくらいにパニックになってしまった。
一目散にその場から離れ、誰の目にも映らないように必死に走った。
後ろから、いくつも声が聞こえた。
叫び声、悲鳴。それに交じって、金属同士を打ち付けあうような音も聞こえる。
「な、なんだこの魔物!!こんなの、ここにいていいわけ」
「撤退しろ!!撤退!!」
「きゃああああああああ!!!!」
走りながら、彼女は漸く理解した。
あの冒険者を殺したのは、何かしらの魔物だったらしい。初心者ダンジョンにそんなのが現れるという話は聞いたことがないから、本物のイレギュラーだ。それは、起きたって仕方がない。
ダンジョンというもの自体が不確定で不安定なのだ。
だから冒険者がいて、だから冒険者協会の近くに初心者ダンジョンはある。気づいたものが連絡すれば、いち早く熟練の冒険者が来るから──
「あ」
びた、と彼女の動きが止まる。
遺体を見つけたとき、自分は何をした?
通報するべきだった。協会に連絡すれば二級レベルの冒険者が大量になだれ込んできて、大抵の事柄は解決しただろう。そうならないとしても、冒険者たちが避難するきっかけは作れたはずだ。
私は、逃げた。
自分の身が可愛くて、錯乱して、誰にも伝えずに。
「あ、あ」
自分のせいで、たぶん人が死んだ。
「わ、私、なんで」
その事実を認識した瞬間、呼吸が浅くなった。雲におぼれていくみたいに、優しく肺から空気がなくなっていく。逃げることもできなくて、岩陰に体を滑り込ませた。
湿気がちで仄暗い岩陰が、少しだけ心臓を落ち着かせた。
耳を澄ませば、声はどんどんと少なくなっていた。冷峰透は、自分を抱きしめるように座り込んだ。罪悪感はずっと心の中を渦巻いているのに、それを超える死への恐怖も生まれだしている。
このダンジョンには、イレギュラーがいる。
『A、GAAAAA』
「ひ、ぅ」
聞き覚えのない声がした。
このダンジョンに棲むスライムやゴブリンの情けない声じゃない。威圧感と殺意に満ち溢れた、魔物の声。奈落の底から響くような、深くて恐ろしい反響音。
どん、どんと足音が迫る。
(だ、駄目。音出したらバレる)
「ひ、ひ」
わかっている筈なのに、悲鳴みたいな呼吸が漏れる。
体が制御できなくなって、バカみたいに心臓が跳ねてしまう。
『A?』
足音が彼女に迫る。
(あ、駄目だ。見られてる)
『GAAAA』
岩陰から、ばれないように覗き込んだ。
けれど、目が合った。
彼女は、ふと昔のことを思い出す。
畳のにおいが充満した和室で飲んだ、緑茶の味。風鈴が響く夏の日に、姉弟子から聞いた怖い話を。
内容自体はよくあるものだった。この近所には、幽霊が出るんだと。昔々、ダンジョンが出てくるよりも前に、ここで戦いがあったから、その戦場で死んだ武士の幽霊が出るんだと。
それを聞いた日は眠れなかったことを覚えている。
タイトルは確か
「幽霊武者」
魔物にピッタリの題名だった。
それは、西洋版幽霊武者というべき姿をしていた。お城を守る騎士のように豪華絢爛な甲冑が、誰にも着られず勝手に動いている。本来なら人間の眼球が収まるべき個所に、狐火のように炎が浮かんでいた。
懐かしい、姉弟子もこれを見たら同じ話を思い出すだろうか。
(あぁこれ、走馬と)
『あ』
甲冑が一気に肉薄し、剣を振るう。
防御すらまともにしていなかった透は、彼女が見捨てた冒険者と同じように死体と化す……
「っぶね、間に合った」
前に、何かが目の前に現れた。
◆
「っぶね、間に合った」
『本当にギリだったね、足が遅いんじゃない?』
「引きこもりになにを期待してるんだ、か!」
幽霊騎士を蹴り飛ばしながら、若干荒れた息を整えるために深呼吸する。
悲鳴が聞こえてから、俺はまっすぐに走った。洞窟を通りなおしたら間に合わない気がしたので、その上。山のように連なった岩の上を、そのまま走り抜けてきたのだ。
さすがに疲れた。
だが、そうもいっていられない。
「立てますか?」
「あ、え、私、何で生きて」
「今は良いから、立って」
『優しくないなぁ』
倒れ込んだ女の手を握って、無理やり立たせる。こう言う強引なのはキャラじゃないし苦手だが、仕方ない。
「ほっといたら死ぬだろ」
『だろうね』
蹴り飛ばした騎士の方を向く。
目があっただけで、背筋が冷える。生き物というよりも、ギロチンがドンと置かれているような恐怖だ。
それが簡単に自分を殺せる事が、わかってしまう。
「戦えますか?」
「……無理」
「了解、そこに立ってて。動かないで」
その女性は、一目でわかるくらい焦燥していた。目の焦点は定まっていないし、顔色もとんでもなく悪い。
武器を持っているところから冒険者なのだろうが、動ける状態じゃないのは明らかだった。
庇って逃げられたら良いが……
『芥、悪い知らせか良い知らせかわからない事を言って良いかい?』
「ぐっ、なんだ!」
片手剣で甲冑の攻撃を受ける。
(おっも!)
衝撃を流そうとしたのに、余りある勢いに体が軋む。踏み込んだ足が地面に食い込み、鍔迫り合いでも押し負けた。
仕切り直すようにバックステップすると、甲冑も間を詰めてくる。
『それ、君の天敵だ!』
「つまり!?」
『あの騎士の使い魔!あいつが生み出した魔物!』
「──なるほど」
その瞬間、選択肢が一つ消える。
後ろにいる少女を庇ってこの場から撤退するという手段が、無くなった。
「使い魔にも勝てねぇのに、本体に勝てるかよ」
『ちょっと待って、流石に今の状況で挑むのは』
「……駄目か?」
甲冑の攻撃を捌きながら、魔王の答えを待つ。
血が沸騰するような怒りは感じているが、死にたいわけじゃない。魔王が無理だと判断するなら俺は撤退するし、異論をはさむつもりもない。
魔王は悩んだ様子でうんうん唸っている。
『騎士は用心深くてね、こういう時は大体一体じゃないんだ』
「危ない!!」
「ちっ」
ぶん、と風切り音。
一体目の騎士と戦っていたところに、後ろから現れたのは全く同じ見た目の魔物。ゆらりと同一の構えを行う二人の騎士が、森林に現れた。体を無理やりひねって挟み撃ちの攻撃を避け、逃げる。
『流石に私の力を持っているとは言え、二体相手は厳しいだろう』
「逃げるか?」
『……勝つ方法は、ある。だが、君に求めるレベルは高いよ』
「何すればいい」
魔王は、俺を指さした。
いや、よく見れば俺の肩越しに、一人の少女を指さしていた。
『あの女の子を、仲間にしよう』
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