魔王と呼ばれる女
死ぬ、と確信した。
甲冑が明らかに俺を殺せる魔法を準備したときに、時間切れだと思った。何がトリガーだったのかはわからないが、甲冑が俺と遊ぶのに飽きてしまったのだろう。
(だめ、かぁ)
本当に死ぬと思ったとき、人間は意外と冷静らしい。
走馬灯も見ることができず、ただぼおっとその景色を見る。恐らく俺を食い殺すその刃を、ただ見ていた。
『我が唯一にして最強の魔法で、結びとしよう』
甲冑が決め台詞を放つ。
そして、俺は魔法の餌食となり、死──
いや、待て。
(唯一の魔法?)
それは変だ。
俺が甲冑の襲来に気が付いたのは、校舎に向けられていた光に気が付いたからだ。真っ白で、強くはないが確かに輝いていたそれ。それが魔法の前兆だと気が付いたから、鏡花は俺を庇って……
だが、矛盾が生じる。
あの光と甲冑が放とうとしている光は、どうやったって一致しないんだ。
(なら、あの光は?)
思考がすさまじい勢いで回転し始める。
そして辿り着いたのは、一つの仮説だった。
(俺と響花が見たものは、別だったんじゃないか)
甲冑の魔法に気が付き、みんなを助けようとしたのが響花だった。
けれど俺が見たのは、響花が見たのとは違う謎の光。じゃあ、あれは一体?
その些細な勘違いが、気色の悪いくらい引っかかる。
『ようやく気が付いたかい。ずっと呼んでいたってのに』
その時だった。
こんなに緊迫した状況とは場違いの、あまりに朗らかで、軽薄な女性の声が聞こえてきたのは。視線だけでそちらの方向を向くと、夜が立っていた。
『おはよう朽咲芥。まだ、死ぬにはちょいと早いよ』
その大海のような瞳が、俺を見ていた。
漆黒のドレスの上には星空をばらまいたかのような白い斑点が生まれていて、腰のあたりまで伸びる長髪は毛先に行くにつれ明るくなる。
まるで夜明け前がそこに立っているような、そんな女だった。
声が出ない。その卓越した美しさによるものか、理解のできない状況に対してかはわからないが。
『うーん、と』
人形がそのまま喋っているような異様に整った顔で、それは笑いかける。
『状況説明が必要かい?』
「……欲しい。なんで俺は、まだ死んでない?」
『私が時を止めたから』
さぞ当たり前、と言った様子で、それは理不尽を呟いた。
「え」
顔を前に向ける。
甲冑は、剣を振り下ろし始めた体勢のまま停止している。俺を破壊しようとする魔法も眼前でピタリと止まっていて、写真越しに景色を見ているようだった。
それだけじゃなく、飛んでいった鳥も、風で揺れた葉も、真っ青な顔をして何かを叫んでいる響花さえも動くことがない。
『厳密に言えば意識が超加速しているだけなんだけどね』
「事故る前とかに景色がスローモーションになるみたいな」
『あぁそれそれ。そんな感じだと思ってくれていい』
この感覚に、少し身に覚えがあった。
小さい頃、自転車で下り坂を爆走してた時にすっころびかけた瞬間。恐怖と緊張感の中で、体感時間だけが引き延ばされる感覚だ。
方法は知らないが、彼女はそれを引き起こしているらしい。
『ひとまず自己紹介から。私はイラリア・フィアノール・リリス。黎明の魔王にして、世の終焉。気楽にイラリアちゃんと呼んでくれ』
本当にただ自己紹介をするように、彼女は意味のわからない言葉を吐いた。可愛らしい微笑と文章のギャップで頭が痛くなる。
「……え?」
それに、魔王。
「お前は魔王、なのか?」
『うん。最高最善にして、魔族を統べる者の一人。末席だけどね』
「おえ」
情報量が増えて最早吐き気が込み上げてきた。
魔王こそ、例外。魔物の中で唯一言語を喋ることを許された、最強の怪物。
ダンジョン発生後に一度だけ現れ、アメリカの人口、その四割を殺害した未曾有の災害。
その仲間だっていうのか、この女が。
『そんな身構えないでよ。魔王だからって殺戮が趣味なわけじゃない。私は、君と交渉をしに来たんだ』
「交渉?」
そう、と嘘くさい笑いを浮かべながら、彼女は甲冑を指差す。
『とりあえず、このままなら君は死ぬ。あの剣で切り裂かれてお亡くなりだ』
「……」
それはわかってる、と視線で促すと彼女は話を続ける。
『私は君を助けられる。あの騎士をぶっ飛ばして、ここを生き残る力を与えられる』
「マジか」
『うん、大マジ』
降って湧いた幸運に、今までの疑念が無くなる。ここを生き残れるなら、響花を守れるなら俺はなんだっていい。
『代償は』
「後で聞く」
食い気味に答えた俺に、呆れて魔王は肩をすくめた。
『命、とでも言ったらどうするつもりなの?』
「それでも、後でいい」
ここで勝たなきゃ、何があっても響花は死ぬ。なら、どんな代償でも意味がない。それを払わなきゃ、最悪の結末しかないんだから。
「どんなに重い代償だって、最悪の種類が変わるだけだ」
『あはは、イカれてるよ。君』
「それしかない」
魔王だってわかっている筈だ。
俺に、選択肢なんてない。
『わかっていたって、リスクが怖くなるものだよ。普通ならね』
含みのある表情を浮かべながら、彼女が俺の頬に触れる。氷に触れたかのように、鋭い冷たさが走った。
もう一度目を合わせて、魔王は問いかける。
『後悔しないね?』
「あぁ」
『それじゃあ』
意識の加速が解かれる。
等速に戻っていく世界の中で、悪辣で美しい顔の彼女が告げた。
『勝とうか、相棒』
◆
「だ、め!!」
響花の痛々しい悲鳴が響く。
自分も血だらけで、声を出すだけで肺が裂けるように痛い筈なのに、それさえ忘れて彼女は叫んだ。
嵐が巻き起こる。
甲冑の魔法によって砂が巻き上げられ、小規模の竜巻がいくつも発生した。ただでさえ壊れていた校舎に暴風が突きつけられ、窓ガラスが弾け飛ぶ。
災害。
そのど真ん中で、甲冑は呟いた。
『……小僧、お前だったか。本命は』
嵐が晴れる。
そこに立っていたのは、一つの影。
命を食い荒らす竜巻の中から、朽咲芥が立ち上がる。弱々しい立ち姿だというのに、甲冑は目を逸らせなかった。
冷や汗が伝う。
間に合わなかったと、知ってしまった。
『起きてしまったか、黎明』
◆
『おはよう。私の天敵、私の騎士』
「知り合い?」
『……いいや、赤の他人さ』
確実に嘘をついている魔王だが、それを気にしている暇は無かった。あんな強大な魔法を、彼女は触れるだけで防御したのだ。
『気を抜くなよ。私の力も無敵じゃない』
「りょう、かい!」
体に溢れる力に従って、一気に走り抜ける。数メートルの距離が一瞬で潰れ、突き出した片手剣が鎧を引き裂いた。
『く、うっ!』
「余裕がないなぁ!騎士さま!」
煽りを口にしてみるが、俺も必死だった。
急に体にジェットをつけられたら、人はまともに歩けない。魔王が与えた力は、それくらいのエネルギーを持っていた。
踏み込んだ途端大砲のような瞬発力で体が走り出す。制御をミスれば、地面に顔がすりおろされるだろう。
(ミスらなきゃ、いい)
足先に神経を集中しながら、甲冑に乱撃を仕掛けていく。大剣で何度も防がれるが、それでも構わず押し通す。
『攻撃を続けながら聞いてくれ。相手の隙をついて、体がくっつくくらいの距離に入れるかい?』
「入れたら!?」
『勝てる』
「なら、死んでも、行く!」
大剣とは思えない速度で振り下ろされた三連撃を抜き去り、前へ。弾丸のような蹴りを捌き近づこうとするが、甲冑に下がられる。
(警戒されてるな。なら、もっと)
相手の予想を超えろ。
もっとイカれて、思考の外側を突き抜けてみろ。響花を救うために、全部捨てろ。
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