絶望
「が、あ」
目が覚めた瞬間に襲ってきたのは、泣きだしてしまいたいほどの痛みだった。
瞼も開いていないのに、全身の痛みがあまりにひどくて、もう一度気絶してしまいたくなる。だが、悲鳴を上げる体を無理やり引きずって体を起こした。
「……は?」
そこで目にしたのは、壊れた教室だった。
崩れた天井から日の光が差しこんで、崩れ落ちた床からは下の階が見える。机が吹っ飛んでいたり、真ん中からへし折れていたりするのが、どれほどの衝撃が襲ってきたのかを訴えている。
人は、誰も見えない。
その瞬間、同時に二つの想像が襲い掛かってくる。一つは、みんなが響花の指示に従って、もう逃げているという想像。そして、もう一つが──
「みんな、おい」
返事はない。
溶けかけた窓から外を見ても、生徒は誰一人としていない。
「待ってくれよ、なぁ」
もう一つの想像が、一気に色濃くなる。
俺が意識を失った瞬間に見たのは、優しく微笑みながら何かを唱える響花の姿だった。そして、彼女は「覚醒者」だ。俺を守るために、彼女が何らかの魔法を使っていたとしたら。
それに守られた俺だけが、生き残ってしまったなら。
何故か冷静に回りだした脳みそが、最悪の結末を何回も想像させてくる。
「……?なんだこれ」
現実逃避するようにふと視線を下に逸らすと、俺のすぐ側に何かがおいてあった。それは一言で言えば「ビー玉」。透き通るように光を反射させる部分と、鈍く煌めく緑色のマーブル模様が映し出されていた。
「『魔石』、なんでここにあんだよ」
それを、俺は知っていた。
ダンジョンで見つかった宝物の1つで、このビー玉を砕くことによってさまざまな効果が発揮する。力が増したり足が速くなるようなものがあれば、砕くだけで炎を出したり雷を放ったりという魔法を使えるものもある。
そして、緑は「回復」。
打撲や切り傷は即座に回復し、ひびの入った骨なんかも直すことができる便利なアイテムだったはずだ。
魔石を持ち上げると、その下からぺらりとメモ用紙が現れた。
パステルカラーで可愛らしいキャラの顔がついているそれは、鏡花がよく使ってる文房具だ。
『使って。にげて』
「っ」
息が詰まった。
いつもの丁寧な筆跡とは真逆。書きなぐるような文字だったが、それは確かに響花の言葉だった。
「こっちだよ!間抜け!」
『よく吠える女だ』
そのメモ書きに気づいたのと同時に、声が聞こえた。
校庭の真ん中に、彼女がいた。夕暮れを思わせるようなオレンジは、どす黒い血で染まっている。陶磁器を思わせるほどきめ細かい肌には、いくつもの切り傷が刻まれていた。
相対するのは、黒。
黒色の甲冑を纏った、2mは超えるであろう大男だった。片手にはこれまた巨大な剣を持っていて、血しぶき一つ付いていないその刃は見惚れてしまうほど美しかった。
(ま、魔物?でも、さっき言葉を)
魔物は言葉を話さない。
魔物は魔法のような力を持っているだけで、普通の生き物に近いというのが普通の認識だ。
個体によって賢いとか学習能力がないという違いはあるが、人の言語をしゃべることは──たった一つの例外を除いて──ありえない。
でも、あれが人間だというのも納得できない。
学校を襲う理由がわからないのもそうだし、あんな禍々しい雰囲気を纏っているのが人間だとは思えなかった。
見ているだけで心臓が高まって、冷汗が止まらなくなる。うまく呼吸ができず、冷水におぼれているような気持になる。
こんなのが、人間であっていいはずがない。
「いかなきゃ」
ゆらゆらと、おぼつかない足取りで歩き出す。
手に持っていた「魔石」を砕くと、全身から痛みが引いた。
逃げるにしても、戦うにしてもここから移動しなきゃ始まらない。そう思い立ち、無茶苦茶になった学校の中を歩いていくのだった。
◆
一方そのころ、藍空響花は久しぶりの殺し合いに挑んでいた。
(あ~、きついな)
だが、体が重い。
魔物と戦うのなんていつ振りかもわからない。あの日、ダンジョン配信を辞めた日から魔法も使っていなかったし、戦闘なんてもってのほかだ。だから、勘が鈍っている。
(でも、それだけじゃないな)
相手を観察しながら、細かく息を吐く。
(こいつ、強い)
立ち姿からして違う。この甲冑は力を振り回すだけの魔物ではなく、「技」がある。だらりと構えながらもそこに一切の隙はなく、鏡花が無理に切り込めば簡単にカウンターでその首を撥ねるだろう。
思い出されるのは、いくつもの激闘。
ダンジョン配信をするなかで、彼女は何回も命の危機に陥ってきた。
トラップに嵌められて数十の魔物に囲まれたり、「死神」と呼ばれるモンスターに襲い掛かられたりと、苦い思い出ばっかりだ。
その中で、今の状況に近いものがあった。
「……主」
『如何にも。私は、迷宮を束ねる主である』
各ダンジョンに一体存在する、ゲームでいうところのボスだ。
迷宮の規模にもよるが、基本的に熟練の覚醒者が四人いて相手になるレベル。それでも勝てるかはわからないし、無様に全滅する可能性も高い。
(その上、言語を話すイレギュラーね。最悪)
そう思いながらも、走り出す。
この場に朽咲芥がいたなら、彼女の姿を見失っていたことだろう。
響花が踏み抜いた途端に校庭の砂がはじけ飛び、自然に生まれた煙幕の中を彼女は疾走する。
『ふむ、
(ここ)
甲冑の死角を突いて拳を振るうが、簡単に受け止められる。
まるでそこに攻撃が来るとわかっていたかのように、手のひらで受け止められた。
『軽い』
「武器がないんだよ、急に仕掛けてきたから、さぁ!」
フェイント、フェイント、まっすぐ。
足がちぎれそうになる勢いで緩急を付けつつ、様々な方向から打撃を仕掛ける。
相手が言っている通り、武器がない以上いくら攻撃しても有効打にはならない。
響花もかつては武器を使っていた。
振るうだけで風の斬撃が飛び、切れ味も一級品の短剣を持っていたのだが
(でも、さすがに学校に武器は持ち込めないし)
『こちらからも征くぞ』
甲冑が動く。
振り上げた大剣に、紫紺の魔力がまとわりつく。
「まっず」
これこそ、学校を破壊した攻撃。
今響花の体についている傷も、この魔法によってついた。響花は反射的に回避行動をとるが、それを読み切った甲冑はわずかに剣先を傾ける。
響花の回避、そのステップの先へと。
『喰らえ』
「
咄嗟に魔法を展開するが、遅い。
響花が生み出した半透明の膜を食らいつくすように、黒い斬撃が蠢く。
はじめは巨大な一撃だったそれが細かく分裂し、残虐に敵を破壊する。息をする暇もなく魔法の防御は砕け散り、斬撃が響花へ迫る。
(あ、ダメだこれ)
びた、と世界が止まった。
すぐそこに迫った死に、彼女は何もできなかった。
(……私が死ぬのは、まぁいい。覚悟はしてた)
走馬灯のように、勢いよく思考があふれ出してくる。
彼女は恐怖してはいなかった。ダンジョン配信を始めると決めたとき、仲間が致命傷を受けて動けなくなったときに、死への覚悟は決めていた。
だから、怖いのはそれじゃない。
(逃げ切れたかな、芥)
脳裏に浮かんだのは、幼馴染のことだった。
友達がいなくて、ひねくれてて、いっつも一人でいる友達。
でも、困っている人を見捨てられなくて、私の配信を見てはずっと心配してくれてて、あったかい気持ちで溢れてる私の親友。
ちゃんと逃げてくれたかな。
ちゃんと、生きてくれるかな。
そう思いながらも、響花は確信していた。
(多分、助けに来ちゃうんだろうなぁ)
◆
「っ、はぁ、はぁ」
動悸が止まらない。たくさんのことを考えているはずなのに、その全てが濁流にのみこまれては消えていく。自分がどこに立っているのかさえ、定かではない。
響花の言葉に従って逃げようとした途端に、轟音が響いた。
地鳴りを百倍にしたような、怪物が唸るようなその音につられて、校庭を見てしまって。いつの間にか、俺は走り出していた。
「きょう、か」
「……えへ、やっぱ来ちゃったか。だめ、なのに」
彼女は、喋っているのが不思議なくらいだった。
俺と同じ制服は傷ついていないところが見つからないくらいに切り刻まれていて、顔は死者のように白い。何とか内臓が出るのは防がれているが、いつ死んだっておかしくない。
「……ごめんね、私が、弱くて」
「……あ、あぁ、あ」
咄嗟に彼女の手を握ろうとしたとき、遠くから声が響いた。
響花の血に濡れた大剣を持ち、ゆったりとこちらに近づいてくる影が、あった。
『なんだ、小僧』
「…………お前、だよな。これやったの」
考えるより先に口が動く。
心臓の位置が明確にわかるくらい、どんどんと脈打っていた。
『如何にも』
「そうか……そっか」
頭の冷静な部分が叫ぶ。
逃げろって。今からでも間に合うかもしれないから。響花を捨てて逃げれば──
「うるせぇよ」
頭の中で喚く俺を握りつぶして、彼女を庇うように立つ。
脳内の、激情的な部分は叫んでいた。こいつを許しちゃいけないって。
「殺してやる」
『その意気や、良し!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます