壊国女王

二島誠一

第0話 1999年7月18日

 坂の上には、うっすらと陽炎が見えていた。

 重たいカメラと地図とファイルの入ったリュックサックを背負いながら、俺はゼエゼエと荒い息を吐いた。その一方で、同じような格好をしている教授は、ひょいと軽い足取りで坂道を歩いて行った。

「ほほ。大分、きつそうじゃのう」

 ひょこっ、ひょこっ、と左右に動く尻尾が、俺の様子を楽しんでいるみたいだった。

「……せ、せんせえ。なんでそんなに元気なんスか」

「年の功じゃよ。ま、君もいつかは分かるじゃろう」

 よく分からないはぐらかしに遭いながら、俺は必死に教授の後を追いかける。前に見た地図では、この坂の上にお目当ての家があったはずだ。

 心臓破りの坂の果てには、ズラリと邸宅が並んでいた。いわゆる、高級住宅街と言われる場所なのだろうが、最近の、というよりは昔からある名家が軒を連ねているような感じだ。家々の築年数は明らかに古く、年季の入った母屋や土蔵が高い塀の上から見えている。

「ええと、今日の家は……」

「ほほ。あの、白い家じゃろ」

 リュックからガサゴソと地図を出そうとする俺を尻目に、教授は今いる位置から数軒先の家を指さした。引っ張り出した地図を見ると、確かにそこの家が目当ての家だった。

「……すごいっスね。記憶してるんスか」

「ほほ。年の功じゃよ」

 さっきと似たようなはぐらかしをしながら、教授は目的地に向かって歩き始めた。遠くでセミの鳴き声がしている。首筋に滴り落ちる汗を拭い、俺も後に続いた。

 それは、立派な門構えの家だった。車一台が余裕で通れるくらいの鉄扉の脇に『ヘルリッヒ』というビーベル語で書かれた表札が目に入った。インターホンを押すと、しわがれた声で「どちら様ですか」という声が聞こえた。

「失礼します。先日、ご連絡した首都総合大学国際歴史学部のボン教授と、助手のイェムと申します」

「ああ。少々お待ちください」

 そう返事があると同時に、ビー、という低いブザー音と共に鉄扉が音を立てて開いた。

「ほほ。では、入るとするかのう」

「いいんですかね」

 俺たちが入ると同時に、鉄扉が音を立てて閉まる。白いコンクリートで舗装された一本道が、遠い本館まで続いている。ざっとした見立てでは、数百メートルはあろうかと思われるくらいの距離だ。左手には大きな池があり、右手は幾つかの倉庫になっている。敷地の植木は季節ごとに色々な花が楽しめるように種類が豊富であり、何人かの使用人が手入れをしていた。

「……すごい金持ちですね」

「ほほ。帝政時代からの名家ともなると、このくらいの規模はあるものよ」

 俺が感嘆しながら道を歩いていると、遠くから小型車が一台やってくるのが見えた。暫くして、運転手の顔が見えるくらいまでの距離になって、先ほどのインターホンの主だと理解した。

「どうも。迎えが遅くなりました」

 目の前で車を停め、地味だけれども良く仕立てられた背広を着た男が降りてきた。眉間に深く刻み込まれた特徴的な皺は、この人物こそが、この館の主人であるヘルリッヒ・フェルンメであることを示していた。

「ほほ。わざわざ、来ていただけるとは、身に余る光栄ですなあ」

「とんでもございません。わざわざ、こんな辺鄙なところまでお越しくださる客人に対し、礼を尽くすのは当然でございます」

 見た目に違い、フェルンメは腰が低かった。それに対し、一介の学生でしかない俺は、恐縮してしまう。ガチガチになりながら握手をしたが、フェルンメの手は、冷たく、固かった。

「ボン教授は、ビーベル史の第一人者と伺っておりますが、こんな館に何の用があるのでしょうか」

 小型車を運転しながら、フェルンメは教授にそんなことを尋ねた。

「ほほ。最近、『消えた二十年』史の仕事に取り組んでおってのう。ほれ、18世紀後半の、帝政に入る直前の頃じゃよ。中学校でも出てくると思うのじゃが」

「ああ、それは知っています。そういえば、我が家もそのくらいから系譜が始まっております」

「そうじゃろう。それで、長年、史資料が乏しいこの時代は、研究が進んでおらなんだのじゃが……。最近、19世紀前半に『ビーベル歴史大全』という叢書が編纂されていたことが分かってきてのう。それで、お主のところの六代前のステイルン卿の頃は、熱心に祖国史編纂に関わっておったと聞いているのじゃが」

「そうですね。私はよく知りませんが、そのような話は叔父がよくしておりました」

「そして、ステイルン卿を始めたとした学術グループが『ビーベル歴史大全』を残しした可能性が高いということを突き止めてのう」

「ああ。それでしたら、関連するものは第二倉庫に全て――」

「本当かのう⁉」

 フェルンメの発言に教授が目を輝かせて身を乗り出す。「うおっ⁉」と俺とフェルンメは身をのけぞらせた。小型車が不自然に、左右にスピンした。

「教授、危ないっスよ!」

「す、すまん。あまりにもあっさりと重要なことを言うもんじゃから、つい」

「すみません。それほど、重要なものだと知らなくて……」

 フェルンメが言うところによると、歴代の当主の遺品や著作物は、何棟か建てられている倉庫に保管されているのだという。家具や大型の物は、処分したり売却したりするそうだが、著作物なら確実に保管されているらしい。

「なるほどのう。それならば、歴史大全に関連する史資料が残されていてもおかしくないのう」

「そうですかね。私は、第二倉庫に入ったことはほとんどないのですけど、大量の書物や手紙が収められていたとは思います」

 そんな話を聞きながら、教授はグフフ、と気持ちの悪い笑みをこぼしていた。研究ジャンキーなので、歴史の話になると、この人は数倍アグレシップになり、数十倍変態になる。

「そうと聞けば、居ても立ってもおれん。フェルンメ殿、今すぐに第二倉庫に案内してくだされ!」

「え、ええ。まずは、お茶をと思っていたのですが……」

「そんなものは、調査中に差し入れてくだされば十分ですじゃ! 儂は、今すぐにでも調査を始めなければ気が済まぬのじゃ!」

 今、おもてなしのことを「そんなもの」と言ったのか、このジジイは。と、思いつつ、俺は二人のやり取りを黙って聞いていた。結局、フェルンメはこの研究狂を、直接倉庫に案内にすることにした。

 第二倉庫は、本館の西手に並んでいる大きな倉庫群の一つだった。俺たちが入ったときに見えた倉庫の、更に奥に建てられていたものだった。どれだけ広いのか……というのは今更置いておくとして、倉庫だけでも五棟あるらしい。一つくらいそこに住み着いてもバレないのではないだろうか。

 フェルンメは俺たちを倉庫前に待たせた後、本館から、手のひらサイズの鍵が幾つも連なっているキーリングを持ってきた。「これかな?」「あれか?」と暫くガチャガチャと幾つかの鍵を試した後、とある鍵の番でガチャン、と解錠される音がして、倉庫の扉が開いた。

「あ、開きました。これで中に――」

「ふぉおおおおお‼ お宝じゃー‼」

 言うが早いか、風のように教授は倉庫の中へと消えた。

「……すいません、うちの教授がご迷惑をおかけします」

 俺が恐る恐る詫びを入れると、フェルンメは苦笑しながら、首を左右に振った。

「いえいえ。どうせ、ここにあっても朽ちていくだけですから。少しでも陽の目を見られるなら、先祖も喜ぶと思います」

 な、なんて、できた人なんだ……! と、俺は心の中で感涙した。

「おい、イェムよ! 見てみよ、早速、ソネリーの手紙があったぞ‼」

「あんたは、少し黙ろうか」

 俺は嘆息しながら、白手袋をはめ、倉庫の中へと足を踏み入れる。倉庫は二階建てになっており、一階も二階も、所狭しと紙の山がうず高く積まれていた。

「これは、久々の……いや、世紀の大発見じゃな‼」

 パシャパシャと写真を撮りながら、教授は興奮しっぱなしだった。

「そういえば、ソネリーの手紙が多いですね。この辺は」

 紙を一枚一枚確認しながら、俺はそう呟いた。状態はやや悪いが、ステイルン卿がビーベルにまつわる史資料を収集していたのは確実だったようだ。その中で『消えた二十年』に関する史料も大量に保管されていた

「それもそうじゃのう。ま、この家自体が、ソネリーに極めて近い家系の家と言われているからのう」

「あ、そうだったんですか。ソネリーって、子孫がいたんですかね」

「ま、そこら辺は定かではないが、こうしてみると、その説も有力なのかもしれぬのう」

 ほくほく顔で、教授は答えた。

 ソネリー。それは、ビーベル史の通史では、たった数行でしか記されたことのない女帝の話だ。


「スタンビル帝の死後、パシュトゥア諸侯国はソネリー帝を選定し、十五年ほど統治の時代が続く。だがその間、北方帝国による侵攻やヘウスト教の異端騒動などにより、諸侯国の政情は不安定化した。1800年にソネリー帝が謎の失踪を遂げた後、北方に逃れていたオーボン帝が諸侯国を一気に掌握し、即座にビーベル全土へ侵攻した。これをビーベル統一戦争(1800~1803)という。この戦争の後に、100年に渡るビーベル帝国の歴史が幕を開けるのである」


 俺が読んだことのある、どの歴史書にもこのように記されている。そして、そのあとの記述も大体同じだ。


「なお、スタンビル帝からオーボン帝の間の記録は、諸侯国の混乱期だったこともあり、史資料が極めて少ない。そのため、ソネリー帝を始めとする諸侯国の詳しい歴史は、ほとんどが不明である。ちなみに、1780年から1800年までの20年間は、『消えた二十年』と一般的に呼称されている」

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