第9話 花子

藍の匂いは、思っていたより静かだった。


強くも、甘くもなく、湿った土と、少しだけ草の青。


花子は、生徒たちの後ろに立ち、説明を聞いていた。


「今日は、刈り取りからやります」


前に立つ染師が言う。


低めの声。通るけれど、張らない。


花子は、その言い方に、引っかかる。


――無理に、前に出ない声。


刈り取りが始まる。


生徒たちが、恐る恐る葉に触れる。


「冷たい」

「色つく?」

そんな声が上がる。


染師は、一人ひとりを見て、必要な分だけ答える。


「強く握らなくていい」

「手袋してもいいよ」

「あとで洗えば落ちるから」


最後の一言で、一人の生徒が、ほっと肩を落とした。


花子は、その様子を見て、胸の奥が、わずかに緩む。


――ああ。


――この人は、知っている。


作業の合間。


花子は、染師の手を見る。


濃い藍。爪の際まで、迷いなく染まっている。


でも、隠していない。


花子は、一歩、近づく。


「……手、すごい色ですね」


声が、少しだけ遅れる。


染師は、一瞬だけ目を伏せ、それから、普通に答える。


「今、いちばん濃い時期なので」


言い訳でも、誇りでもない。


事実として。


花子は、その言い方に、懐かしさを覚える。


「昔」


言いかけて、止める。


染師が、続きを待つように、視線を向ける。


花子は、小さく息を吸う。


「……生徒に、似た子がいて」


それだけ言う。


染師は、すぐに踏み込まない。


「そうなんですね」


それだけ。


花子は、少し驚き、少し安心する。


――あのときと、同じだ。


――無理に、話させない。


作業が終わり、生徒たちが手を洗いに行く。


二人だけが、畑に残る。


風が、藍の葉を揺らす。


花子は、意を決して言う。


「……メグ、って」


染師の肩が、ほんの少しだけ動く。


振り返る。


「あ」


短い声。


それだけで、十分だった。


花子は、笑う。


「やっぱり」


メグは、少し困ったように、それでも、逃げずに言う。


「……分かります?」


「うん」


即答する。


「手で」


一拍。


メグは、青い手を見る。


「昔は、見られるの、苦手でした」


花子は、うなずく。


「私も」


それだけ。


それ以上、言わない。


言わなくても、もう、分かる。


遠くで、生徒の声がする。


「先生ー!」


花子は、そちらに向かいながら、振り返る。


「また、来ます」


約束でも、計画でもない。


ただの、事実の予告。


メグは、少し考えてから答える。


「……はい」


その声は、はっきりしていた。

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あのとき、言わなかったこと @MostGdanski2

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