第五章 朝の光景
スマートフォンに設定してある目覚ましのアラームによって、僕は叩き起こされた。
寝惚け眼でアラームを止め、しばらくベッドの中でグズグズする。だが、いつまでもこのままだと、いずれ茂が部屋の中へ突入してくるだろうから、きりをつけて起きなければならない。親は自室に侵入させたくないナンバーワン候補である。
僕は冬眠から目覚めた穴熊のような、のっそりとした動きでベッドから出ると、その場で大きく伸びをした。
体が少しだるい。睡眠不足というほど夜更かしはしていないので、気分的なものかもしれない。
僕はカーテンを開け、残暑が残る日差しを浴びた後、一階へと降りた。
居間では、エプロンを着けた茂が、朝食の準備をしていた。孝雄とカナの姿はない。カナは相変わらず寝坊か。
「おはよう茂さん」
僕は、茂へ挨拶をし、椅子に座る。茂は僕の目の前に出来立ての朝食を並べながら、それに応じた。
「おはよう。孝雄さんはもう出たよ」
僕は、孝雄がいつも座っている席を見た。すでに空になった食器が並んでいる。孝雄は最近、仕事が忙しいらしく、朝が早い。そのため、朝食を一緒にとる機会が減っていた。
孝雄は、横浜市内にある商社に勤めている営業マンだ。茂は専業主夫なので、出勤はない。
「カナちゃんは?」
朝食を並べ終えた茂が僕に訊く。僕は首を振った。
「さあ。まだ寝てるんじゃない?」
茂は、咎める表情を僕へ向けた。
「もう。起きた時は、ついでにカナちゃんも起こしてっていつも言っているじゃないか」
僕は、ベーコンエッグに手をつけながら、茂の抗議に反論する。
「いちいち面倒だよ。カナに文句言ってよ」
朝の貴重な体力を、わざわざ妹のために使いたくはなかった。
茂はその後も、ぶつくさと文句を言っていたが、やがて、僕が頑なに動こうとしないことを悟ったらしく、自分で二階に上がり、カナを起こしてきた。
まだ夢の中にいるような様子のカナも、食卓に着き、共に朝食を食べる。
カナより先に朝食を終えた僕は、登校の準備を行い、茂に声をかけて家を出た。
朝日が照りつける中、上大岡駅を目指す。この辺りは閑静な住宅街なので、人通りは多くはなかった。
地面にスクールゾーンと書かれた通学路上をしばらく歩く。やがて小さなT路地に差し掛かった。そこにあるコンビニの手前を左折すると、京急の大きな建物が目の前に見えてくる。
僕は、そこに向かって進んだ。
京急の駅構内へいつも通りの時間に到着し、改札口を通過する。もうすでに周囲は通勤通学の人間で溢れ、祭りのように混雑していた。
僕は、三番線乗り場で列車を持つ。その間、スマートフォンをチェックした。
タクヤからLINEのメッセージがきており、僕はそれに目を通す。タクヤのメッセージの内容は、朝の挨拶と、デートについての話だった。昨日のデートが楽しかったことと、また今度デートをしようとの誘いである。
学校に着けば、いつでも会えるので、このタイミングでデートのアプローチは必要ないかのように思えるが、昨日の若干の気まずい雰囲気から、デジタルで思いを伝えるようにしたようだ。
僕は、少しだけ迷った後、それに好意的な返事を行った。僕がいくら異性愛者といえど、タクヤとのデートは決して楽しくないものではない。何より、付き合うことを了承し、彼氏となっているのだ。無下にはしずらかった。
タクヤへLINEの返信を終えたところで、赤い車体の列車がホームへと滑るように入ってくる。
僕は、他の大勢の乗客に飲まれながら、その列車に乗り込んだ。
僕の通う横浜布津高等学校は、南太田地区にある県立の高校である。男女共学で、これといって、特色するべきものがない平凡な学校であった。強い部活も存在せず、神奈川県下の高校偏差値ランキングにおいても、可もなく不可もないという、何とも微妙な立ち位置を保持しており、『布津(普通)』過ぎる高校として揶揄されるほどだ。
大学進学率も並であり、ごく一部の有名大学への進学者もいれば、Fラン大学へ堕ちる者もいる。就職者もいて、ある意味、卒業後の進路は豊富であった。僕自身は、カナのように、それほど成績が悪いわけではなく(かといって、良いわけではないが)卒業後は、横浜市にあるそこそこの私立大学へ進もうと考えていた。
上大岡駅を出発して十五分程度が経ち、僕の乗る列車は、布津高校最寄の南太田駅へと到着した。
ホームへと降り、階段を下って、南側にある駅口から県道218号線へと出る。そこから道沿いに、高校のある南区へ向かう。周囲は、通学ラッシュのせいか、布津高校の生徒たちがチラホラ目についた。
県道をしばらく進むと、首都高の高架下を通過する形になる。その先にある小学校横を通り過ぎれば、布津高校は目の前だ。
布津高校へ辿り着いた僕は、石で造られたフラット・アーチ型の校門をくぐり、校内へ足を進める。
校門内側の広場には、カラフルなパネルや、やぐらのような物体がいくつか置かれてあった。これらは、来週ある文化祭のためのゲートである。当日これを料金所のような形に組み立てて、校門に設置するのだ。
僕は、広場を通過し、パルテノン神殿を思わせる洋風の玄関から、学校の中へと入る。
下駄箱で上履きに履き替え、二階へと上った。そして、階段すぐ近くにある二年一組の教室へ足を踏み入れる。
教室はすでに、半数以上の生徒が登校を終えていた。各々、グループを作り、お喋りに花を咲かせている。タクヤもその中におり、クラスメイトの
クラスメイトたちが発する喧騒の中、僕は後ろのほうにある自分の席へと着く。タクヤは僕が登校してきたことに気づき、アキトたちのそばを離れ、こちらに歩いてくる。
僕の目の前まできたタクヤは、いつものように、綺麗な笑みを向けた。だが、それは、少しだけぎこちない気がした。昨日の気まずさを、若干引きずっているのだろう。もっとも、それは、僕も同じであったが。
「ハヤト、おはよう。デートの誘い、受けてくれてありがとうな」
僕は、タクヤの端整な顔を見つめ、首を振った。
「ううん。僕もデートを楽しみにしているから、誘ってくれて嬉しいよ」
僕の肯定的な返答に、タクヤは、安心した表情をする。機嫌を損ねていないか、不安だったようだ。
「そうか。良かったよ。それで、行きたいところあるか?」
会話が普段通りに戻り、僕も安心する。
僕は答えた。
「うーん、僕はどこでもいいよ」
これは本音だ。特に行きたいところはない。強いて言うなら、昨日とは別のホラー映画を観たいくらいかな。
僕がそれを伝えると、タクヤは少し渋る顔をした。やはり、ホラーものは苦手らしい。
「うーん、それもいいけど、映画を観るなら、次は恋愛ものにしようぜ」
タクヤは、今話題の恋愛映画の名前を挙げた。身分違いの女性同士による愛の物語。よくある王道ストーリーの映画だ。有名な女優を起用していることもあるが、人気があった。
僕からしてみれば、他の恋愛映画やドラマとストーリー的に大して変わらないと思うが、人はそのような正統派の物語を好むものらしい。
僕は、小さく笑うと、冗談めかしてタクヤに言う。
「何でもいいって言ったくせに」
タクヤは、あたふたと手を振った。
「いや、でもホラーを続けて観るのはきついよ」
「やっぱり無理してたんだ」
「ハヤトの希望だったからな」
「じゃあ今度も行こうよ」
「それは勘弁」
冗談を交えた押し問答に、僕らは、同時に噴き出す。そんな僕らの元へ、アキトとサヨコがやってきた。
「朝から、いちゃいちゃして。妬けるね」
アキトは、細い目をさらに細くし、囃子立ててくる。アキトは最近、彼氏に振られたらしく、今は傷心中の身だ。発言は冗談そのもだが、少なからず、本心が含まれているように感じた。
「南君、彼氏に振られたからって、嫉妬しない」
サヨコもそれを感じたのか、指摘する。サヨコも、アキトが振られた話を知っていた。というより、クラス中のほとんどの人間が周知のことである。
人の口に戸は立てられぬという慣用句が示す通り、見聞というものは凄まじい速さで広まっていくのだと、僕はアキトの件でまざまざと見せつけられた気がしていた。
「サヨコ。アキトも今は落ち込んでいる時期だから、無理に責めるな」
タクヤは、堂々とした様子で、サヨコに忠告する。サヨコは、我の強そうな顔を意地悪そうに歪め、アキトに目をやる。
「そうよね。あまり責めちゃかわいそう」
アキトはしょげた。
「何だよ傷つくなー。それに、タクヤの上から目線もムカツク」
アキトのむくれた様子が面白く、僕とタクヤは顔を見合わせて、笑い合う。
その時、教室の後方にある入り口から、一人の女子生徒が室内へと入ってきた。僕は、それを目の隅で捉える。
ユカリは、入り口近くにいたクラスメイトの友人へ声をかけている。ユカリは、ショートボブの髪をかき上げ、猫を思わせる小さな顔をほころばせた。子供のように可愛らしい大きな目が、細くなる。
僕は、ユカリから目線を逸らした。顔が赤くなっていないだろうか。ふと、心配になり、僕は、目の前の三人の様子をうかがう。
だが、三人とも特に変わった反応を示してはいなかった。ほんの少しの間だったためか、僕がユカリに目を奪われていたことも気づいてないようだ。
僕は三人と会話を続けながら、時折、ユカリに視線を向けていた。ユカリは、僕たちや他の生徒と同じく、楽しそうに友人と談笑をしている最中だ。しかし、ユカリがいる部分だけが、特別に光り輝いているような気がした。
無意識に、僕の目はその姿にフォーカスされてしまう。
すぐ目の前に、付き合っている彼氏がいるにも関わらず、僕はその恋慕の情を抑えることができなかった。タクヤに失礼だと思う。異性愛者だと隠しているだけでなく、本当に好きな人はクラスメイトの女の子なのだ。タクヤがこの事実を知ったら、屈辱すら受けるかもしれない。
だが、それでも、僕がユカリを好きだという気持ちには――人を好きになるという気持ちには――嘘をつくことができなかった。
これは、人として当たり前の感情ではないかと思う。たとえ、相手が異性だとしても。
やがて、始業のチャイムが鳴った。ほぼ同時に、担任の
ユカリも友人たちの元を離れ、自分の席に着く。この席は後方にあるため、ここからは、クラスメイトたちの動向がよく見えた。
僕は、まだときめく胸を保持したまま、ユカリから目を逸らし、教室の前方へ目を向けた。
次の更新予定
2026年1月2日 18:00
虹の彼方に ~もしも同性愛と異性愛が逆転した世界なら~ 佐久間 譲司 @sakumajyoji
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