第四章 ネット記事
二人から絞られた僕は、自室へと戻った。電灯を点け、そのまま勉強机に座る。
机上には、ケント紙とイラストを描くための色々な道具が載っていた。
僕は、ケント紙に目を落とす。そこには、人気アニメのキャラクターが描かれており、ラフ画まで完成していた。これから下書きを行い、その後ペン入れと進んでいく。
僕は、自身が通う高校のイラストレーション部に所属していた。元々、イラストに興味があり、また他の部活とは違って、比較的マイペースで参加できるため、この部を選んだのだ。
マイペースで済むとはいえ、決して楽ができるわけではない。毎月『部誌』を発行しており、それに合わせてイラストを仕上げる必要が出てくる。そのため、夏休みの間も、部誌作成の打ち合わせなどで、学校に赴く必要があった。
今は、九月発行の部誌に掲載するためのイラストを描いている。表紙やメインページの担当は部長や三年生だが、それでも出来栄えが良かったら、誰でも採用してもらえる。そのため、頑張ろうという意欲が湧く。
また、たまにコンクールへの出展もあり、運動部ほどではないにしろ、なかなかにハードだ。
僕は、先端が錐のように尖った鉛筆を手に取ると、ケント紙に下書きを描き始める。両親からテストの結果について、あれだけ絞られたものの、今は勉強をする気にはなれなかった。
しばらく作業を継続するうちに、精神が落ち着いてくることが自覚できた。創作活動は、精神安定に強い効果を発揮するのだ。作業に集中することで、悩みを一時的に忘れる作用があるためらしい。
僕がここ最近、イラスト作業に偏重しているのも、そのせいなのかもしれない。酒やドラッグに溺れる人間のように、直視したくない何かがあり、それから目を背けるための逃避行動なのだろうと思う。
少し手が進み、そして止まる。現在モデルとなっているアニメキャラクターの別アングルの構図が必要になったためだ。
ここの服飾はどうなっていたんだっけ?
僕は、机の引き出しからノートパソコンを取り出し、起動させる。無線LANで繋がっているため、ネットを使用することが可能だ。スマートフォンでも検索はできるが、画面が大きいため、イラストに纏わる調べものの時は、ノートパソコンを使うのが常だった。
検索サイトを開き、検索バーにキャラクターの名前を入力しようとする。そこで、ふと手が止まった。検索サイトのニュース欄に、気になるトピックが表示されていたのを発見したからだ。
『米国、プライドパレードが本格化。日本もそれに追従か』
そういった見出しだった。僕は思わず眉をひそめる。そして、そのトピックをクリックした。
記事が表示され、僕はそれを読む。
『昨日、ニューヨークを始めとする米国各地で、セクシャル・マイノリティーによるパレード、通称、プライドパレードが開催された。米国の著名人や政治家も参加し、異性婚を法的に認める要望書が米政府に対して提出された。これを受け、日本のプライドパレード団体も同運動を行う模様』
記事内の写真には、虹色に染色されたレインボーフラッグを掲げ、通りを歩く人々の姿が写し出されていた。そのほとんどが、男女ペアで、お互い手を繋いでいる。
別の写真には、男女が抱き合い、キスを交わしている光景もあった。また、僕も知っている有名なハリウッド俳優が、パレードに参加し、演説を行っている写真も載せられている。その俳優は、異性愛者であることをカミングアウトしているらしい。
記事を読み終えた僕は、自身の心拍数が少しだけ上がっていることを自覚する。
現在、世界各地でヘテロセクシャル(異性愛者)やトランスジェンダー、バイセクシャルなど性的マイノリティーによる解放運動が増加していた。
理念は、性的マイノリティーが差別や偏見に晒されず、前向きに生きていくことを目指すものだ。また、同性婚と同じく、異性同士による結婚も公に認定してもらおうという目的もあった。今のところ、世界で異性婚が認められている国は極少数に留まっているためだ。日本もまだ、異性婚を認可する動きはない。
僕は、画面を下方にスクロールさせる。そこには、ユーザーたちが自由に書き込めるコメント欄が設置されていた。
僕はそのコメント欄を見て、つい眉間に皺を寄せてしまう。
コメント欄には、プライドパレードの記事を読んだユーザーたちの、非情なる差別発言で溢れていたからだ。
『異性愛なんてキモすぎ』
『男と女がキスしている写真なんて載せるんじゃねーよ。目が潰れるだろ』
『こいつら自分たちが普通じゃないって気づかないのかな?』
『男と女が結婚するなんて普通じゃありえない。ただの変態です』
『お前らの性癖を押し付けるな!』
『異性同士が手を繋いで街を歩く姿を見るようになるなんて、気持ち悪くて無理です。隅っこで隠れてやってください』
僕は、呪詛の如く、異性愛に対する否定的な言葉が羅列されている様を見て、胸を悪くする。中には擁護派もいるようだが、ことごとく否定派の罵詈雑言に似た反論を受け、暴言の海へと沈んでいた。
これこそが、今の社会における異性愛者の立ち位置なのだろう。
先進各国において、プライドパレードを始めとする性的マイノリティーへの差別撤廃運動が増加し、昔――通りを男女が手を繋いで歩いていると逮捕されるような時代――と比べれば、あからさまな差別は減っていると思う。だが、このコメント欄のように、人々の奥底には、いまだ強く性的マイノリティーへの差別意識が根付いているのが現状なのだ。
それは、身近なところでも、遠いところでも同じだった。インターネットでの異性愛者に対する差別発言は、世界中至るところで散見され、時折問題になることもあった。
ネット以外でも同様だ。あからさまな差別は減ったとは言え、道を歩くカップルの中に、仲良く手を繋ぐ男女がいたら、後ろ指を差す人間は必ずいる。そういうものなのだ。
海外では、さらにハードな事例もある。十八世紀に遡ったような出来事だ。
少し前、フランスで異性愛の男女カップルが、男たちに突如暴力を受け、怪我を負う事件があった。犯人たち(高校生くらいの若者らしいが)から動機を訊き出すと、異性同士で手を繋いで歩いていたから襲った、とのことだ。このカップルは異性愛者なので『普通』ではなく、だから暴力をふるって構わない――そのように判断したという。
その思考は、このコメント欄の人間たちと同じものではないだろうか。
『普通』ではないのだからこそ気持ち悪い。『普通』ではないから糾弾する。『普通』には見えなかったから攻撃した――。
そこには、普遍的な差別のみが存在しているのだ。
そして、僕は自分自身のことについて考えた。
僕は異性愛者だ。男でありながら、女性が恋愛対象であるセクシャルマイノリティー側の人間だ。つまり『普通』ではない性的志向の持ち主。
そして、異性愛者のくせに、それを隠し、僕は他の『普通』の人間と同じように、同性と付き合っている。これは矛盾した行為だと思う。僕は、タクヤのみならず、自身の気持ちすら裏切っていることになるのだから。
カミングアウトを考えたこともあった。だが、どうしても差別に対する怖さが先立ち、二の足を踏んでしまう。異性愛をカミングアウトした結果、いじめを受けるようになり、自殺した人の話も聞いたことがあるからだ。
僕は、自身が異性愛者であることを、他者に告白した際の光景を想像する。
お前、男のくせに女が好きなのか? 気持ち悪い。近寄るなよ異常者。おい、あいつ異性愛者なんだぜ。普通じゃないよ。
そのような恐れがあるため、両親や妹などの家族にすら、いまだカミングアウトはできていなかった。
もしかすると、家族だから受け入れてくれるのかもしれない。そんな希望的観測はあるが、もしもそうじゃなかったら? 僕の人生は、脆くも崩れ去ってしまうだろう。
僕はため息を一つ吐き、モニターに表示されている記事を閉じる。それから、再び検索サイトを開き、バーに当初の目的通り、アニメキャラクターの名前を入力した。複数の画像がヒットし、その中から良さそうな素材を探す。
ちょうどいいアングルの素材が見付かったため、それを元に、下書きを再開する。
だが、一度水平線の彼方に飛んでいった集中力は、もう二度と戻ってこなかった。インターネットによる匿名の差別発言は、見事に僕の心を削いでいた。
僕は、沼の底に沈んだようになっている心を抱えたまま、何度もイラストを書き直し、やがては止めてしまった。
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