第三章 温かな家庭

 僕の家は、上大岡東の住宅街にあった。両親が結婚してから建てたもので、少し前にオール電化に生まれ変わっている。周辺の家々と差別化されない無個性さはあるが、慣れ親しんだ好きな我が家だ。


 僕は『望月もちづき』と表札が掲げてある門柱を通り、玄関を開けて家の中へ入った。


 「おかえりー」


 ちょうど二階から、降りてきた香奈かなと出くわす。


 「ただいま」


 僕はそう返し、靴を脱いで、家へあがる。カナは、ショートカットの髪を揺らしながら、悪戯っぽい笑みを浮べ、こちらに詰め寄った。


 「お兄ちゃん、デートどうだった? キスした?」


 カナの不躾な質問に、僕は思わず咳き込みそうになる。


 「何言ってんだよ。カナ」


 「だって、お兄ちゃん、タクヤさんと進展なさそうだもん。お兄ちゃんが奥手なのは知ってるけど、そろそろ進まないと、タクヤさんに気の毒だよ」


 何度かタクヤをこの家に連れてきたことがあるため、両親やカナは、タクヤと面識があった。


 「余計なお世話だ」


 僕はため息をつく。妹のこういった無邪気なところは、可愛くもあるが、困惑することもあった。


 その無邪気さは、外見にも表れており、童顔で小柄と、僕よりも一個下にも関わらず、幼く見える。中学生といっても通るほどだ。


 「お前は僕のことより、自分のことを気にかけろよ」


 「なんで? 私、桃子とは上手くいっているよ」


 カナは、不思議そうな顔で、首を傾げる。


 カナが口に出したモモコという人物は、カナが所属している陸上部の先輩だ。少し前から付き合い始めたらしい。カナも僕と同じく、モモコを何度か家へ連れてきたことがあったため、家族全員と既知の仲だった。


 モモコは、カナとは正反対の、落ち着いたお姉さんタイプの女子である。


 「そうじゃなく、お前の成績だよ。お前の高校も夏休み明け、テストあったんだろ? ひどかったらしいじゃないか」


 僕がそう言うと、カナは、ショートパンツから突き出た細い足をもじもじさせ、舌を出す。


 「えへへ。知ってた?」


 「当然だろ」


 カナの成績が芳しくないことに、両親はいつも頭を悩ませており、今回のテストの結果についても、僕に愚痴を漏らしていた。


 もっとも、僕のほうも、今回のテストについては、あまり偉そうに言えた義理ではなかったが。


 「あ、そうそう。もう晩ごはんできてるよ。先に行ってるね」


 都合が悪くなったカナは頭を掻いた後、ペンギンのようなちょこまかとした動作で、居間のほうへ小走りで逃げていった。


 僕は再びため息をつく。


 居間からは、夕飯の匂いが漂っていた。今日はカレーのようだ。





 「いいなー私も大観覧車、乗りたい。お兄ちゃんばかりするいよ」


 食卓に、カナの拗ねたような声が響く。


 「それなら、お前もデートで乗りに行けばいいだろ」


 「そうしたいんだけど、モモコ、高いところが苦手らしいから、一緒に乗れないよ」


 「じゃあ、今度、連れて行ってやるよ」


 気を遣ったつもりで、僕がそう進言すると、カナは嫌そうな顔をした。


 「兄妹で乗っても楽しくないじゃん。私は恋人とロマンティックな瞬間を味わいたいの」


 カナは、夢見る乙女のような顔をして、手を組む。


 せっかくの気遣いを拒否され、僕はムッとする。僕だって、大観覧車に妹と乗っても楽しくはないのだ。


 「じゃあ諦めろよ。僕に文句言っても意味ないだろ」


 僕は、カレーを口に運びつつ、そう言う。


 カナは膨れっ面をした。


 「どうしようもないから、羨ましいって言ってるの!」


 僕とカナの、間抜けなやりとりを眺めていたしげる孝雄たかおが、向かい側の席で、ほぼ同時に笑い声を上げた。


 茂と孝雄は、僕の両親で、共に四十二歳の男性だ。茂のほうは、中肉中背の穏やかかつ、中性的な顔をしており、孝雄のほうは、背が高く、男らしい容貌だ。


 息子の僕から見ても、二人共素敵な『夫夫』だと思う。


 僕とカナは、代理出産を通じ、この二人の子供となった。茂の実子が僕で、武雄の実子がカナである。僕は親と比較的容姿は似ているが、カナは違っていた。おそらく、代理母のほうに似たのだろう。


 代理出産制度は、男性同士の親の中で、もっともポピュラーな出産方法だ。任意による代理母となった女性へ、男性側が精子を提供し、人工授精により子供を授かる。


 女性同士の親はその逆で、子供を希望する女性が男性から精子提供を受け、人工授精により自ら身ごもり、出産する。


 いずれにしろ、異性との性交は一般的ではないため、人工授精の技術が発達した今では、子供が欲しい場合、もっとも多く利用されている制度だった。


 ちなみに通常、両親それぞれの遺伝子を受け継いだ子供を持つもので、ほとんどの家庭が二人以上の子供を授かっている。


 「まあまあカナちゃん、他にも楽しいところが沢山あるから、無理に大観覧車デートにこだわらなくてもいいじゃないか」


 茂がとりなすように言う。孝雄もそれに同意した。


 「そうさ。好きな人とならどこでも楽しいいぞ。大観覧車に乗りたい気持ちはわかるけどさ」


 孝雄は、クールな笑みを浮べ、茂と意味ありげに目配せする。もしかしたら、二人もかつて、デートでコスモクロック21に乗ったことがあるのかもしれない。


 「わかっているよー」


 カナは、めんどくさそうに答えた。そして、カレーを口に運ぶ。


 孝雄がカナを微笑ましそうに見つめた後、僕のほうに精悍な顔を向けた。


 「とりあえず、ハヤトはデートを楽しめたみたいだな」


 「う、うん。そうだね」


 僅かに歯切れの悪い返答をしてしまう。だが、三人ともそれに気がつかなかったようだ。


 カナは大観覧車に乗ったことを羨ましがってはいたが、僕の心には、まだその時の出来事が、しこりとなって残っていた。


 タクヤに対しても思ったことだが、この家族に僕の中にある違和感を告白したら、どのような反応を見せるのだろうか。家族だから応援してくれる? それとも……。


 「それはそうと」


 茂が、穏やかな二重の目を鋭く尖らせ、カナを睨む。


 「カナちゃん、あなたの成績のことだけど」


 茂の詰問に、カナはゲッとした表情をする。まさか、ここで不意打ちを受けるとは思ってはいなかったようだ。


 僕のほうも、嫌な予感を察知していた。僕は急いでカレーを平らげ、席を立とうとする。だが、孝雄が逃さなかった。


 「ハヤト。お前もだぞ。今回のテスト、随分と悪かったらしいじゃないか。彼氏ができたからと言って、うつつを抜かしてたんじゃないだろうな」


 脱出する機を失い、僕はカナと共に、両親からたっぷりと説教を受けるはめになった。

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