第二章 違和感

 横浜ワールドポーターズの中は、大勢の人で混雑していた。特に家族連れやカップルが多い。


 目の前を、手を繋いだカップルが横切る。そのカップルは、長身の男性と、小柄な男性の組み合わせで、僕とタクヤみたいだと思った。


 僕たちは、フロアを進む。そして、中央にあるエスカレーターに乗った。


 ここも満員電車のように、ぎゅうぎゅうである。タクヤは僕に身を寄せるようにして、ステップに立っていた。


 そのタクヤと実力テストの話をしながら、上階を目指した。タクヤは結構、点数が良かったらしい。悔しいと思う。


 それを正直にタクヤへ伝え、お互い笑いあった時に、ふと、眼前で立っている女性カップルが僕の目に留まった。


 いずれも若い女性だ。幼稚園児ほどの小さい子供を二人連れており、楽しそうに会話をしていた。子供連れなので『婦婦』なのだろう。両者とも、美人でお似合いのカップルだと思った。


 「子供が好きなの?」


 タクヤは僕に質問する。美人の子連れ婦婦を見ていたことに対し、タクヤはそう受け取ったらしい。


 「うん。子供は好きだよ」


 僕はとっさに取り繕う。実際は、別の事実に目を奪われていたことは言わなかった。


 やがて五階へ到着し、僕とタクヤは、イオンシネマへと足を踏み入れた。ここも他の階同様、カップルがやたらと目につく。


 受付に行き、チケットを買う。タクヤは僕の分まで出してくれた。チケットを渡されながら、僕は「ありがとう」と口にする。


 これから観る映画は、ホラーものだった。僕が前から観たかった作品で、僕のリクエストによるものだ。タクヤは快く同意してくれたものの、実際は、あまりホラーが好きではないらしく、無理して付き合ってくれているようだった。


 目当ての映画は、三番シアターで公開されていた。僕たちはそこへ向かう。


 指定された座席に並んで座ると、僕は周りを見渡した。


 ジャンルがホラーなだけあってか、女性カップルが多かった。だが、僕らのように男性カップルもいて、大体七対三くらいの割合だろうか。もちろん、中には一人で観にきている客もいる。さすがに家族連れはいなかったが。


 タクヤと会話を続けている内に、ブザーが鳴り、シアター内が薄暗くなる。


 映画が始まった。


 その際、タクヤはそっと、座席の手摺に置いてある僕の手に触れてくる。僕は、反射的に手を引っ込めてしまった。隣でタクヤが、軽くショックを受け、息を飲んだことが気配でわかる。


 「ごめん」


 タクヤは謝ってくれたものの、僕は、申し訳ない気持ちになった。




 映画が終わり、僕たちは、1階へと戻った。一階には、レストランやカフェなど食事ができる場所が多い。


 僕たちはそこで、ドリア専門店に入り、昼食をとった。映画が始まる直前の小事は、すでになかったことになり、僕らは普段通りに接することができていた。


 やがて、昼食も済ませ、横浜ワールドポーターズ内の店舗を見て回る。二人共、特に欲しいものはないため、いわゆる冷やかしだ。服屋の店員が、ペアルックのTシャツを勧めてくることもあったが、タクヤと一緒に試着しただけで、結局買わなかった。リップサービスなのか店員が「素敵な恋人同士ですね」と褒めてくれたにも関らずだ。デートとはこんなものだろう。


 ある程度店を回り終えた僕らは、横浜ワールドポーターズを後にした。それから、同じみなとみらい地区にある『よこはまコスモワールド』へと向かった。よこはまコスモワールドは、大観覧車で有名な遊園地である。僕たちの目当ても、その大観覧車だった。


 よこはまコスモワールドは入園料が無料であるため、高校生の懐にも優しい素敵な場所だ。遊びたいアトラクションがあれば、その都度チケットを購入すればいい。


 僕たちは、中央付近にある大観覧車『コスモクロック21』を目指す。入園料が無料のためか、客層は若い傾向が強い気がした。僕らと同い年くらいの男同士、女同士のカップルが特に多い。家族連れもいるが、それも比較的若年層で占められているようだ。


 チケットを購入した後、龍のようにうねっているジェットコースターのレールの下を通り、コスモクロック21の乗車口へ僕らは並ぶ。


 僕は、大輪の花のようにそびえ立つ大観覧車を見上げた。中央にシンボルと化した大きなデジタル時計が設置されており、時刻は午後四時を表示していた。そろそろ日が落ち始める頃だろう。


 やがて、僕らの乗車の番になり、ゆっくりと回る青いゴンドラへと乗り込む。その際、タクヤは、そっと僕に手を添えて、介助してくれる。


 二人が乗り込んだことを確認した係員は、ゴンドラの扉を閉めた。これから、約十五分間の空の旅が始まる。


 ゆっくりと上昇するゴンドラの中で、僕とタクヤは、隣り合って長椅子に腰掛けていた。


 二人共しばらく無言で過ごす。窓際には、タッチパネル式の案内ナビゲーション端末が備え付けられていたが、どちらも手を触れなかった。


 ゴンドラはどんどんと上昇し、ほぼ頂点へと到達する。僕は、窓から外を眺め、息を飲んだ。


 三百六十度のパノラマ風景は、絶景という他なかった。遠くに見えるのは、横浜ベイブリッジだろう。下方には、赤レンガ倉庫やマリンタワー、大さん橋などが広がっていて、職人が丹精込めて作り上げた精巧なミニチュアのようだった。それらが、黄金色の夕日に照らされ、幻想的な景色を演出している。


 さすがはかつて、世界最大の観覧車としてギネス登録されただけのことはあると思う。この雄大な風景を眺めたカップルが、ロマンティズムに沈むのは、自然な成り行きだろう。


 タクヤの様子を窺うと、タクヤも目を奪われているようだった。


 僕たちの乗ったゴンドラは、頂点を過ぎ、ゆっくりと降り始めた。夕日が真横から直接当たり、ゴンドラ内部が、ライトアップされたかのように、明るくなる。


 その時、タクヤが僕の名前を呼んだ。


 「ハヤト」


 僕は、タクヤのほうを見る。夕日に照らされたタクヤの端整な顔は、どこか高揚しているようだった。


 タクヤは続けた。


 「キスしていいか?」


 タクヤの唐突な申し出に、僕は口を噤んだ。微かに心臓が波打つ。


 「どうして?」


 僕はそう訊いた。


 「どうしてって、好きだからだ。俺たち、付き合って二ヶ月だろ? そろそろ次の段階に進みたいんだ」


 タクヤは真剣な面持ちで、そう言った。


 「でも」


 「大丈夫。乱暴にはしないから」


 タクヤはこちらを落ち着かせるように、優しく微笑む。夕日に照らされ、白い歯が覗く。


 タクヤは僕の返事を待たずに、こちらに寄ると、そっと僕の両肩を掴んだ。


 僕は、目を逸らし、深く悩む。


 少し前からだった。デートを重ね、僕たちの間にあった垣根がなくなり出した頃。


 付き合い始めた恋人同士には、よくあることだと思う。


 タクヤは、僕の体に興味を示し始めたのだ。手を握ろうとしてきたり、肩を寄せ合ってきたり、肩を抱こうとしたり、スキンシップを頻繁に行うようになった。


 身を寄せ合うことくらいは、何とか受け入れることができたが、それ以上の、手を繋ぐレベルになると、どうしても拒否してしまう自分がいた。タクヤと触れ合おうとすると、僕の中のが、鎌首をもたげ、強く首を横に振るのだ。


 僕の拒否反応については、タクヤは、ただ単に、恥ずかしがっているだけだと受け取っているらしい。そのため、僕の心を解きほぐし、安心させれば、いずれ受け入れてくれる――そう考えている節があった。


 だが、本当の原因は、もっと根深い、僕自身の性質に由来するものだ。これは、自分の意思では、どうすることもできないことなのかもしれない。


 そして、それをタクヤに告げた場合、タクヤはどう反応を示すのだろうか。そして、その先に待ち受ける事実が、ひどく恐ろしくもあった。僕の中にある違和感は『普通』のことではないからだ。




 「ごめん。タクヤ。そんな気分になれなくて……」


 僕は、タクヤの両腕に触れ、やんわりと断った。タクヤは、ひどく残念そうな顔になる。


 「そうか。わかった。それなら無理強いはしないよ。ごめんな、急に迫って」


 タクヤはあくまでも、こちらに気を遣っており、静かな声で謝ってくれる。僕の中に、罪悪感が渦巻いた。


 タクヤの主張は理解しているつもりだ。僕らは恋人同士。スキンシップを行ったり、キスをすることは至極当然なのだろう。そして、それ以上のことも。


 それなのに、いまだ僕らは、手すら繋いでいなかった。その現状に対し、タクヤが不満を抱える気持ちもわかっていた。本当にごめん。


 ゴンドラ内を包む微妙な雰囲気をかき消すように、タクヤは明るく言う。


 「さっきはああ言ったけど、ハヤトが恥ずかしがり屋なのは知っているから、無理矢理には進展させるつもりはないんだ。不安にならないでくれよ」


 「うん。わかってる」


 これまでタクヤは、僕に迫ることはあったが、無理矢理は一度としてない。タクヤの言葉は、嘘ではないと思う。


 タクヤは続けた。今度は、真面目な口調だ。


 「だから、いつかハヤトの心の準備ができたら、その時は、俺を受け入れてくれ。恋人として」


 そこには、言外に、肉体関係を求める示唆が含まれていた。それを理解しつつ、僕は頷く。


 「……うん」


 いつかその時がきたら――タクヤはそう言った。だが、本当にくるのだろうか。そんな時が。タクヤを受け入れることができる日が。


 もしもこないのであれば、僕はタクヤを裏切っていることになる。いや、元々からそうなのかもしれない。僕は自分の中にある『普通』ではない感情を抱いたまま、それを告げずに付き合っているのだから。


 横浜港の彼方に沈みいく淡い夕日を眺めながら、僕は、自分が悪者になったような気分になった。




 コスモクロック21から降りた僕らは、今日はこれでデートを切り上げることにした。


 タクヤはもう少し一緒に居たいようだったが、僕は両親から、遅くならないようにと注意されているため、もう帰宅しなければならなかった。夕食は可能な限り、家族で食べようという我が家のルールがあるのだ。


 よこはまコスモワールドを出て、馬車道駅から横浜駅まで一緒にいき、そこでタクヤと別れた。その際、「また学校で」と挨拶を行う。タクヤの家は、僕の家とは逆方向、反町駅方面にあった。


 タクヤは最後まで名残惜しそうにしていた。


 タクヤと別れた後、やってきた列車に乗り、朝のルートと逆走する形で、列車に揺られる。夕方のためか、車内は朝よりも込んでいた。


 やがて列車は、僕の家の最寄り駅である上大岡駅へと到着した。


 僕はホームへと出て、京急百貨店と直結している改札口を通る。そして、東口から路上に出た。


 外はすでに薄暗くなっており、夜の帳が降りかけている。街灯や近くの店の照明が斜陽のように、アスファルトの地面へ長く伸びていた。


 その中を、僕は家へと向かって歩き出した。

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